金銭価値の均一化
相も変わらぬ貧乏話。でも僕の貧乏は「真の貧乏」じゃないから、側面的にはあくまで「節約貧乏」という感じ。ゲームも買うし、ビーフジャーキーだって買っちゃうよ!
前にも話したけど、100円は100円。1000円は1000円だな、という話。また同じ話をする。なぜならジジイだから。あと前の話のことをほとんど覚えてないから。
今日も今日とてかみさんと娘が「帰り遅くなる」と言って出かけたので、晩飯は自分で調達だ。だいたい500円前後の予算を後日請求という形でかみさんに支給していただくのが常なので、帰宅途中にあるブンイレに立ち寄り、思案を始める。
いつもならおにぎりや唐揚げを組み合わせるか、弁当を1つレジに持っていってそれでエンドなわけだけど、今日は自宅にストックしていた「辛い方のお菓子」が底をついていて、何かそれをフォローしたい気持ちで一杯になった。
・ビーフジャーキー58g 400円くらい
・サラミ 似たようなもん
・カルパス まぁ似たようなもん
この辺りをチョイスするのも悪くない。ちなみに前回買ったビーフジャーキーは結局10日間の命を全うし、天に召された。ホントに一切れの3分の1くらいずつちびちび食べたわけだけど、これが意外と「いかそうめん」や「ポテトチップス」と違い、固くて味が濃く、しばらく堪能していると、別にそうたくさん食べたいとも思わない。ポテコならそれこそ一気に一袋食べないと引き下がれないっ!って感じになるのとは全く好対照だ。カロリーの面でも当然抑えられる。
他の選択肢では、「ペッパービーフ」や「焼き豚」のような、「生もの」系も選択肢として登場。グラム辺りの単価が安く、その面でのコストパフォーマンスは低くなかったが、ただ、それも先のポテコ同様、
どのくらい食べてどのくらい満足出来るのか、あとどのくらい日持ちするのか
が問題だ。冷蔵庫に入れてしまえば、家族がマッハで食べてしまうか、
僕が永遠に忘れてしまうか。
我ながらびっくりしたが、一昨日冷蔵庫見たら、
賞味期限が既に2ヶ月過ぎている僕の買ったゼリーを発見。
まぁ気楽に食べて今でも存命中なのだが、ようはそんなもんなのである。冷蔵庫とはつまりはダークホール。ちなみにダークリングは肛門のスラング。一旦吸い込んだものは、そう易々とは吐き出されないのだ。お~怖っ。
まぁつってもビーフジャーキーも、開封後10日も経ってれば固くもなるけどな。食えりゃいいんだ食えりゃ。
で、クリスは思ったわけですよ。
あ、晩飯減らしてビーフジャー化しよかな。
400円のビーフジャーキーに200円のカップヌードルシーフードで約600円。400円の弁当に150円のぴりぴりチーカマ買っても税込みで約600円だ。確かに体には決して健康的とは言い難いが、
自分に対する満足度、貢献度という点においては、断然前者に軍配が上がる。
結局そういうことなのだ。100円はどんな使われ方をしたとしても100円。ガシャポンに使っても100円。缶ジュースに使っても100円。4回分ガマンしてビーフジャーキーを買っても100円は100円なのだ。
何に使う時も、そのお金の「絶対価値」を見失わないようにすれば、それがつまりは節約に繋がるのだ。
昔「チロル算」というのがあり、何でもかんでも「チロル何個分」。
※島本和彦先生の場合は「1ガンプラ=300円」らしいが。
ビーフジャーキーに換算するというわけではないが、その金額が果たして他の、例えば食べ物、例えばゲーム、例えば書籍に換算した際も、同様に比較検討するに値するのか、という話だ。
ああそう考えるとCDはもったいなかったな~という気にもなってしまうのだが。
※つか一向に送られて来ねぇし
映画は見合うのか。DVDは見合うのか。スマホは、ゲームは、グミは自分の「金銭平衡感覚」で不当に指数が低くはないか。
この感覚を思い起こした時、軽い既視感に包まれた。
あ、これ、ダイエットの時と同じだ。
おにぎり1個115キロカロリー。ジュースは1本で200キロ。メロンパンは600キロで、サンドイッチは260キロ、、、何を食べればカロリーを抑えられつつ満足度が高いのか。何が「カロリーの無駄摂取」になってしまうのか。
ただ、この金銭平衡感覚を徹底的に磨くことは、ともすれば周囲の人間に多大な迷惑を掛けてしまい兼ねない点は十分注意しなければならない。セコいとかケチだと思われる程度ならまぁ実際お金がないのだからしょうがないレベルで済むが、
他の人のお金の使い方にまで違和感や否定的な感想を口にするのは、絶対に良くない。
昨日かみさんが娘に、「無駄遣いをしないなら本屋に連れて行ってあげる」と言ったとき、娘が言った言葉。
「何が無駄遣いなのかわからん」
確かにそうだ。思えば僕が小学校の時買っていたメンコやカードは無駄遣いじゃないのか。ゲームやプラモは無駄遣いじゃないのか。一回読んでもう読まないマンガが無駄遣いなら、人生という金銭に匹敵する重要リソースを消費して、何度も同じマンガを読むことが「正しい」ことなのか。
そんなのは全く考えるだけ無駄だ。
僕のサイフは娘のサイフじゃないし、娘のサイフはかみさんのサイフでもない。それぞれが与えられたリソースをどう使おうが、どう使うのが無駄で、どう使うのが有意義なのかは、その人次第のことなのだ。
まぁだから「ちはやふる」は僕じゃなく娘が買うことになったわけだが。
※僕にとっての金銭価値基準として、マンガはそのランクが低いということが、最近の検証の結果明らかになってしまったため。でも代わりと言っては何だけど娘はゲームを欲しがらないわけだから、その辺りはどっこいなのかも知れないしね。
でもそうは言ってもパートさんとかが平気で僕らの分までおやつを買ってきてくれたりすると、何とも言えない気持ちになったりする。ひとつは当然申し訳ないという気持ち。そしてもう一つは、
これを買ってくれるんだったら他の物を買ってきて欲しかったという、価値基準が引き起こす切ない気持ち。
特に「どっちかと言えば」というレベルじゃない、明確に「これはマズい」でも「あれは美味い」場合は、本当にもったいなくて仕方なくなる。さすがにその分のお金をくれ、みたいな気持ちには心の底から全くならないが、
だったら買ってこなくていいのに、という気持ちにはかなりなる。
パートさんの一人が以前非常にお高いトマトゼリーを買ってきてくれて、僕はそれに大層喜んだりもしたのだが、その後「2度と買ってこないでくれ」と言ったにもかかわらず、そのパートさんは岡山の実家に帰る度に(と言っても2度ほどだけど)買ってきてくれる。
それは全く嬉しくないのである。お互いが全く得をしないのである。
一度目と二度目で価値が近似値になるものも確かにあるが、大幅に下落するものもあるのである。500円もするゼリーを買ってくるなら、100円のジュースを3回買ってきてくれた方が遥かに嬉しいし、もっと言えば、
貰った方が喜んでくれるものをあげる方が、あげる側も嬉しいだろうに、と思うのだが。
まぁ1個だけお菓子を買うのが恥ずかしいから2個買うというのは、でも見方を変えればその人にとっての「有意義」に抵触する、つまり「1個買う恥ずかしさ」によるマイナスが大きいというわけだ。
ともかく、誰かに強要することは出来ないし、してはならないことではあるものの、少なくとも自分に対して精度を高めていくことで、お金は貯まりやすくなるはずだ、ということは言えると思うのだ。
つかちょっと本が出せそうなくらい高尚なネタだったな(^^。▲▲。
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