死ぬことについて
まぁ死にたくないし、今のところ予定もないのだけど、たまに友達で死んじゃったヤツのことを思い返したりする。
・・・
死んじゃうとどうなるのかはわからない。生まれ変わるとしても、その記憶は残ってないし、天国とか地獄とかに行くと言われても、
どんだけにぎやかいんだよ!?
って気もする。
何にも無くなっちゃう
言葉にするとチープだけど、死んじゃったらホントに何にも無い。
・痛いこと
・苦しいこと
・かゆいこと
・眠いこと
・悩み
・心配
・不安
これらもないけど、
・楽しいこと笑うこと
・あったかい幸せ
・涼しい幸せ
・美味しいと感じること
・面白い映画
・大好きなゲーム
・達成感、緊張感、爽快感、高揚感、満足感
・マンガも本も
・野球やサッカーもできないだろうし、
・タバコやお酒も飲めないし、
・女の子といちゃいちゃすることもない※今もないけど。
今ドラクエのすぎやまこういち先生は80歳とか超えてると思うけど、
僕の方が先に死なない保証はない。
子供の頃「何作目まで生きてるかな」って思ってたけど、
それは自分にも言えること。
未来のドラクエ・FFが遊べなくなるのは普通に切ないと思う一方で、二十歳そこそこで死んじゃった友達たちは、PS4どころかPS3のゲームも見たことがない。スマホもLINEもiPhoneも知らない。芸人はナインティナインやロンドンブーツすら知らないかも知れない。青色ダイオードも薄いテレビも花粉症も知らない。
いろんな美味しい物を食べずに死んじゃってる。
でもってそれを伝えることも出来ないし、伝えて貰うことも(自分が死んだら)出来ない。
死ぬのって怖いよな、と思う。
ドラゴンボールや北斗の拳の連載が終わる前に死んじゃった人とか、結末を読んでないんだよ?っていうか来週号が永遠に来ない。AKBもももクロも知らないし、タイタニックも千と千尋も知らない。アナ雪も知らないし、食べるラー油も食べたことない。
・・・
死ぬってことは、未来を完全に失うってことなんだよな。結婚したり子供が出来たり、その子供が進学したり就職したり、結婚式にも出られない。孫の顔も見れないし、逆に親の死に目に会わずに済むってことはあるけど、それはそれで最高の親不孝だもの。
明日の夜楽しみにしていたテレビ、来週遊ぶ約束、ディズニーランドももう行けないし、スターウォーズの新作も見れない。飼い猫や飼い犬をなでることも出来ないし、
もし生きながら全てが無くなるとしたら、スゲェ怖いよなって思う。
つまり刑務所に入るってことはそういうことに近いってことなんだけど、
考えることが出来るだけでも全然違う。
たぶんペンを取り、文字を書くことは出来るだろう。自分の言葉を紡ぐだけで、僕だったらそれなりに楽しく生きられる気がする。
でも死んだらそれも無理。
いじめられることとかもないけど、ほめられることも、喜んで貰えることもない。
・・・
もし死んでしまうとしたら、「未来を全て捨てられる覚悟」が出来てないと「笑顔にはなれない」と思う。つまり、来週のジャンプも、年末の映画も、来年のゲームも全て「やらなくてもいいか」と思える時。子供や孫、両親に対する心配や不安がなく、「未練」が一切無い状況で、苦しみや痛みがない「死んだあとの未来」を穏やかに迎えられる日が来て初めて、「笑顔で死ねる」気がする。
そんな日、ホントに来るのか!?
今の60歳は、30歳の頃と同じかっこうをしてると言われる。おじいちゃんおばあちゃんの見た目が、30年前とは全然違う。考え方も責任感も違うし、年下の者に対する口調や態度も違う。体と心の成長≒老化のペースが、時代の流れと共に変わっていく。
昔なら「安らかに死ねた」年齢でも、今は未練があるかも知れないし、僕が死に直面する可能性が高まる20年、30年先は、今よりもっと「死が辛く」なってるかも知れない。SFじゃないけど、「死なずに済む方法」が発明されるなら、きっと発明した人はノーベル賞だろう。青色ダイオード以上のギャラを貰う資格があると思う。
でもそれって全人類平等じゃないんだろうな。お金持ちとか科学者とか、「ごく一部の人」だけが「未来を手に入れる」ことが出来る。
でももし本当にそういう未来が来ることになったら、逆に「今を生きる幸せや大切さ」を、みんなが噛みしめて、「限りがあるからこそ人生は素晴らしい」みたいな考え方になっていく気がする。
人間は自分が正解だと思いたい生き物だから。
でもそれって結局は「言い聞かせてるだけ」なんだよ。やっぱり死ぬのは怖いし、思ったからってすぐ人生を素晴らしくすることなんて出来やしない。
今出来るのは、今出来ることだけ。
今出来ることを未来にも出来るようには出来ないし、未来にならないと出来ないことを今出来るようにも出来ない。学校とかで「今日できることを明日にやるな」みたいなのって、ホントだと思う。でもって、
その積み重ねの先に、きっと「満足の人生」が待ってると思う。
そう信じたい。
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コメント
人生はロープレゲームと同じではないですか。難易度=やりがい=楽しさ。そして、ゲームを楽しんだものは続編をまた買って楽しむ。ロープレは本質的にロープレですから、貴方がFFシリーズを次々と楽しんだのなら、人生も死んだら終わり。じゃないですよ。そして、次はあっても次のことを考えるより、今のゲームを自分なりの遊び方で楽しむことですよ。多分自分で選んだゲームですよ。
投稿: ゲーム屋 | 2015年6月17日 (水) 21時35分
こんばんはゲーム屋さん、クリスですども。
コメントは嬉しかったのですが、正直意味がよくわかりませんでした(汗。というか全くわかりませんでした。10回くらい読みましたが、やっぱり意味が分かりません。すみません。
投稿: クリス | 2015年6月19日 (金) 01時42分
クリスさんどもです
寝る前だったので日本語になってなくてすみません
訳
ロープレは人間が(どんなに不完全でも)世界を作ることに等しい!
なら逆に人生は根本的にロープレと同じ?
ロープレもシリーズ物なら何度も遊べるし人生も何度もあるかも
ゲームはたくさんある中から選べるけど我々も選んだのかもしれない
「犬3」飽きたから話題作「人間」をやってみよう!
じゃベトナム人・男・エリート家庭にしようとか
課金できないから厳しい条件しか選べないけどとにかく「人間」やりたい!とか
むしろハードモードしかそそらない!とか
うーんこれは…ゲーム脳って怖いですね(--;)
投稿: ゲーム屋 | 2015年6月21日 (日) 19時32分
感情的になってるわけではないようで少しホッとしたり。でもまさかまたレスもらうとは思っても見なかったり・・・。
どもですクリスです。
前回より多少わかりましたが、
>我々も選んだのかも知れない
選んでないでしょ!(^^;
選んで人間になった人はいないと思いますよ。その都度チョイスはしているけれど、コンピュータゲームの物語を作ったり選んだりするのとは全く違うと思います。
僕が読み違えてなければ、そういう返答になりますかね(^^;
コンピュータゲームのRPGは確かに人の手によって作られたものですが、僕らの生きている人生は、「作っているわけではなく」「常に選択を繰り返しているだけ」だと思います。だから、
僕がどうがんばっても、ゲームを作ることは出来ない。つまり、ゲームと人生は全く違う
と思います。もっと言うと、映画やゲーム、小説などの創作物を作れる人であったとしても、その人自身の人生をその人の手で「作り直す」もしくは「思い通りに作り上げる」ことは出来ないわけで、やっぱりゲームとリアルは違うと思いますね。これは諦めとか達観とかではなく、当たり前に思うことです。それこそ、ゲームの中でいくらお金を貯めても、僕はお金持ちにならないし、
※一部のRMTは、もはやゲームではなく、職業の一種だと思っていますし、それで「大金持ち」になるには、リアルな仕事で大成するのと同様のスキルや努力が必要だと思いますしね。
時間経過のスパンも違いますよね。
ゲーム屋さんがおいくつかわかりませんが、ゲーム歴はたぶん僕の方が長いと思います。
※「ポントロン」くらいからですので、コンピュータゲーム歴は42年くらいです
その過程で、RPGやアドベンチャーなどの進化を見ていると、やっぱりゲームとリアルは全く別モノだなぁと思うようになると、僕は思うんですけどね。
なんだかよくわからないですね(^^;。
投稿: クリス | 2015年6月21日 (日) 22時36分