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2015年8月 2日 (日)

好きな子がいないという話

こないだ高一の娘の友人と二人きりで(数分だけど)話す機会があり、おもむろに、

 「彼氏いるの?」

と訊いてみたところ、

 「わたし人を好きになったことないんですよぉ」

と。はぁ!?ナワケアルカー!<猛男調

 「関ジャニとか芸能人ならいるんですけど、、、」

 それってつまりは自分を好きだってことだと思うぞ

テレビの中の人を好きになるってことは、つまりは目に見えないところ、見たくないところを見ずにいられる相手を好きになるってことだから、つまりは自分の思い通り、思い描く「好きな人像」を好きになっていく、ナルシズムに近いものがあるんじぇねぇの?と。

もちろん「芸能人を好き」にも濃度があるとは思うけど、高一で普通にそれを「口に出して言うレベル」ってのが僕にそう感じさせた感じ?みたいな?

 「実際誰かを好きになっても、彼氏がいたり、自分のこと好きになって貰えないとツライじゃないですか?」

 そういうもんじゃなくない?人を好きになるのって。

たとえばさ、その人と相思相愛にならなきゃ、人を好きになっちゃダメってことはないと思うけど。例えば朝挨拶をする、例えば文化祭の準備を一緒にやる、例えばグループ交際で男女6、7人でどっかに遊びに行くその中に好きな人がいる、、、

 それって楽しいと思うんだけど。そゆの楽しそうって思わない?

「思う。でも相手に他に好きな人とかいたら、、、」

相手が自分に振り向いてくれるかどうかなんて、ぶっちゃけ運みたいなもんだと思う。というか、ブサメンの自分だからそうだったのかも知れないけど、見返りを期待して人を好きになんてなったことないし。単純に自分が一緒にいたいってだけで、それが例えばキスやSEXなしじゃ無意味ってことはないだろうよ?

好きな人を作らなきゃダメって法律はないし、そうじゃなきゃ人生がつまらなくなるってこともたぶんない。相手が自分を嫌いじゃなきゃそれでいいじゃんって気がするよな。テレビの中の相手はあくまで幻想や妄想の一端で、リアルじゃない。

 僕が思ってることを適当にまくし立ててみたところで娘が戻ってきて話は終わってしまったのだけど、

「○○(娘の友人の名前)と恋バナしてた」

「私にとっては深い話をしてた」

「大して深くもねぇよ。ただ人を好きになるのに自分のものにしなきゃダメってことはないんじゃないの?って思ったって話」

・・・

有線で西野カナの「もしも運命の人がいるのなら」
http://jplyrics.com/j-pop-lyrics/kana-nishino-moshimo-unmei-no-hito-ga-iru-no-nara-kasi.html
がよくかかってるのだけど、それにも「いいなと思った人には恋人がいるわ」って歌詞があるあと、「好きになった人には好かれない」とも。

 それじゃダメなの?って思う。

何つか、「好かれなきゃ好きになる資格がないの」と。「恋人になれないなら好きになってもしょうがない」と。同じクラスで、その人の後ろの席からその人の後ろ姿を見る、窓際から斜め前の横顔を見る。隣の席になってテンションが上がっちゃダメなの?放課に軽口を叩く友達を好きになっちゃダメなの?

僕がブサイクだからそう思うのかも知れないけど、人を好きになるのは自由でしょって思う。告白して玉砕したって、次の日から恥ずかしくて顔見せられないとか思ったことないし。玉砕前提で気持ちを伝えて、それで相手が自分を嫌いになるような相手を好きになったりするものなの?好きな人ってそういうところでも「好きで居続けられる人」じゃないの?相手が何を考えてるのか全く見えない人を好きになるものなの?芸能人を好きなるわけじゃないんじゃないの?好きになる人は好きになる理由があって好きになるんじゃないの?それって見た目だけだったりするの?

 本当に好きになる相手って、案外「自分の中でその感情が好きであると気付いてない感情こそが実はリアルな好きって感情」なんじゃないの?

少女A(仮名)が「どう人を好きになるのか」はわからないけど、何となく思った。飛び抜けてかわいくなくても、人を好きになる資格がない人なんていない、そうオレは思うけどな。

つか女子高生と恋バナ出来る中年に育つとは、我ながら思いも寄らなかったな。マジ人生って何が起こるかわかんねぇな。

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