別れの話
前にも似たような話はしてる気がするけど、、、。
「別れ」と言っても恋人とか夫婦の別れではなく、友達や知り合いとの別れの話。卒業とか引っ越しとか。
当たり前の話以前親しかった人と離ればなれになることはスンゴク多い。というか、今リアルに機能している交友は、今まで会った(すれ違ったとかではなく、最低限挨拶を交わす程度の)知り合いの0.1%にも満たないだろう。まぁ「オレ、まだ1歳なんだけど?」という人はそんなこともないかも知れないが。
その過程では当然スンゴク好きになった子や、結構親しかった友人や、メチャ長時間一緒にいた仲間なんかもいるわけだけど、ふと気付けばその連中とは概ね疎遠になっている。同窓会を開く為に住所を確認して、結果生きてることがわかるヤツも多いが、完全に音信不通になっていたり、あまつさえ他界してるヤツとかもいて、
だよな、と思う。
今日ウチのパートさんが寿退社した。26歳のセラムン世代の子だが、別れ際僕が「じゃ、バイバイ」と言ったら、「え!?それだけなんですか?」とふくれっ面。もう二度と会わないかも知れないのに、もう少しあるんじゃないかという話。「これからがんばってね」とか?「結婚しても遊びに来てよ」とか。
言っちゃなんだが彼女よりも親しくしていた友人は学生時代山ほどいたわけで、中には多少なりコンタクトを取ったりした人も
※自分中学高校の同窓会年幹事なので。
いたりもするのだけど、
所詮別れは別れ。
連絡先を知っていても全く会わなくなるヤツの方が多いのだ。さっきも書いたけど、1000人に1人も付き合いは残らない。多少なり新しい友人が生まれたりもするが、よく言う話、
出会いの数だけ別れがある。
つまり、
出会い数=別れ数
であり、
出会い数≒別れ数
ではない。全く同じなのだ。
※まぁ中には自分が死ぬ死別も入ってるわけだけど。
ふと振り返ると、問屋さんで親しかったバイヤーや、女子社員。瞬間的に親しくなっても、「私、来月辞めるんです」ってオイ! 当然その子とは二度と会ってない。でも、その子と親しかった子としばらく商売したりして、「こないだクリスさんの仲良かった○○さんに会いましたよ。クリスさんの話が出ました(^^」※クリスはブサイクです。
なんて言われて思い出したりする。でもその子もまた辞めてしまい、
1年くらい経ってから年賀状が来たり。
でもそれっきりだったり。
結局出会いというのは「接点」であり、融合ではない。幼稚園の時に一番親しかった友人と小学校中学校が離ればなれになってしまえば、高校が同じでも話は出来ない。
※クラスも違ったし。つか顔もほとんど覚えてないし。
「幼なじみ」と呼べる同性の友人の何人かは今でも会うことがあるけど、中にはハワイに行っちゃったとか、親が離縁(離婚じゃなくてじいさんと縁を切ったみたいな)したとかで引っ越しちゃったり。
ウチのブログでも、過去何人もの常連さんが現れては消えて行ってる。文字だけの付き合いがほとんどだし、実際ネットから僕の知り合いになって、リアルで会ったことがある人はたぶん(ブログが始まってからは)いない。それでも、ずっと読み続けてくれている方とかなんかは、
下手な友人よりずっと僕のことを知っているし、親近感も抱いてくれていると思う。
伊集院がラジオでよく言う話だけど、「自分にとってかけがえのないはけ口」みたいなところがあるもんな。ブログで書けるから救われる、ラジオで言えるから救われる、みたいな。
そう言う意味で言えば、昔より「別れ」は「食い止めやすくなった」のかも知れない。電話番号は家とのヒモ付けではなく、個人とになったし、フェイスブックやツイッターなど、個人情報は保護されるどころか一時期より遙かにオープンにアクセスできるようになった。ネットで実名を検索してホントに本人がヒットするという人も少なくないし、むしろその視点では「別れなどなくなったのでは?」という気すらする。
でもだからこそ「それでも見えなくなる、会えなくなる」人は重みが違うわけで、、、。
出会いは財産だと思う。ということは別れは散財?。人に会って何が変わるってわけじゃないけど、別れるとやっぱり穴が空く。砂浜に開いた穴のように時間がそれを埋めるけど、そんなに早いわけもない。でも気付くと完全にその穴は埋まってしまっていて、
中学の頃の友達とか、名前も顔も一切思い出せない連中が増えている。
別れとは、その後一度も会ったりしゃべったりしなければ、死別するのと同じ事だ。「今生の別れ」は実は言葉の重み以上に頻繁に、コンスタントに存在する。長男や娘の友人、以前の仕事場の同僚、学校の先生、、、。気楽な言葉で別れを告げた知り合いの大半、ほぼ全てが、「今生の別れ」だったことにふと気付く。もう生きている間二度と会うことのない「最後の出会い」があったことに気付く。
だからって出会い一つ一つを大切にしろというわけでもない。出会いも別れも「そういうモノ」だから。ただ、そんな「普通の別れ」と「忘却による別れ」は、やっぱちょっと違う気がする。
会っても誰か思い出せない別れは、ある意味死別よりも切なさが伴う。自分が自分でなくなってしまった。覚えていた頃の自分と忘れてしまった自分。1000人の出会いが、いつのまにか500人の出会いになっていて、気付けば10人くらいしか会ったことがなかったみたいな・・・。ごくごく身近な人以外は誰ひとり思い出せない、みたいな・・・。
幸いにして僕は相手に「忘れられにくい」。ブサイクではあるが、基本よくしゃべる方だし、遠慮の無い性格だが、悪いウソはつかない。というか僕がどれだけ正直者なのかは、ブログの常連さんなら本気でご存じだと思う。僕がしばし休んでいた間の出来事を知ってる人ならなおのこと。
でも僕は忘れちゃうんだよね。
でもって忘れちゃったことに寂しくなっちゃう・・・。
「忘れちゃったことすら忘れ去っていればいいのに」と思う。
別れはあっさりと。僕なりの美学。
つか全然そんな話じゃなかったけどな(^^;。
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