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2014年12月20日 (土)

死に直面した話

結構シリアスなので、そういう話が嫌いな人はスルー推奨。

隣のスーパーがオープンするというので、花を出すかどうか聞きに言った際、建築の人が道路の方を向いて、「あ、、、」と言った。目を向けると、

 猫が「のたうちまわって」いる。

「のたうちまわる」というのは、物語や比喩表現としては割と目にする。でも実際に、リアルにのたうちまわる様というのは、かなりショッキングで、瞬間怖くなった。

でも、そのままほったらかしに出来るわけもない。かと言って目の前で激しく血を流しながらのたうちまわっている猫にオロオロするばかり。話していた人が、「このままにはしておけない」と、ダンボールを持ってきて道路脇に移動する。本当に申し訳なく思いながらも、

 「ごめんなさい、僕触れない、、、」

ちょっと泣いてた。だんだん動きが緩慢になっていき、時折ピクッピクッとけいれんするように動く。目は開いていて、一瞬合ったような気がした。

涙が出てきて、「なんまんだぶなんまんだぶ・・・」。手を合わせて成仏するように祈った。一緒にいた人も手を合わせていた。

 「人は死を前にしてウソを付けない」。

その夜たまたま無料本になっていた「海猿」の1巻を読んだ際出てきた言葉。もちろんマンガの中の話だし、マンガでは相手が人間ではあるものの、生まれて初めて直面する「死の瞬間」に、自分がいかに無力なのか、もう目の前の猫は「死ぬしかない」状態。病院に連れて行ったらお金が掛かるだろうな、とか、救急車を呼ぼうとかそういう次元ではない、まさに「いまわの際」にある状態。

猫は僕が昔飼っていて、ちょっとした拍子に生き別れてしまった「サツキ」というオス猫に似てた。白と黒で、毛並みは悪くないけど、首輪もしていない。野良かも知れないし、飼い猫かも知れない。もう子猫と呼ぶには大きくなっていて、オスかメスかはわからない。

 埋めてやりたい。でもまだ少し動いてる、、、。

本当に死んだかどうか、確認することも怖くて出来ない。死ぬその瞬間に居合わせる勇気がない。でも何もしないわけにも行かない。

一緒にいた人が、「地元じゃないので、保健所に連絡頼んでもいいですか?」と言ったので、「わかりました」と返事をし、その場を離れた。

保健所に電話すると、日曜だったこともあり担当は電話番のおじさんだけ。でもそれ以上に、「死んでるならここじゃなくて市役所の清掃課に、、」という。生きていれば保健所の管轄だが、

 死んだらそれは、猫ではなく、死肉になる。

これもまた最近目にした言葉。寄生獣の中で主人公がパラサイトに徐々に冒されていく中で、死んでしまった猫をゴミ箱に捨てるシーンで吐いた言葉だ。

 でもリアルにそういう場面に直面したとき、この子をゴミ箱に捨てるというのは、

 何がどうあっても絶対出来ない。人間なら絶対出来ない。

と思った。あと、作者もリアルにそういう局面に直面したことはないのだな、と瞬間的に感じた。もし実際に直面していたとしたら、

 人間の感性以前に、知識として良識として、ゴミ箱に捨てることは出来ないはずだから。

判断するポイントが変化するのではなく、知識、記憶が塗り替えられでもしない限り、「目の前で死んだ猫をゴミ箱には捨てられない」だろうと思った。

 でも僕はそのまま市役所に電話をし、清掃課の人に顛末を告げた。

 「同じことなのか」

保健所のおじさんが電話越しに僕に言った。

 「あなたに善意があるなら病院に連れて行ってあげて下さい」

善意はあってもお金はないよ、ちょっと思った。でも、それ以上に、

 連れて行ってどうにかなるレベルのケガを超えている。

もちろんこれが猫ではなく、人間であったなら話は変わってくるし、対処も違うだろう。でも、言える事は一つ。

 人は死を前にしてウソをつけない。

言い換えれば、もしも人間だったとしても、本当にリアルにその状況にならなければ、自分がどう振る舞うのかなんて、

 全くわからない。

猫の死体が車に何度も轢かれているところを目にした事がある。何度かある。でも一度も土に埋めた事はない。かわいそうだなぁと思う自分と同時に、自分には出来ないとか、

 面倒という気持ちも絶対ある。

たぶん清掃課の人は、動物の死体を処理する事が初めてではないだろうと思う。でも、慣れるものなのかどうかはわからない。自分の飼っていた猫にそっくりな猫の死体を、生ゴミとして処理することが平気になるのかどうかわからない。それに、

 僕たちは牛肉も豚肉も鶏肉も、普通に毎日のように食べている。

この件のあと、肉が食べられなくなったということはないけど、

 家に帰って、カンナ(愛猫)をめちゃめちゃなでまくった。

でも彼女は今日も外に出て行く。どこか僕の知らないところで車に轢かれるかも知れない。どこか知らないところで誰かがダンボールに乗せ、道路脇で死を迎え、清掃課の人が生ゴミとして処理する日が来るのかも知れない。

以前の僕は、そういう日が来ても、涙は流れないのではないか、と思っていた。自分の意志で自由に気ままに散歩出来る方が、家の中に閉じ込めておくよりも絶対幸せだろうというかみさんの選択に、僕も同意したし、それはつまりは「死を覚悟する」ことでもあると思ったからだ。

でも今回の件で考えが少し変わった。

 その時が来てみてみないと、自分がどうなるのか、見当が付かない。

お腹の上で気持ちよく眠る(ちょっと重い)カンナを見つつ、結局人間は自分勝手な生き物だよな、と思う。なでたいからなでる。飼いたいから飼う。少しでもカンナが、

 クリスんちにもらわれてきてよかったニャ

と思っていてくれると信じたい。

・・・死んじゃった猫の冥福を心から祈りつつ・・・

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