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2014年10月15日 (水)

狭いゲーム

最近PCの調子が悪い。いつ更新が途絶えるやも知れぬ。というかモンハン4G用に12日夜の分が空けてあるのだが、そこで途絶えてしまう可能性も零ではなかったり・・・。
※ちなみにこれは11日夜に書いている。

業務連絡終了。

昔はゲームのボリューム、「全100画面(バンゲリングベイ。つか今思ったけど、「バンゲ」のing形ってことは「バンゲしているベイ(港?)」ってこと?つか「バンゲるってどういう意味?)」とか「全150面(PC版ロードランナー)」とかが売りになったりしてて、最近でも「FUEL」とかオープンワールドのゲームで広さを謳い文句に入れてるゲームも少なくないのだけど、

 ふと気付けば、自分は「狭いゲームにこそそそられている」。

今日はそんな話をする。

●テラリア

ついこないだ、自分で作った面を人に遊んで貰って楽しいという話をしたのを覚えている人もいるかと思うのだけど、その際僕が何よりも気をつけていたのが、

 時間を無駄にさせないこと。

難しいのはもうどう難しくてもいいから、それに集中させたい。例えばロードや画面切り替え、メニューの開閉が遅くてイライラすることに関しては、テラリアは全く心配がない。しかし、自分でブロックを出したり消したりしながらマップをエディットする以上、

 自分の責任でテンポが悪くなることは許せない。

それはつまりは「無駄に広く」しないことでもあるし、「一つのエリアを何度も視点を変えて使い回しする」ことでもある。

念のために言うが、ドラクエのモンスターなどの「使い回し」と違って、僕の言うマップの使い回しは全く意味が違う。同じエリアでも、例えば持っている道具、スイッチ一つで攻略法や難度が激変するという使い回しだ。要するに、

 作り手だけでなく、プレイヤーも同じマップをプレイするのが嫌いではない

という発想だ。正確には同じマップでもルートやら何やらが違うわけだし、もっと言えば「より楽になる」という変化があってこその使い回しであるからして、作り手も遊び手も双方にメリットがある作りであるとも言えると思う。いわゆる、ウィ、、、フランス人な感じ。

●ゼルダの伝説 スカイウォードソード

これもまさにそんなテラリアで実践した価値観が根付いたタイトル。というか、今日紹介するタイトルはみなそういうところが多かれ少なかれあるわけだけど、

 そもそもゼルダは昔からそうだった。

一見木が並んでいて敵が出てくるだけの固定画面。でも、ろうそくがあれば、木を燃やすことが出来るようになるし、1マスだけ渡れるハシゴやら笛やら爆弾やらで、同じ画面から違う答えが出てくる。

何もないただの通路、ガンシューティングで言えば敵が一切出てこないエリア、ただ広いだけのマップ、見知った雑魚が見知った攻撃を繰り返してくるエリア、、、

 重要なのは、それがプレイヤーの任意なのか、作り手の任意なのかってことだ。

自分が同じマップを繰り返し遊びたいなら、当然同じマップだし、同じ敵が同じ攻撃をしてくる。でも、例えばシューティングで、1面も2面も3面もずっと同じ背景で、同じ敵だったら、、、

 インベーダーかよっ!

って感じに、とても残念な気持ちになってしまうだろう。ドラクエだってそうだ。最初は徒歩でしか移動できず、次はルーラで町単位の移動が可能になり、船でまた違うアプローチ、最後は自由自在の空の旅、、、。

 マップはどんどん狭くなっていく。

旅の往路と復路で掛かる時間が同じでも、体感時間に大きな違いが出るように、最初に訪れたマップは何があるかもわからないし、敵の攻撃もおっかなビックリ。でも二回目に訪れた時にはこちらから先手を打ったり、より効率的なルートで移動出来たりする。

 スカイウォードソードは、まさにそういう「知ってる楽しさ」をブーストしてくれる作りだった。

●ダークソウル

マップの狭さは、時として想定外とも言える攻略法を導き出してしまうことがある。
※それも含めてのチューンだったのではあろうが。

僕がダークソウルで好きな場面はいっぱいあるが、その中でも印象深いのは、

 イノシシのボスが階下で、後ろを向いてたたずんでいたシーン。

別に正面からじゃ怖いから別のルートを探したとかそういうんじゃない。たまたま僕が取った選択肢(ルート)が、ヤツの背後に出てくるルートだったというだけ。

 その位置からピシピシと弓を撃ち、ヤツは絶命した。

後々になってそのボスはまた別の場所で再登場することになるのだが、それまで、

 顔を見たことがないボス

という結構強烈にして痛快な記憶が刻まれてたんだよな。

ダークソウルからではない、キングスフィールドからの歴史でもあるが、巧みなマップ構造と仕掛けによって、どんどんショートカットが開通していく展開も痛快だ。「あそことここが繋がっていたなんて!」みたいな面白さ。「こりゃ別ルートを探した方がいいかな」と思える奥深さ。

 答えが一つじゃないと思えるのも、「狭いマップ」ならでは、という気がする。

●ピクミン

ピクミンは他のタイトルとやや違うというか、実際にはキャラの小ささ以上に、「世界そのものの大きさも」かなり現実より小さい。いや、小さいわけではないのか。登場する果物や雑貨が巨大で、言わば自分が小人になってしまったような世界。実際に踏破してもそれほど広くはないのだけど、

 リアルだったら超狭いよな、このマップ

という感覚が、よりその密度感というか、狭窄感を煽ってくれる

狭いということは「覚えやすい」ということでもあるし、覚えやすいということは、作り手として「複雑にしやすい」ということでもある。そして複雑なマップを覚えられるということは、そのまま「自分の庭」として愛着や親しみを抱くことに繋がり、繰り返しプレイする居心地を良くする。

 ・・・狭いゲーム、スゲェ・・・

●メトロイド、悪魔城ドラキュラ月下の夜想曲(以下ドラキュラ)

メトロイドは実際にはそれほど狭くないのだけど、ドラキュラを出す手前名前を挙げた。

このドラキュラのイカした「狭さ」は、何と言っても開始早々から「マップの全体像」が見えていることだ。確かに表示されるエリアに対して実際のプレイ画面は広い。だが、そこに終わりがある、ということが重要で、

 埋めていく楽しさを味わうことが出来る。
※これはメトロイドも同様か。

広くて先が見えないゲームでは、そのマップを埋めることもなかなか叶わない。もちろんその必要性がないように作られているし、そうする意味もないのだけど、

 埋め尽くした時の達成感、「制圧感」は、それはそれで心地よいもの。

実際には埋め尽くす直前に「裏面」が始まり、良い意味で「ヤラレター!」だったわけだけど、あらかじめ広さがわかってるというのも、ある意味「狭さの良さ」かな、とも思う。

●ライトニングリターンズ、ムジュラの仮面

同じ世界を繰り返し遊ばせるゲーム性のタイトルは、総じて傑作が多い気がする。とにかく飽きさせないような工夫が随所にあるし、何度も繰り返し見せる分、ディティールにも手が抜かれていなかったりする。ここで言うディティールとは、見た目だけでなく、「小さな変化」や、「ちょっと気になる点」みたいなものも含まれる。

朝と夜で違うセリフをしゃべるゲームも少なくない
※ドラクエも数作そうだし。
でも、もし「全員しゃべらなきゃならない」となったら、それはプレイヤーに大きな負担としてのしかかってくる可能性がある。

 それを「負担」にしないようにするには、変化によるご褒美が、労力に見合うものであること。

ライトニングリターンズはまさに「そういう作り」だった。他のゲームでは基本嫌いな広い砂漠ですら、本作では密度と変化で満たされていたからな。

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ここまで読んできて、これらのタイトルが楽しかったという方は、きっと僕同様に「狭いゲーム」が好きな人なんだと思う。というか、

 ぶっちゃけ好きなのは「狭い」ことではなく「高密度」なこと

だったりもするのだけど、実際高密度に作ろうと思ったら結果狭くなるわけだから、同じことだ。

よくハードが進化して開発費が高騰して、みたいな話を目にするけど、実際に重要なのはボリュームではないと思う。そりゃハイスペックを活かしたグラフィックは期待されるし、がんばって欲しいとは思うけど、ゲーム性、満足感、娯楽作品としてのアイデンティティを考えた場合、

 気持ちよさやモチベーションを途切れさせない遊び場作り

が凄く重要で、それは今隆盛を極めてるアプリゲームにも言えることだと思う。無駄に広いマップなんて誰も何も得しないもの。
※かといってアイコンでマップ移動だけってのも味気ないから、そこは見せ方次第だとも思うけど。

以前「7マスくらいの短い双六」の話をしたけど、つまりはそういうことなんだよね。重要なのは楽しいことであって、長いことじゃない。もちろん「長くて楽しければ」言うことないけど、プレイヤーみんながそれを望んでるわけじゃないってのも事実だったりするからな~。モンハンのことを言ってるんだけどさ。

なんだかいつも以上に支離滅裂でスマンです。つか読んだ人いるのか!?

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