全く使わない物
全く、ということはないにしても、ここ数年手を付けてない「趣味の物」がかなりある。子供の頃からそれなりに物欲があり、それなりに恵まれた環境であったため、マンガやらプラモやら雑誌やらゲームやらが、それなり以上にストックされている。
実家にある物や、そのまた屋根裏にある物なんかは、
僕が死んでもそのままなんじゃないか
という物もあったりするのだけど、
僕が死んで50年くらいして覗いた時、江戸時代の店の看板やら価値もない骨董品やらと一緒に、テレビランドの付録に付いていた「仮面ライダートランプ」とかが発掘される日が来るのかなぁ
と思ったりもする。
だがまぁそっちのブツはともかくとして、普通に今暮らしている寝室にあるブツ。軽く振り返ってみる。大きく分けて「本」「プラモ」「レゴ」「ゲーム」と、あとはコントローラーやケーブル類、ポケモンカードなど。ポケモンカードなんかは、長男の分も押し入れに入っていて、相当数集めてたから、例えば今からルールを覚えて遊ぼうという人がいたとしても、普通にそこそこフレキシビリティの高いデッキを組めるくらいは持っている。
生涯使う機会がなくとも、そういうセットをうっちゃるのは抵抗がある。
それこそ僕らが死んで何十年、いや、何百年後かに発掘され、「このカードはどうやって遊ぶんだ!?」みたいなことが起こりうるかも知れない。
「ポケモンカードの遊び方」の本も一緒に埋葬しておこうか。
別にまだ死んだワケじゃないからな。
●本
主な内訳は、マンガ、雑誌、攻略本。っていうかそれで100%。昔なら本棚に綺麗に並べて、いつでも好きなときに読めるような体制を整えていたのだけど、
プラケースに入れ始めたらおしまいよ?
全巻買ってるはずのものでも、全巻まとめてしまってないから、ホントにバラバラ。価値がないうんぬん以前に、読み返す気にもならない。中には当然のように面白かった物もあるのに。
最近もまた少し買ったりしてるけど、昔より「実物の本」に対する執着が減ったなって最近思う。というか、「煩悩寺」を3冊ネットで買ってみて、
しみじみスマホで読むのは気楽で良いな
と思った次第。何つか、「再読性が高い」こともあるけど、リアルな本よりも物理的に距離感が「今の僕には」取りやすい。つまり、「めがねを外すとちょうどよく見える視力」になっている。
※実物だと、メガネなしでは大きすぎるんだよな。
だからしばらく前にちょっと触れた気もするけど、マンガを裁断してスキャナで取り込んで、全部デジタル化するのも「かなり」魅力的かなぁって思う。昔なら友達とか子供とかに貸す貸さないって話があったけど、今はそうも貸し借りする相手がいるわけでもないし、ケースの中でバラバラに収納されたまま来世まで持ち越されるくらいなら、スキャンしてPCに入れちゃった方が、変な話日の目を見る機会も増えるんじゃないか、と。
攻略本や昔のゲーメスト、ホビージャパンとかも、今だとほとんど読む事はないんだけど、デジタル化すればまた違うのかなぁって思ったりもする。特にメストやBeepなんかは、
いつ開いても懐かしい気持ちになれる。
そういうのってやっぱ捨てるに捨てられないんだよな。
攻略本は、、、もういいのかも知れない。たぶん死ぬまでにソウルハッカーズとかシャイニングフォースとかをやることはない気がするもの。何となく寂しいけど。
マンガはともかく攻略本は捨てるか廃品回収に出すくらいしか行き場はないだろうな。ちなみにゴミ処理業者に持って行くと、「1kg4円」で買い取って貰える。それが嬉しいかどうかは別として。
●プラモ
小中学生時代に買ったプラモは、まだ実家の押し入れに眠っている。つか、
永眠している
今住んでるところの押し入れにもいくつかの小物があり、
MGのサザビー
PGのガンダム
PGのザク
PGのZガンダム
PGのストライクガンダム
がある。つか書いてて思ったけど、このまま放置するくらいなら、いっそのことパチパチとサクサクと作ってしまうのもいい気がしてきた。本音はコックピットの中くらい塗装したいとか、ゲートくらいアートナイフで綺麗にしたいとかあるけど、そんなこと言ってたら絶対作らないし、たぶん売ってもそんなに伸さない(と思う)。
サザビーはともかく、他のアイテムにはそれなりにエピソードもある。
1/60のガンダムは、当時購入した記憶がない。PGのマークIIは凄く達成感と満足感があり、作ったあとも動かしたりポーズ付けたりしながら楽しんだけど、ガンダムも「あのレベルの」大きさかと思うと、やっぱちょっとテンションが上がる。友人Tが実際に組み上げた物を見せてくれたりもしたけど、ほぼ記憶にないし、どれかひとつ作るならこれかなぁと思ったりもする。
ザクは何と言っても「動力パイプが面倒」。コレに尽きる。ひとつひとつバラしていくのも当然面倒なんだけど、順番とか向きとかもありそうで、綺麗になるかどうかも、想像しただけでちょっぴり憂鬱になる。
でも組み上げたとき、普通にかっこよさそうな気がするのもまたザクのロマン。当時の1/60はシャアザクを買った記憶がある。1/72のメカニックザクも記憶がある。ほとんど動かない石像のようなプラモだったけど、やっぱり足とかバカデカくて、他のスケールにはない満足感があった。作るならこれかも知れない。ちなみにツノは当然付けるタイプ。・・・つか付いてるのか!?
Zは6才下の親戚のK太が誕生日かクリスマスかなんかに買ってもらって、なんだかよくわからないままに僕がそれを組み立てる事になった記憶がある。とにかく顔とか手とかがクソデカイ印象で、
※モビルスーツはあるときグッとスケールが小さくなった時代があったと思うのだけど、Zはまだ十分デカかった。
1/60ってこんなクソデカかったか!?
と思った。PGならそこに精度、プロポーション、そして何より変形ギミックが加わり、作り終えたときの達成感もひとしおだろう。Z自体にはさしたる思い入れはないが、当時を振り返りつつ、技術の進歩を感じるなら、やっぱりこれしかないという気がしてくる。
ストライクは何と言っても「気軽に作れそう」と言う事に尽きる。フレームとかの内部構造も最初からそこそこ作られてるっぽく、ともすればトイに近い印象すら受けた。大きさもガンダムとかよりは小さそうだし、ここ数年プラモに触れてない自分がアタックするなら、この気軽さがもっとも有力なアドバンテージになるだろう。コレを作ろう!
・・・
たぶん作ることはない。
●レゴ
プラモ以上に気軽に作れるようでいて、
※ニッパーすら使わないので。
その実、開封したら価値が下がるとか、パーツをある程度分けてから作り始めないとえらい苦労するとか、一度作ったヤツをバラすのが殊の外大変だとかで、
作らない理由を探す方がずっと簡単。
それでもたまにネットで「超スゲェ作品」を見つけたりすると、胸のワクワクがとまらなくなる。また何か作りたい気持ちが溢れてくる。それはオリジナルとは限らないし、オリジナルでもいい。
何ならまた何か買ってきてもいい。
・・・それじゃまた作らないだろって話だけど。
ブログの容量がかなり切迫してきているので、画像を貼れないけど、今日見たいくつかの作品のリンクを貼っておくので、興味がある方は見てみてちょ。
レゴって、、、もうレゴじゃねぇなコレ・・・
って思うことウケアイだから。
・X-WING
https://www.flickr.com/photos/129756902@N08/16309041845/in/photostream/
もとからあるキットのアレンジなんだけど、僕が持ってるUCS(アルティメットコレクターズシリーズ)のX-WINGはこんなかっこよくない。つか、僕が今まで見た全てのX-WINGの中で一番かっこいい気すらするわ。劇中含めて。
・LEGO Physics
https://www.youtube.com/watch?v=DKfU_0FjHJI
規模は大きくない物の、レゴで「スペースワープ&ドミノ」をやってる作品。何つか、「やろうとすればここまで出来るんだ」と感心するコトしきり。スゲェなぁ。でもってうらやましい。その想像力と創造力。そしてパーツを手に入れる情熱と、あと財力が。
・エイリアン2
https://www.flickr.com/photos/76272331@N05/11521638954/in/set-72157634379969998
懐かしくも凄い規模のジオラマ。エイリアンがいなくても十分凄さが伝わってくる。特に右の宇宙船がかっこいい。手前のエアロックも懐かしい。そうなんだよな~と。ここでクイーンと戦ったんだよな~と。
・Lucifer’s Advocate ? A Hot Rod to Hell
https://www.flickr.com/photos/lino_m/15462389863
元ネタを知らなくても、ただ純粋にかっこいと思った。色彩感覚、曲線と直線のハーモニー、レトロの中に洗練さがあり、蒸気のモコモコに茶目っ気も見える。うーむかっこええ!こういうオリジナル作品を見ると「プロの腕」みたいなのを感じるよ。
・You can never have too many Canadarms
https://www.flickr.com/photos/jason84/16045969812/in/photostream/
これもオリジナルかな。ロボット系はどうも「ひとりよがり」というか、かっこよさが第三者に伝わりにくい作例が多い気がするけど、これは別格。「中の人」がまずかっこよく、「外の人」の「指」とかもうウットリ。市販されてたら買いたいくらいだもの。
・ビルダーのサイト
https://www.flickr.com/photos/88574960@N02/with/8508642047/
https://www.flickr.com/photos/88574960@N02/8508641921/in/photostream/
特に二つ目のリンクにある時計塔のジオラマが凄すぎて凄すぎる。写真下のサムネイルを一つ一つ見ていくと、この作品がいかに大きくそして精緻で、見所満載過ぎることがわかる。っていうかお金出すから近くで見せて欲しいと思う大作。プロってスゲェ。
・・・
いや~目の保養になった。もうおなかいっぱいだから作るとかいいや。
●ゲーム
ファミコンから実質実働していないゲームキューブまでのハードと、ソフト。全てが動くとは思えないが、
※特にディスクシステムと、アーケードの基盤
このまま死蔵したままだと、ホントに僕が死んだら「捨てられるだけ」な気がする。
つっても僕以外の誰かの手に渡ったとしても、そこで死蔵されるだけなのかなぁとも思うから、特に誰かに譲りたいってことはないし、もっと言うと「動かせるところまで持って行くのがまず大変」。押し入れの中のダンボールから出して、カセットとケースと説明書がそれぞれ別になってたりするのをひとまとめにするのも大変だし、
※たぶん箱とかも概ね取ってあるはずだし。自分で買ったヤツは特に。
ACアダプターやケーブルを探すのも大変。そもそも僕は家庭用ハードを「S端子」で接続して遊んでたから、今のテレビではそれすらないんだよな。
S端子の付いた液晶モニターとか今でも売ってるんだろうか。
なんだか切なくなる感じだよな。
正直バーチャルコンソールとか、プレステアーカイブスなんかで、過去の作品の多くが今のハードで遊べるようにはなってきつつあるけど、当たり前の話そんなのは氷山の一角で、本当に遊びたいタイトルは、やっぱりまだ実機だけだったりする。
ただそれでも、例えば新作ゲームが続編ばかりなように、任天堂がムジュラを3DSでリリースするように、コンテンツの抜本的枯渇に対する答えとして、過去の全てのゲームを、クロスプラットフォームで実働可能なところまで持って行こうという計画が、
なくはないと思う。
時代は繰り返すもの。ゲームボーイミニのように、いつの日か、ゲームキューブやドリームキャストのタイトルが、携帯ゲーム機で普通に遊べてしまう日が来るのかも知れない。そういう日が来たら、
ホントに僕が死蔵してるゲームは価値を失うのかも・・・
まぁマニアはいつの世もいるだろうし、実機は実機なりの良さがあったりもするからな。
それが遊べるテレビが本当に死滅しちゃったとしても。
つか、本にせよゲームにせよ、「捨てたいわけじゃない」んだよな。ただ、今後の人生で、一度も封を開けないダンボールが、今なお押し入れの中にありそうだって話がしたかったわけだよ。
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