ゲームを買うということは、当然のことながらそのゲームが動くハードを持っているというのが前提になる。が、これまた当然のことながら常に発売日からハードとゲームを欲しいだけ手に入れられたわけではない。既に発売済のゲームが、ハードを持ってないばかりに欲しくてたまらなくても指をくわえてみているしかなかった頃・・・。発売日を楽しみに待つのとは別の、ある意味過剰な期待がそのゲームタイトルにのしかかっていたりもしたものだ。
パターンとしては、まず友達の家や店頭で見かけて「スゲェ面白そう」とフックするケース。遊ばせてもらってその思いはより強くなり、「ゲーム機買ってもらったらオレも絶対買おう!」と目を輝かせたものだ。
その代表は、、、
●FC版ロードランナー
衝撃と言えば僕にとってこのタイトルはかなり衝撃的だった。まず、その当時はゲームセンターへもほとんど行ってなくて、「最新のゲーム事情」にもとんと疎かったし、ある物と言えばゲーム&ウォッチとそのフォロワーたち。僕が持っていた数台はどれも吟味に吟味を重ねて購入したものだったので、そのチョイスに後悔は微塵もなかったが、
・シューティング※と言ってもスクロールではなくインベーダータイプ
・ドットイート※パックマンのキャラ替え
・レースゲーム※縦スクロール、もしくは横スクロールで障害物を避けていく、言わば撃てないシューティング。
・フロッガー※障害物を避けて移動する、ある意味レースゲームの視点変え。
主にこの4つのゲーム性が精一杯だった。つまり、「考える」という行為が、当時のゲームにはほとんどなかったと思う。「見て避ける」「覚えて避ける」、反射と記憶と、小手先の操作がゲーム性のベースにしてほぼ全てだったと思う。
だがロードランナーはそうじゃなかった。
ちなみに当時は既にちょっとした高級電子手帳などに「倉庫番」もリリースされていた時代だが、「完全に思考にのみ特化したゲーム」は、つまりは新聞のサンデー版載っているパズルにむしろ通じてしまい、「コンピューターゲームたる必然」を感じさせないものだった。まぁそれでも多少は遊びたかったりもしたのだが。
しかし、ロードランナーのそれは、まさに「コンピュータだからこそ成しえたリアルタイムアクションとパズル的思考のハイブリッド」。自分がこう動くから敵もこう動く。当たり前のようで当たり前じゃないゲーム性に、僕は文字通り心を奪われた。まぁ本腰入れてファミコン本体に触れたのも、それが初めてだったというのもあるけど、
その色彩の美しさにも感銘を受けた。
僕の中の家庭用ゲーム機は、スーパーカセットビジョンとテレビベーダーのクソ荒いドット絵で止まっており、ファミコンの、というよりロードランナーの、ハイセンスなカラーコーディネイトの素晴らしさにも、
間違いなく未来を感じた。
今の人にはピンと来ないかも知れないけど、限られた52色という少ない色数を使っていることは同じでも、その組み合わせ次第で与える印象は大きく変わる。スーパーアラビアンやたけしの挑戦状、ミシシッピー殺人事件のような「浮ついた絵」と、ナムコ、ハドソン、任天堂の作る「カッチリした絵」は、とても同じハードとは思えないクオリティの違いを感じさせたのだ。
・・・もっとも結構自宅から遠くの友達だったので、そうしょっちゅう遊びに行けはしなかったのだけどね。
●セガマークIII
当然のようにファミコンをチョイスした僕に、マークIIIも平行して買ってもらうという選択肢はなかったわけだけど、それゆえにCMで流れる「マイカードのマークIIIタイトル」は、
とんでもなく美麗に見えた。
特に琴線をかき鳴らしたのは、
・アクションファイター
・アレックスキッドのミラクルワールド
この2本。一本のゲームで様々にゲーム性が変わる(かのように見えた)アクションヒーローは、液晶ゲーム時代に僕が特に好んで遊んでいた「ガンダム」「フロッガー」に通じる物があり、限りあるリソースを少しでも有効利用したいクリス小年のハートをビンビンに刺激しまくった。ましてやそのグラフィックは、ファミコンなど及びも付かないレベルなのだ(実際はそれほどグラフィック性能に大きな差があるわけではなく、魅せ方が上手かっただけなのだが)。
また、アレックスの表情の豊かさ。今でこそマリオは白目も黒目もある愛嬌豊かな顔をしているが、ファミコンのスーマリはまだまだシンプルな単色ドットで、およそ表情と呼べるものはなかった。
アスレチックライクなマップも、スーマリが少ないグラフィックデータで大きなマップを構築したのに対し、アレックスはより多くのパーツで各世界の雰囲気作りに注力する方向だった。逆に言えばマップは狭く、ゲーム性もタイトなのだが、当時の僕はその「見た目」のウェイトがかなり大きく、心は揺れまくった。
ちなみに、今テラリアにハマっている源流は、間違いなくアレックスにあると言ってもいいほどなのだよ。
・・・
ゲーム機を買った(もしくは買ってもらった)あとは、ゲームを買うだけだ。しかし、ハード購入はそんなお手軽なものではない。どうしても看過できない巨大なムーブメントが、僕を押し流すかの如く購入の決断をさせる。今でこそ「任天堂の新ハードだから一応・・・」などという面白くも何ともない理由で買ってしまってはいるが、昔は本当に本当に溜めて溜めて、
爆発するように買っていた。
・メガドライブ
・PCエンジンCDROM
この二つはそれが文字通り「大爆発」したハードで、もう遊びたくて遊びたくて欲しくて欲しくてしょうがないゲームが山ほどあった中での購入だったので、
短期間にスゲェ本数を揃えた気がする。
今より中古屋の数も多く、足で探して目玉品を見つけるのも楽しかった。特に思い出深い、直接のトリガーになったのが、
・MDザ・スーパー忍
マークIIIはスペハリをきっかけに購入したが、MDはいろんな欲しい欲しいが蓄積して、その溜めに溜めたエネルギーが爆発するきっかけになったのが本作だった。
ファミコンにも「影の伝説」という大味極まりない(※僕の感想ね)タイトルがあり、そのテイストを受け継ぐ「不動明王伝アシュラナータ」なるゲームもあったし、アーケードには本作の前身とも言える「忍」があったが、
スーパー忍の魅力は、そんな連中とは一線も二線も画していた。
当時は既にファミコンでも「変化に富んだマップ」を実現したタイトルは多かったし、キャラクターも大きめなものが出てきていたが、それらと明確にして非常に大きな違いだったのが、
バットマン、スパイダーマン、ターミネーター、ランボー、ゴジラが登場するっ!
何事かと。その豪華キャストは一体全体どうしたことかと。今考えてみても理解を超越している。つか、
マーブルとDCが一緒に出てるだけでも「どうかしてるぜ?」なのに、加えてシュワルツネッガーにスタローン、そしてゴジラというてんこ盛り。
「アヴェンジャーズ」「エクスペンダブルズ」なんて目じゃない結集具合だ。
そしてそのアクション性の高さ。
誌面からですらにじみ出てくる主人公ジョー・ムサシの文字通りスーパーな性能。アイテムを取ったり、レベルアップしたりせず、初期状態から使える八双跳びや発送手裏剣に、攻撃力の高い近接攻撃、流れるような忍者らしいスピード感や文字通り必殺(自分も死ぬ!)の忍術。
ストライダー飛竜がアーケードゆえの派手さで僕らを魅了したのに対し、
スーパー忍は、まさに「忍者」という超人的アクションでそれを超えてきた。
そしてそのボリュームも必要にして十分で、誌面からは伝わりようがない音楽や効果音までもが高次元で結実していた。
名作というのはこのゲームの為にある言葉だな
「史上最高のゲームはザナック」という僕の私的ランキングがグラついた瞬間でもあった。
まぁのちに版権問題が浮上して、今はバットマンやターミネーター、ゴジラどころか、一時クリアされていたスパイダーマンすらも別のキャラになってしまい、魅力は大幅に下がってしまったりはしたのだが、今現在「このクラスに心を躍らせてくれるゲーム」には、とんとお目にかかれない、、、もしかしたら今後ずっとかもってレベルの一作だったな。
●PCエンジンCDROM
正しくは「ロムロム」だが、それにこだわるヤツはウゼェオタク連中なので、あえて「CDROM」と表記したりもするが、これも本当に欲しいゲームが溜まりに溜まって購入に踏み切ったハード。その中でも「これはもう買うしかない!」と決断させたのが、
・スーパーダライアス
・YSI・II
・天外魔境I
この3本。
※実際はCDROM購入時もっと大量に買っているが。
当時既にPC88でYSはIもIIも経験していたが、PCエンジン版のグラフィック、音楽、カットイン全てがその「鮮度の弱さ」を覆しあまりあるもので、
ゲーム好きを標榜する上で、YSI・IIをやってないなんてのは、、、果たして許されるのか!?(いや許されまい)
ってなもの。また、これまた当時最もビッグなタイトルという印象を与えた「天外魔境」。音楽の坂本龍一はぶっちゃけオープニングとエンディングのみみたいなレベルではあったものの、贅沢で新鮮みあふれるアニメ調のグラフィックとそのデモシーン。まさに過去に例がないほどのボリューム。
※当時はそう感じさせるプレゼンがされていた。実際はそれほどでもなかったのかも知れないが。
そして何より「ドラクエやFF以外で歴史に名を残すかも知れないコマンドRPG」を看過して良いものなのか(いやよくない)
スーパーダライアスは今思えば購入前よりも購入後の方がその凄さに気付いた一本。当時はほとんどアーケードゲームにお金を使っていなかったので、見かけてもプレイしたことすらなかったのだけど、いざ買ってみたら、
・道中が地味ながらスゲェ面白い!
※敵のアルゴリズムや揺らぎの完成度が高い
・音楽が良すぎて卒倒レベル
※思わず録音して聞きまくるレベル
・ボスがアーケードよりめちゃくちゃ多いという「特別感」。
どれも凄まじく素晴らしかった。一つ目は遊んでみるまで「所詮ボスだけでしょ?」と思っていた僕のイメージを見事に覆した、
ゼビウス並の充実感
二つ目はまだ「生音」に慣れてなかった自分に、CDROMというのはここまで凄いんだということを五臓六腑に染み渡らせた「ハイハイクオリティ」。
※音も曲もハイクオリティという意味で僕が今勝手に名付けた言葉。
そして何より、ここまでメジャーにしてビッグなアーケードタイトルであるのに、「それ以上の強化」という、「最高を超えるアレンジ」。ある意味「アーケードではリリースされない魔界村の続編『超魔界村』」や、アーケードでは登場しないR-TYPE6面ボスにも通じるアピールポイント。
よく知らなかった僕ですらここまで感じたことなのだから、「全て知っていて買えなかった人」からしたら、
スーパーダライアスは文字通り恍惚を誘うほどに、「輝いていた」と思う。
・・・
スーファミ以降は発売日購入や「欲しくて欲しくて」が一気になりを潜めてしまう。PSPは、発売日をスルーして後日購入するも、トリガーはゲームではなく、ガジェットとしてだったし、PS3はダークソウルというおもしろそうなのが出るから、ボチボチ買ってもいいかな、というタイミング。360は購入時かなりのタイトルが出ていたけど、実際「欲しくて欲しくて」と思うゲームがあったらとうの昔に買っていたはずなわけで、購入後の満足感こそ高かったものの、「発売済にも関わらず持ってない」「手に入れたくてしょうがない」ということはなかったな。
そういう意味では、ウチの子供たちもそれほど「そういう強烈なヨロコビ」を享受したことがないのかも知れない。大抵のハードは「欲しいという前に」買い与えていたし、そもそも僕以上に「間違いなく面白いであろうゲーム」の情報を得ることなく生きてただろうから。
まぁそれをして「不幸」というつもりもないんだけどさ。
・・・
今思いだしたけど、初代DIABLOも、僕にとっては結構特別なゲームだった。ご存じの通りオンラインゲームの先駆け的タイトルであり、そのゲーム性も、僕が大好き極まりないウィザードリィを、「リアルタイムアクション化」したというこれ以上ない「そそり方」。当時はまだそのルックスにも鮮度があったし、
欲しくて欲しくて、仕入れのついでに日本橋まで(不慣れな電車を乗り継いで)買いに行った覚えがある。
※まだ当時はネットで何かを買うという文化がなかった頃。
もう面白かったねぇ。とんでもなく。
というか、その「最初の記憶=刷り込み」があるからこそ、今でも僕にディアブロを「楽しめる」資質が備わっているのかも知れないと思うほど。
バナーにあるように、PS3版ディアブロ3エキスパンション(拡張)もポチっちゃったしな。
PS3版もよっぽど買おうかと思ったけどガマンして、PC版も意外と高いから(他にやるゲームがあったから)スルーした。でも、PS3版は、
拡張付きで、無印よりかなりお値打ち価格。
※amazonで4280円くらいだったかな。
「これならGOサインだな!」
って感じ。グラフィックはPC版と大きな差違がないかも知れないし、サーバーではなく、本体にセーブデータを残す仕様にもやや抵抗はあるものの、
※データロストの可能性
パッドでやれるだけでもプレイアビリティは大きく向上するし、拡張パートに関しても興味がないわけじゃない。
仮にそれほど面白くなくても、価格的なダメージはそれほど大きな物ではないし、いつまでもテラリアをやってるわけにもいかないしな。
まぁ常連さんはつまんないかも知れないけどさ。
っていうか、今一番常連さん受けするタイトルって何なの?って感じはするし、そもそもそれが僕にフックするの?って気もするんだよな。意外とダークソウルIのDLCとかのがいいのかしら。
それも悪くないな、、、と思ったりだな。
PS4でもそういうゲームがいっぱい出て、でもお金がなくて買えなくて、欲しくて欲しくてしょうがない時間を経て、
ついに購入するぜ!
みたいな流れもいいかも。つかその為には「FF15をスルーしなきゃいけない」わけで、
そんなの出来るわけねぇしって感じなんだけどさ。
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