怖い話
怖い話だけど、出来る時にしておいた方がいいような気もしたので、少し書いておく。と言ってもそう大した話じゃない。
ボケ、認知症、アルツハイマーなど、歳を取って極度に物忘れが激しくなる症状がある。うちの親父はまさにそういう状況にあるが、そのきっかけには50代で脳卒中に倒れたということも少なからず影響しているだろう。
きっかけはどうあれ、何らかの事故や病気で脳に障害が出て、その結果忘れっぽくなる、、、「いろんなことが記憶されなくなる」のはまぁしょうがないと思うし、避けられないだろう。だけど、
普通に生きていてもそうなる人はいっぱいいる。
でも、そうなる前には当然その人も普通にいろんなことを記憶し、覚えていたはずで、もっと言えば全ての事象、例えば自分の名前とか日本語とかすらも忘れてしまう、、、記憶喪失のような状況になるのとも違うはずだ。
髪の毛が抜けハゲが進むのでも、実際は(特別なことがない限り)順番に薄くなる。
黒髪から一気にハゲたりはしないのだ。
白髪とかもそうで、気付いたら一本、そしてまた一本。ヒゲや鼻毛に混じるようになっていく。もちろん同年代どころか高校生の頃から頭髪に白髪が交じってる友人もいたりしたが、それとて一気に真っ白になるということはない。
ものには順序というものがある。
認知症(この呼び名が最もポピュラーかと思って使うが)の人は、常日頃頭の中で何も考えてなかったりするんだろうか。例えば「トイレに行ったことを忘れる」とか「食事を摂ったことを忘れる」などが認知症の症状で言われることがあるが、食べている間に「今食べていることを忘れる」とは考えにくい。食べ終わった瞬間に今まで食べていたこと、今までしていたことを忘れちゃうということは、
それ以外の記憶が食事の記憶を上書きするのか、それとも、
「食事した」そばからそれが急速に希薄になって消失してしまうのか。
前者であれば、いろんなことを考えている結果そうなるわけだから、「何も考えていないというわけではない」気がする。僕なんかも随分前から「三日前の晩ご飯の献立を言えるか」と言われても、
当然のように答えはNOだったが、
そんなのはとうの昔に他の記憶で上書きされてしまっているからという気がする。何というか、「どんどん押し出されてしまう感じ」がする。映画を見てゲームをしてマンガを読むと、映画のことが一気に薄れてしまう感じ。もちろん部分的に強く刻まれるシーンなどがないわけではないが、
単純にメモリーが劣化してその大半が機能しなくなっている感じ
がするわけだ。今までなら16GBだったのが、今2GBくらいになってしまっている、みたいな。
僕はその「三日前の食事」に関して、情報として「大して重要ではない」と思ったから、結構安易に忘れてしまうのだろうと思ったりもしたが、これの度が進んでいったら、「今食べたかどうかなんて大して重要じゃない」と考えるようになってしまうんだろうか。それより今度出るゲームのこととか、今から探す動画のキーワードとかのが重要と考えるようになるんだろうか。
それも認知症とはちょっと違う気がする。
ただ、だからと言って「忘れっぽい」と「認知症」に関連性がないとは到底思えない。一気に100にならなくても、10があり30があって100になるとしたなら、「忘れっぽい」が「0」とはとても思えないからだ。
でももし仮に、順番にステップアップしていくとしても、いわゆる認知症と忘れっぽいの間には、明確な「溝」みたいなものがある気もする。毎日こうして書いているブログだけど、例えば仮に20年後まで続けていたとして、僕が「完全にこれは物忘れが激しい人ではなく、認知症の人のブログだ」という日が来るんだろうか。ブログはともかく、日記を付けている人とかで、そういう「境目」が明確化されたりするもんなんだろうか。
よく先生とかバリバリに仕事してた人とかが、退職すると一気にボケが進む、みたいな話を耳目にするけど、実際プライベートが「食って寝るだけ」だった人であるならいざしらず、日頃から普通にひとりで、「ひとりを潰す」ことが出来ている僕みたいな人間が、
手持ちぶさたで不安定な時間をもてあまし、「脳の退化」を一気に推し進めた結果、認知症になる
という過程は、正直想像しづらい。絶対ないわけじゃないだろうけど、常日頃「飢えている」うちは、なんつか、「忘れっぽい」が加速しても、一気に「メモリーがゼロ」ということはない気がする。気がするだけで根拠なんて何にもないけど気がする。
でも、
メモリーの容量がどんどん小さくなっていくのは、それはそれで怖い。
不可避であることが自分自身でわかるだけに、より怖い。現時点で既にブログが始まった頃よりも僕のメモリーは大幅に縮小しているのを強く感じる。若い常連さん(もしまだいるとしたら)においては、僕以上にそういう印象を持っているかも知れない。
※もしかしたら「いつかはオレもこうなるのか?」と考えている人もいるかも知れない。
だが避けられない以上、受け入れるしかない。
・・・
映画を見る。面白かった。何年か何ヶ月かおいてその映画をまた見る。また面白かった。見たことがある映画なのに、まるで新作のような気持ちで楽しめた。でも、
映画を見る。見終わる前に、その映画のタイトルが思い出せないことに気付く。
そんな日が来ないとは言い切れないのが、「怖い話」というタイトルの理由。
つか人間の脳って僕が知らないだけで、もっといろんなことが発見されたり解明されたりしてそうだよな。何つか「この手の記憶は残りやすく消えにくい」とか「この記憶を残すにはこういう手順を踏むといい」とか。任天堂の脳トレみたいな子供だまし(大人だまし?)じゃなく、、あと「脳のしわ」って表現されるけど、ホントのホントはどうやって記憶が刻まれてるのかってちょっと思う。CDみたいに小さなつぶつぶなのかな、とか、デジタル情報としての0と1の繰り返しじゃまさかないだろうし、、、。
一度目耳にしたことは、記憶の中に格納される。だが、その格納庫の場所がわからなくなってしまうから、呼び出せなくなる。何らかのきっかけでその格納庫が浮上してくると、急に明るくなるように思い出せたりする。
比喩ならいくらでも出来る。
「人間の脳を作る研究」とかもきっとされてると思う。柴田昌弘の「ラブ・シンクロイド」でも、「スーパーリアルタイプのアンドロイドの脳」としてそれっぽい絵が出てきたし、SFでも定番のネタでもある。自分の記憶や性格、知識を、別の器に移す。どこでもドアやタイムマシンよりそれっぽいから、案外実現出来そうなニオイがちらつくけど、実際はその前に「脳に記憶が記録される過程」が完全に解明されないと、そんな「レプリカ」は作れるわけもない。逆説的に言えば、
その研究で、認知症を防止したり、記憶力を増幅したりすることが出来るようになる気がする。
つか身も蓋もないこと言うけど、
脳ってスゲェよな。
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