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2014年6月28日 (土)

言葉遣いの話

こないだ年齢の話を書いたばかりだというのに、同じようなネタ。今日は超短い。なぜならネタが超短いから。

 歳を取ると言葉遣いや好みまでも変わってしまうのか。

よく「おばあちゃんが好きそうなお菓子」として、雷おこしやらくがん、純つゆなんかがイメージされた僕の幼少期。当然のことながらその当時は僕の母親はそれらを好んだりはしないし、ぶっちゃけ今でもそれを好んだりはしないのだが、

 案外肉、魚、野菜のバランスは変わってきている。

僕は今でも「イシイのハンバーグ」が好きだし、肉と魚だと肉の方が断然好き。
※ちなみに娘は魚の方が好き。特にサンマとかの小骨がある魚とか、、<僕はめちゃ苦手過ぎてむしろ小骨があるのを理由に食べたくないレベルなのに・・・

でも肉の脂身に関しては昔から好きじゃなかったし、それはトロでも同様。別に脂がのりまくったトロが好きだった時期はない。まぁこれらの点では、というか

 僕個人の点では、食べ物に関する「老人化」は進んでいない。

だが、これが言葉遣いの話になると少し変わってくる。

みなさんは、「若い衆」という言葉をご存じだろうか。つまりは、「若輩者」であり「若人」であり「ヤングフレッシュメン」たちのことを指す言葉だが、

 当然若い時はそんな言葉は口にしない。

例えば高校生の頃に小学生を指して「今時の若い衆は礼儀がなっちゃいねぇ」みたいなことは言わないし、小学生の時に幼稚園の子に対し、「若い衆は元気があっていいねぇ」なんてことを言ったりはしない。

もちろん自分達が20代後半くらいになると、「若い子」という言い方はするようになる。アイドルでも自分の年齢より若い、自分の子供の年齢よりへたしたら若い子達に対して、今でも「若い子」という言い方はする。

 距離があると「若い子」で、身近だと「若い衆」になったりする。

理由は全くわからない。だが、一つ言えるのは、自分が歳を取ることで相対的に自分より若い年齢の人たちに対する呼称を口にする機会が増える。

姪っ子、甥っ子という表現もそうだ。自分達が中二の頃にも確かにその存在はあった。だが、その呼称は主に「親戚」「いとこ」で、「兄弟の子供」を指す甥、姪は、割と存在しない。
※中二で姪を作るには、年の離れた姉がいないとなかなか難しいよな。・・・なんかちょっとエロいな「年の離れた姉」。っていうかこういうことを考えることがそもそもジジイというか中年くさいんだけどな。

つまり、「歳を取ることで発生する事象」と、それに伴う呼称が、つまりは言葉遣いの老齢化を、やおら強制的に促すというわけ。

最近実家のご近所でカラオケをやるスペースが出来て、日中でも微妙な歌声が聞こえてきたりもするのだけど、これも案外愉快なもので、

 僕らが子供の時と歌ってる歌が変わってない。

未だに矢切の渡しとかさざんかの宿とか歌ってる。ざっくり30年前は40歳、僕と同じくらいの年齢だった人が、30年後に演歌を歌い出している。

これもたぶんだけどカラクリがある。

結局歳を取ると新しい歌を覚えなくなるし、興味も沸かなくなるし、聞かなくなる。で、聞くのは自分の耳馴染みのある(まぁ僕らの世代だったらアニソンとか?)昔の曲ということになり、その頃のスタンダードナンバーを超えるポピュラーソングが生み出されないまま
※小室哲哉とかの頃?
何十年か飛び越えちゃったんだと思う。

昔々の美空ひばり世代から、演歌や歌謡曲までは、そこそこ一曲の重みがあったけど、CDになって音楽そのものが「消費型」になってからしばらくは、「覚える前に消えていく」曲が増えてしまって、そのジャストミート世代が聞く曲が「古いまま」になった、みたいな。

僕らの世代でのスタンダードナンバーだと、たぶん「涙そうそう」とか「残酷な天使のテーゼ」とか(まぁヘビロテも入るかも知れないけど、、、微妙かな)が、70歳くらいになって近所のジジババと一緒に歌う曲になってる気がする。一周して最近の楽曲は「耐久力が復活した」気がするんだよね。

でも、

僕らがこのまま大きな問題もなく年を重ねていったとき、「クソジジイ」と呼ばれる年齢に達して、ホントにそう呼称されるのかな、という気はする。なんつか、

 昔のようなジジイも、昔のような大人も、今はあんましいない、もっと言うと今後どんどんいなくなっていく気がする。

女の子がどんどんかわいくなっているのは、つまり「どうしようもない女の子」が遺伝子を残さなかったためだという。
※あくまでアベレージの話ね。
お菓子でも、きっとどうしようもないお菓子はいくら伝統だろうと有名だろうと淘汰され、消えていくはず。

となると、生活スタイルも「昔のジジババ」のような人は今後どんどん減っていって、「ニューGB(ジジイババアの略)」が世間を賑わせるようになる。韓流ブームに乗りまくってたり、Kポップを聞いたり、モーニング娘。や金爆の握手会に行ったりする60歳70歳が増えていく。

そういう世代は、例え孫が出来ても、自分のことを「ばあば」とか呼ばれるのを、特に娘や嫁、婿から言われるのを嫌ったりする(※クリス調べ)。そうなると、前述の言葉遣いの面でも、「老齢化」が進まなくなり、結果、

 年寄り言葉は死滅する、、、かも知れない。

ただ、僕なんかも中身は全然若いつもりだったけど、ヤングでフレッシュでチープでカルビーな気でいたけど、

 「若い衆」って使うんだよな・・・

他に言い方がない気がして(マジで)。

まぁそうは言っても同世代よりはたぶん若いだろう(同時に幼いだろう)とも思う。全然「しっかりしてない」し、知識や考え方、興味の対象がガキだったりするし。

このブログでは全く触れてなかったけど、ワールドカップとかに対しても、クリスとしては、

 全然興味がなかった。

内側にいる人は楽しいし、熱いんだろうと思うけど、これもAKBと同じで、外からは結構醒めてみてしまうもの。当たり前の話本人達が一番実力を知って戦ってる(でもそれはおくびにも出せない当然)だろうに、

 大変だな、と。

でも過度な期待をされないと、それはそれで自分の生活にも関わってくることだし、、、みたいな。

よく「これから日本はどうしたら(サッカーが)強くなれますかね」という話をテレビで目にしたけど、僕的視点では、

 甲子園がなくならない限りムリ
※同時にプロ野球も。

だと思った。まだまだ日本には「若い子がスポーツで目指す熱いゴール」として甲子園が根強いと思うんだよね。もちろん他にもスポーツはあると思うけど、いわゆるプロスポーツで一般人
※ゴルフみたいに金持ちしかムリとかじゃなくて
が目指せるのが「2つ」あるウチは、ホントに強くはなれないと思う。逆に、ホントに甲子園が無くなって、子供の頃からみんながみんなサッカー一本に絞って「上を」目指していく国民性が生まれたら、

 本気で日本は世界と戦える気がする。

理論とか技術とかは悪くないと思う。というか「動くお金を考えたら」後進国より悪くなりようがない。あとは人材だと思うんだよね。プロ野球選手のが絶対お金稼げそうだもの。

まぁ実際それは「そうならない」だろうから、結局日本の限界は「ワールドカップ出場前後」ってことになっちゃうと思うんだよな。野球で世界一を競える力がある国ってのが、実はサッカーが弱い理由だと僕は思うわけです。

・・・

随分タイトルと離れちゃったけど、50行くらいで「あまりに短すぎる・・・」って思っちゃったんだよな。ま、

 NO問題ですけど!?

余談だけど、もうすぐ300万アクセスだな。ちょっと嬉しいな(^^。自分で踏んじゃおうかな。

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