通夜の挨拶
※これはガチのヤツなので、重いのが嫌いな人はスルーして下さい。逆に、オフの僕や親父を知ってる人は、読むと多少なりその時の空気が伝わるかも知れません。
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本日はお忙しい中、父の通夜にご参列・ご焼香賜り、誠にありがとうございます。
通夜のご挨拶としては、不適切かも知れませんが、その瞬間のことを文章に残しましたので、ちょっと長いですが、お話させて頂きます。礼節に反したこと、お聞き苦しい点もあると思いますが、耳を傾けて頂けたらと思います。
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午後3時過ぎ、震える声で妹から電話が掛かってきた。
「お兄ちゃん、来れるなら、、、来て、、、」
6月11日退院して自宅に戻ってきた親父は、入院時から一変、食事もろくに摂れず、みるみるやせ細っていった。見舞いに行ったとき「息子、、」とヘルパーの人に僕を紹介することが出来たのが、もういつのことだったかのかわからないほどで、しゃべることも、見ることもままならないようだった。
しばらくは点滴をしていたが、体に負担が掛かると言うので、この二日ほどはそれも止め、呼吸が荒くなっていた。妹やお袋が呼びかけ、親父の弟夫婦や姉、妹の子供達が集まって来る中、その呼吸のペースが徐々に緩やかなものになった頃、「その時」は訪れた。
僕は頭の真横に立って、お袋が「お父さんはうなぎが一番好きだった」というので、
食べたい?今から食べに行こうか!
声を掛けた。口が返事をするように動いたように見えて、虚ろな目の視点が僕に合った気がした。唇がわずかに動く度に、会話をしているような気持ちになって、
みんな居るよ、全員居る、みんながお父さんのこと見てるよ
口々に声を掛け、妹は泣きながら体をこすっている。お袋も「お父さん、お父さん、」と叫んでいる。
・・・
僕は正直妹から電話があったときも、すぐに駆けつけて顔を見たときも、そして先日見舞いに来たときも、全く涙は出てこなかった。冷静になる必要は何もないけど、正直悲しいとも思わなかったし、介護してたお袋や妹が楽になるのかなぁとか、苦しまずに死ねればいいけどなぁくらいのことを考えていたと思う。動くことも見ることも出来なくなった親父は、もう既に死んでしまってるのと同じで、
「だったらいつ死んじゃったんだろう、その時が一番悲しかった時だったんじゃないのかな?」
なんてことを考えていたから。数日前に見た自宅のベッドの上の親父は、既にほとんど目も開かず、寝息だけを立てていた。呼びかけても特に反応はなく、僕の中では、この時点で既に、「死んでしまったんだなぁ」なんて漠然と思ってたりもしたから。
でも、、、何だろう。
僕の祖母が他界した際、本当に久しぶり、、、というより僕からは初めて親父が泣いているのを見た時、お袋が
「周りの雰囲気がそうさせたんじゃない?」
と言った。それと同じことだったんだろうか。
急に涙が溢れてきた。
既に「目を閉じることも出来なく」なっていて、視点の先に何があるのか、「僕が僕として見えているのか」もわからない。脳に酸素が行きにくくなって、「酸素マスク」を取りに行って貰ったのが1時間ほど前の話。生あくびが多くて、呼吸が少し苦しそうだったのが30分前の話。もうこの時にはいろんなことが曖昧になっていて、未練とか言葉とか痛みとか苦しみとかも、ほとんど認識しなくなっているみたいだった。
でも本人じゃないから本当のことはわからない。
体の自由が失われて死に直面した人が、そこで何を思い、何を感じ、伝えたいのかなんて、誰にも何にもわからない。ドラマのように頭がガクッと倒れたりしないし、「うっ」とか言って死ぬわけでもない。もっと言うと、その瞬間まで、悲しみも辛さも感じなかった僕が、
急に涙が出てきたこと以外、本当のことは何もない。
「周りの雰囲気がそうさせた」。確かにそうなのかも知れないし、そうじゃないのかも知れない。
「呼吸が止まっちゃった!」と妹が泣き叫びつつ呼びかける。周りのみんなも僕も、口々に話しかける。
看護の方が、聴診器をあて、掛かり付けのお医者様を呼ぶ。
「17時36分。お亡くなりになりました」
そうなんだ。親父は死んじゃったんだ、って思った。それまでもこちらの言葉は何一つとして届いてなかった風だったから、お袋にしても妹にしても、親父のまん前で「死んだら、、、」って話をしてたのが、僕にはどうにも嫌だった。
まだ生きてるだろうよ?って。
本人だってそう思ってたかも知れない。思ってなかったかも知れないし、聞こえてなかったかも知れないけど、
聞こえないところで言えよって
ちょっと思ってた。もっと言うと、
死んでからにしろよ
と思ってた。
でも、
いざ死んでしまうと、「死んだら、、、」って話が、何て意味のない話だったのか、シミジミ思う。死ぬまでは生きてるんだし、生きてるウチは死んでないんだから。
「勝手に殺すなよ」
いまわの際に、お父さんの振りをして僕が言ってちょっとだけ周りが笑った。でも、その少しあと、
「もうそろそろだけどな」
そんなことをお父さんの目が言った気がした。でも僕は言わなかった。
それから間もなくだったと思う。
・・・
ウチの父親はギャンブルが得意で、若い頃はそりゃもうブイブイ言わせてたと人づてによく耳にした。「右に出る者はいない」「麻雀では敵無し」。太くて短い人生を望んでいて、健康なときは本当に勝負に強い人だった。
もし人生が勝負事だとしたら、家族みんなに見守られて、特に苦しむでも痛むでもなく、穏やかにしめやかに、人生のラストを向かえることが出来たというのは、
何よりも優る勝利だったに違いないと思う。
今の世の中、家族に見守られながら自宅で死ぬことが出来る人がどれほどいるか。苦しまずに死ねる人がどれほどいるか。死亡診断書に「老衰」と書いて貰えること、宝くじで一億円当たるのにも負けない「大勝ち」なんじゃないかな。
僕もその瞬間に立ち会えて、幸せだったと思う。
僕も、そういう死に方がしたいと思う。
僕らには見えないけど、まだしばらくは居るんでしょ?お父さん。息子はあなたのことをうらやましいと思ってるんですよ?あの世に行っても自慢出来るよ?
お父さん、勝ち逃げはダメって子供の頃トランプでよく言ってたけど、
今回のお父さんの「人生の勝ち逃げ」は、特別に許してあげることにします。
だから心置きなく安らかに眠って下さい。
長男○○○○
なお、明日の葬儀・告別式は朝10時より○○○○にて行います。本日は本当にありがとうございました。
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まぁらしいっちゃらしい内容というか、
ただの自己満足でしかないと言えばない。
でもいいのだ。ここは僕のブログで、この文章は自分の為に残しておくものだから。
つか誰の参考にもならない内容だっただろうけどさ。
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コメント
会社で読んでいるのですが、やばい目頭が...。
投稿: KC | 2015年7月 7日 (火) 12時35分
まさかコメントもらえるとは思ってなかったので嬉しいです。でもホントは、僕の音読を聞いてほしかったかも。読みながら結構泣いちゃうくらいだったんですよ。
投稿: クリス | 2015年7月 7日 (火) 23時34分