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2015年8月20日 (木)

甥っ子(小2)を見ていて「ゲームが好きなワケじゃない」と思う

僕がファミコンに初めて遭遇したのは、ちょっと距離がある友達の家だった。ソフトはロードランナー。第一印象は、

 めちゃめちゃキレイだな!

それまでの家庭用テレビゲームと言えば、「1ドットが1cm四方くらいある」カセットビジョンか、「それしか出来ない」テレビべーダー、あとは名前も忘れた、まぁ荒いドットのゲームたち。

正直見る前にもファミコンの存在は知っていたし、雑誌などで画面写真を見た記憶はあったが、

 実物は全く別物だった。

一言で言えば、

 「心を奪われた」

たまたまそれがロードランナーという名作であったことも僕にとっては大きかったと思う。スクロールする画面、ファンシーなキャラ、色遣いも絶妙で、効果音も気持ちいい。そして何より、

 ゲームが面白かった。

ゲームセンターで遊んだゲームは主にシューティングやパックマン、あとはルパン三世やキングアンドバルーンのような固定画面のアクションで、

 次から次へと全く別の面がどんどん出てくる「贅沢さ」が凄く新鮮だった。

そして、

 簡単だった。

ドンキーコングやドンキーコングJr.も、面をクリアすれば新しいマップで遊ぶことが出来たが、当時の僕にはかなり難しくて、
※アーケード出の物なので、難度的にもそう調整されていた
ほとんど1面をクリア出来るか出来ないかだったのが、

 ロードランナーは4面くらいまでサクッと進められた。

「欲しい!」

今日まで続く僕の家庭用ゲームへの欲求、モチベーションは、この時始まったと言っても過言じゃない。

前以上に情報をかき集め、限りあるチャンスを有効に、確実に活かす。任天堂のゲームだと3800円、ハドソンやナムコは4900円。そうそう買って貰える値段じゃないし、お金があるからと子供が勝手に買っていいシロモノじゃない。

綿密なプランを立て、練りに練って僕がチョイスしたのは、

クリスマスプレゼントに、エキサイトバイクとゼビウスを一緒に買って貰うこと。

どこの家庭でもそうだったと思うが、妹や弟を説得し、「絶対楽しいから」と「妹枠」もコレに合算させる。何なら次の誕生日にも「マッピー」を買わせたくらい。

その2本は、ロードランナーに勝るとも劣らない大傑作で、僕のファミコン熱は加速度的に増していく、、、。

・・・

僕の入り口が、ゼビウスやエキサイトバイク、ロードランナーであったのは、つまりは「一人用のゲーム」ということだ。「何面まで進めた」とか「タイムが何秒」というコミュニケーションもなくはなかったが、同じゲームを持っている人はそれほど多くはなかったし、そもそも「情報をやりとりすることでゲームが面白くなる」という発想がなかった。

 ゲームは、それ単体で必要十分に楽しく、面白い物だった。

視点を変えれば、それらは「ひとりでより楽しめるように遊ぶ物」だった。トランプやかくれんぼ、人生ゲームなどのボードゲームは、すべからく「複数で遊ぶ」娯楽で、コンピュータゲームがこれほど支持された背景には、「ひとりでも楽しめる」ということがとても大きかった。

 でも、今の子供はそうじゃない。

甥っ子は、生まれたときからDSがあり、家族や親戚がゲーム機を持っていることが普通で、スタートからマルチプレイが当たり前。もちろんポケモンを集めるのは楽しんだが、それとて友達に自慢するとか、交換する前提があってこそのことで、特に自分のパーティを強く磨き上げるようなモチベーションは得られてないようだった。

また、若年層に支持が厚かった任天堂が、DSにしてもWiiにしても「パーティゲーム」としてのアピールを推し進めたという点もある。もともとはひとりで遊べるゲームを生み出したところが、今はみんなで遊ぶ楽しさを武器にして商品開発をする。マリオシリーズなんて、

 この10年で出た全てのシリーズ作がマルチプレイ可能になってるはず。

ただ、僕が思うのはこれはちょっと危険というか、「いいのかな」って気がする。

 マルチで遊ぶのは確かに楽しいかも知れないけど、その楽しさは「マルチであるがゆえ」であって、コンピュータゲーム単体の持つ魅力とはちょっと違うもの

という気がするから。つまり、今小2の甥っ子は、

 「一人遊びできるおもちゃ」として3DSを遊んでいるのではなく、「友達とのコミュニケーションツール」として、ともすれば仕方なくやっているのではないか。

「昨日見たドラマ」の話をしたいから欠かさず見る。今週のジャンプを読まないと、自分だけクラスで取り残された気になる。

だから、僕がいくら面白いと感じてるゲームであっても、「それ単体」であるゲームは、面白さが伝わらなかったりする。人がやっているのを見ると「面白そうやらせて」と食いつくが、それを「見ていてもらわないと」モチベがすぐにしぼんでしまう。つまり、

 ゲームではなく、コミュニケーションを求めている。

良い悪いの話ではないと思うが、これがこのまま進んでいくと、

 一人遊びの最強ツールだったゲームという存在が、若年層から突き崩されてしまうことにもなりかねないのでは?

と思ったりもするんだよね。任天堂世代でゲームを遊ばなかった子達が、PS4やVITAを買うとは思いにくい。でも任天堂のゲームがマルチでしか楽しめないものってことになると、

 それこそ、トランプとか麻雀とか、

 LINEに、置き換わる可能性も出てくる気がする。

だってゲームじゃなく、コミュニケーションが楽しいのだもの。

・・・

今家庭用ゲーム市場は、スマホのゲームに押されてる印象が強いけど、実際はスマホの「ゲームじゃない強み」に押されてるってことに、ちょっと気づいた感じ。もちろん家庭用陣営も、PS4のシェア機能や、ミーバースなどでコミュニティを推進してはいるけど、一人一台、それも四六時中持ち歩けるガジェットというパーソナリティ(表現あってる?)には到底叶わない。

 やっぱ任天堂の新機種には、i_Phone以上のパーソナリティが不可欠

そんな気がしたな。その上で、「ひとりでも楽しいゲーム」をまた再度生み出さなきゃって感じだよな。

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