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2015年6月27日 (土)

ゼノブレイドクロス~その31~

 ★今回のネタは、割と本作を知らない人でも読めると思う★

しかし本当に飽きさせないタイトルだなぁと思う。毎日のようにドラマがあり発見がある。まさに「未開の惑星ミラ」を探索するかのように。

みなさんは登山(山登りでもいいけど)をしたことはあるだろうか。僕は高校の時と子供が出来てから「標高358m」の地元の石巻山という山に2度登ったことがあるだけ。それが僕の中の山登りの経験の全てだ。

だから、リアルに登山、たとえば富士山とか1000m級の山に登ったことがある人の、本当の気持ちや感想は全くわからない。だけど、

 ゼノブレイドクロスは、たぶんコンピューターゲームの中で、最も「登山っぽい気持ち」を伝えることが出来るタイトルだと思う。

時に登山とは人生にたとえられることがある。山あり谷ありで、苦しいところの方が緩やかで穏やかなところより多く、頂点を極めたらあとは下るだけ、頂点を極められず挫折してしまうことも多いし、ちょっとしたミスが取り返しの付かないことを招くこともある・・・。

ご存じの通り本作は決して「登山のゲーム」ではない。未開の惑星ミラを探索し、原生生物やエイリアンと戦闘をし、ここで生活していくために、まぁいろいろがんばるゲームだ。

探索・戦闘の手助けとしては、高速移動可能な車両モードに変形するドールと呼ばれるロボットがあり、その大きさや挙動は、映画エイリアン2に出てきたパワーローダーを一回り大きく、機敏にした感じ。見た目はジャパニーズロボットアニメの系譜そのまんまで、僕の感性では可もなく不可もない。種類は豊富で、武装やカラーリングはかなり自由度が高く設定出来るようになっている。

僕のプレイは、そのドールを取得するタイミングを「著しく」遅らせたものであった。まずは人間の足で、行ける限りのところに行き、世界の広さ、美しさ、そして厳しさを
※ドールで戦うことを前提とした巨大な生物も多い。
これでもかと堪能した。「もう十分だ」と感じたからこそ、ドールを取得し、その世界をより広く高く味わうことにしたのだ。

物語を進めることで、将来的には空すら飛べるようになるドールだが、そうなるまでのソレは一言で言って、

 「乗り物」という呼び名が一番しっくりくる。

特に僕のように「人間のままで強さを限界まで極めた(自己申告)」者にとっては、初期のドールの火力は到底人間のそれには及ばないし、装備名が全て英語表記になるハードルも高く、

 戦闘兵器としての需要は皆無

であったと言っていい。実際人間で倒せないほどの強敵は、今のところほとんどいなかったし、もしいたとしても、そいつが「免許取り立ての若葉マーク」に何とか出来るとも思わない。

しかし、ことの乗り物としてのポテンシャルは、初めて自転車を手に入れた子供や、友達と近所の海まで意味もなくドライブに出かけた十代の頃を思い出すような、

 一つ上の世界

を見せてくれる。それは単純に移動の早さや、海での行動の利便性にとどまらず、「これまで行けなかった場所」へ導く、「夢のチケット」でもあった。

前回話した「天昇の滝」、夜光の森最奥部への到達も、まさにその恩恵であったし、今回挑戦した「マウントエッジ登頂」もまた、裏には明確なメリット
※最高レベルの宝箱を開くためのスキル取得に必要
があってこそのものではあったのだが、

 いざ登っていくうちに、その(メリットの)ことを忘れ去っている自分がいる。

まさに「山があるから登る」、そう思い始め、目的が「登頂すること」に変わる。これは間違いない。なぜなら僕が登山の途中で、

 もうダメだ、登れない。諦めるしかないのか、、、

と思ったとき、そこに「メリットの享受不可」は微塵も浮かばず、「山頂まで登れない」という悔しさだけで満たされたから。今思えば「登らなければ手に入らないもの」があったっけ、というくらいだ。

しかし、僕が本作を「最も本物の登山っぽい」と言ったのにはいくつもの理由があり、その一つには、

・あまりの辛さに投げ出したくなる度合いが強い

というものもある。そもそも僕みたいなへっぽこが登山ウンヌンを語るのもどうかとは思うが、実際山に登るのは辛いことだと思う。単純に疲れるし、足を滑らせてズルズルと滑り落ちてしまう怖さもある。

 たかがゲームなのに?と思われるかも知れないが、そうではないのだ。

まず大前提として、本作には(さっきも書いたけど)「空を飛ぶ」という要素がある。確かにこのマウントエッジのてっぺんにたどり着くということは、すなわちそこでひとつアンロックされる要素があるということではあるのだが、ぶっちゃけ苦労して時間を掛けて10合目から登って行かなくても、話さえ進めれば誰でも容易にてっぺんに飛んでいくことが出来るのだ。

 それこそどこでもドアを使うかのごとくお気軽に。

だから、何も好きこのんで「飛べない(フライトパックのない)ドール」や、人間の足で高見を目指すことはないと言えばない。そしてそれは、

 ゲームとしても「普通にそれが出来るようにお膳立てしてある必要もない」ということなのだ。

つまり、

 もしかしたら一番上まで登れないかも知れなかった。

それを達成した初の登頂者であり、動画をアップしてくれた流琴imaさんの偉業は、凄いとしか言いようがないが、

 それまで誰も出来なかったことが出来る人がいたからと言って、誰でもがそれを気軽に踏襲出来るとは限らない。

当たり前の話、ある人が初めてエベレストに登頂成功したからと言って、じゃあ誰もが簡単に登れるわけじゃない。そもそも簡単に登れるのなら、「空が飛べるようになってから初めて、、、」とする意味もないし、みんな気軽に登っていただろう。砂場の山や滑り台ではないのだ。

 それでもゲームなんだし、動画さえ見れば、やっぱり簡単なんじゃないの?

そう考えても仕方ない。しかし、実際に見ると凄くよくわかるのは、

 まるでバグか誤動作を利用してるとしか思えないような「難所越え」がいくつもあるのだ。

確かに、いざ登頂に成功する様を目の当たりにすると、それは「最初から登れるようにプログラムされていたんだろ?」と思わずには居られないし、事実前回の天昇の滝も、今回のマウントエッジも、「そう作られていた」とも思う。

 だが、それは誰の口からも語られることはなく、「結果がそうさせた」に過ぎない。

「登り切ったヤツがいたから、そう作られていたことがわかった」に過ぎない。見た目に一切出っ張りのない登坂角度80度の斜面に、「立つことは出来ないが変形することは出来る一瞬の隙」があることなど、誰に想像が出来るものか。

 登っている人にしかわからない険しさと、謎に満ちている。

マリオのような2Dサイドビューならば、「ギリジャン」と言えばドット単位ギリギリでジャンプすれば届く距離という話になる。しかし、ポリゴンの立体で構成された「半リアル」な箱庭世界は、距離だけでなく角度や強弱も3次元(=3D)で影響してくる。

 見たままを実践することが、極めて難しく、その難度の高さこそが、

 「山を征服する」という達成感にもつながる。

「本物の登山っぽさ」は他にもある。

まず、本作では1キャラクターあたり複数のセーブファイルを持つことが出来ないため、もし登山を始めたら、他のことは一切出来なくなる。給料があるから取りに来いよ、と言われても取りには行けないし、途中でちょっとモンスターと戦いたいな、と思っても戦いには行けない。もちろんゲームだからポーズもセーブも出来るが、一度登り始めたら、

 選択肢は二つしかない。「登り切る」か「諦めるか」。

ゲームだから滑り落ちても死ぬことはないが、そこでデータをロードして、元いた場所に戻る所作に、結構な時間を要するという点でも、ある意味「失敗に重みがある」という点でリアルだ。確かに現実の命を失うことはない。

 だが、1つジャンプを失敗するだけで、「僕の人生の2分ほどが失われる」ことにはなる。命は失われないが、「命の一部」は失われる。

リスタートが軽快で一瞬なテラリアやマリオとは、「重み」が違う。「忍耐力」という、およそゲームには不似合いなキツさが、そこには確実に存在する。

そういう意味では、本作の仕様上、「空が飛べるようになることでジャンプが使えなくなる、つまり今僕がやっているような登山は出来なくなる」というのは、むしろ正解なのではないかとすら思えてくる。

氏の動画を見ると、「ジャンプも残しておいて欲しかった」とか「切り替え出来ないなんてクソ」みたいな第三者のコメントが、結構頻繁に見られたが、

 ぶっちゃけあまりにもキツ過ぎて、これをきっかけに本作のことを嫌い、もしくは投げ出してしまう人が出てきても不思議じゃないレベル。

「投げ出したくはない」が、「あまりにもキツい」という二律背反のせめぎ合いは、間違いなく本物の登山で、志半ばに下山する人のそれに近いものがあると思う。何度も諦めて投げ出したくなって、眠さに負けそうになって、「もう二度とやりたくない」「何でオレはこれに登れるって思っちゃったんだろ」と自問自答を繰り返す。

 ホントにリアルに。

「登れた人がいたからって自分も登れるとは限らない」。さっき書いたことだけど、やっぱりどこかで「ゲームなんだから同じように操作すれば何とかなるんでしょ?」と思ってた自分もいた。

そしてまたこれもリアルというか、シビアな点として、

本物の登山には天候や季節による登頂難度の差というものが存在する。本作には風速による挙動の違いはないが、砂嵐や濃霧などで視界が著しく悪くなることはあるし、「いつでもセーブ出来る」という仕様は、時にある人が「たまたま100回のうちの1回が来て、クリア出来てしまった箇所」に、99回挑んでなお失敗してしまうという、

 難度のムラも存在させる

リアルな登山であっても、たまたま湿度が高く足場が滑りやすくなっていれば、快晴微風の最高なコンディションの時とはきっと難易度が全然異なるだろう。ゲームだから「まんま」とは言わないが、それに近い感覚の「個人差」が、(狙ってか狙わずかわからないが)再現されている。

見える世界がどんどん遠のいていき、広くてどこまで進んでも終わりが見えないと思われた平原は、視界に全てスッポリ収まるほど小さくなっていく。眼下に見下ろす地上はあまりにも自分が高いところまで登ってきてしまったことを感じる「高所感」にあふれ、実際高所恐怖症の人には、それがゲームであることを忘れさせるほどリアルな感じを与えるに違いない。

 山頂からの景色が見たい!

時折上を見ると、あまりにもてっぺんが遠く、動画の進捗がまだ半分にも満たないことに恐怖すら覚える。「まだ4合目なのか・・」そんな感覚もきっとあると思う。「難所はまだまだこれからですよ!」ガイド(動画)が笑顔で僕に言う。「ここまでだって大概辛かったですよ!?」と僕。

 なんだか本当に登山してるような錯覚にすら陥る(マジで実話。

同じ場所で1時間以上とどまり続けたこともある。それも一回や二回じゃなく。「あと5回挑戦してムリなら、今日はもう諦める」そう自分に言って、5回目の失敗のあと、

 ん?もしかしてこっちのルートじゃない方がいいのか?ちょっと試してみるか。

そのときの僕には眠気が不思議なほどなくなっている。

 俗に言うクライマーズハイというヤツである。

そしてその判断が正しかったことを知ったときの満足感がたまらない。メリットとかご褒美とかそういうのは一切関係ない。ただ目の前の難所をひとつ越えられただけで、小さなガッツポーズが僕の拳に宿る。

この俺物語も中盤を超える頃になると、どんどん理詰めで解法を求め出す自分も出てくる。

 「もし自分が作り手なら、、、」

 「運とかバグとかじゃなく、必ずどこかに道があるとしたら、、、」

変形したドールの「バイク形態」の挙動、北壁の角度、ジャンプの位置、、、。イメージと失敗を幾度となく繰り返し、最終的に、動画とは全く別のルートでその難所を越えたとき、

 その登山は、僕自身のものになる。

 諦めなくてよかった、がんばり続けて本当によかった。

誰がほめてくれるわけでもない。誰に迷惑を掛けるでもない。ミーバースに「ここがどうしても登れなくて、涙で夕日がにじんでる」って書き込みをする。セーブとロードを繰り返すから、ゲーム内の時間はそれほどは経過しないが、リアルな時間はたぶん登り始めて8時間近く過ぎている。

僕は最後の難所を越え、後は目の前に一段普通にジャンプをすれば届く「頂点(てっぺん)」の岩があるだけ。

 大きく息を吸い込み、慎重を十枚重ねくらい重ねて、、、

 僕の操るドールは、マウントエッジのピークを制した。

ゲーム内の時間は深夜2時過ぎ。僕の背中には大きく丸い月が光ってた。

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ゼノブレイドクロスの評価を★★★★★に上げる。▲▲▲▲。

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コメント

なんだこの名文

私は挫折しましたが、書いてあることはわかる気がします

投稿: | 2016年2月 9日 (火) 14時58分

お褒め戴き有り難うございます。
久々読み返したら、、、

 長っ!

我ながらクライマックスにもっとウェイト割けばよかったと思ったり。でも息切れしちゃってこんな感じになっちゃったのかとも思ったり。いいゲームだったな~。

投稿: クリス | 2016年2月 9日 (火) 23時08分

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