「見れる」「見られる」について
別件(後述)で日本語のことが引っかかったので、少しだけ書いてみる。
よく「ら抜き表現」として、「正しくない」と称される「見れる」だけど、いろんな質問サイトの中には、
若い世代では「見られる」という表現はほとんど使われていない。言葉の世代交代が進むことは否定しないが、時間はまだまだ掛かる
的な話があって、「なるほど」と。ただ、書かれていた方自身もまだ「その言い回しに対する抵抗がある」ようではあったけども。
でも、僕がその点でもっと「掘り下げて欲しい」のは、以前も書いた気がするけど、「曲解されるケースもあるんじゃねぇの?」ということ。
「あなたが見られると私が困る」
これは、前述の正しい言い回しで言えば、
「あなたが見ることが出来てしまうと、私が困る」は、文法として「間違っている」ことになる気がする。
「あなたに見られると」なら、「あなた自身が第三者から見ることが可能だと」のニュアンスはなくなる。でも「あなたが見られると」だと、「あなたが見ることが可能だと」と「あなた自身が第三者から見ることが可能だと」の二つのニュアンスが同居してしまうことになり、結果として「あなたが」を使っていいのは「第三者から」の被対象形?に限られなければおかしいということになると思う。
スゲェわかりにくいけど、
「あなたが(第三者から)見られると、私が困る」
「あなたに(たとえば私の隠している物を)見られると、私が困る」
で、「正しい見られる」を維持しなければ、表現として誤解を招く可能性が高くなる。
すなわち、「見られる」を徹底するならば、その前の接続詞?接続語?「に」とか「が」とか「は」とかを絡めて使うことが「不可欠」になると思う。
でもそれは今全然成されてる感じがしない。
もちろん僕がしないだけかも知れないけど、
「あなたが見れると私が困る」
の中には、あなたが「第三者から見ることが出来ると」のニュアンスは含まれない。文字にしたときの「見苦しさ」は否定しないが、こと口語としての用例なら、「あなたが見られると」よりも遙かに誤解は少ないし、
※あえて断定する
「あなたに見られると」を徹底するよりも、「時間は掛からない」
※前半「まだまだ時間が掛かる」の部分
と思うんだよね。
つまり何が言いたいかというと、
ただ「ら抜き表現」で「見れる」を否定する前に、もっとしっかりフォローすべき日本語があるんじゃねぇの?でもってそれが出来ないなら、むしろ「見れる」に市民権を与える動きがあってもいいんじゃねぇの?
って話。
●「カタログをお送りさせていただきました。」
年商数百億ある取引先から送られてきたカタログに添付されていたビラに表題として印刷された1文字1cm四方くらいの大きさの文字。
お送りさせていただくぅ!?
これが体験学習の中学生からの手紙ならばまだしも、ウチの数百倍も売り上げがある問屋からの、それもそこそこ目立つ文字での表現として、
どうなんだ!?
って感じが凄くしたので、ちょっと調べてみたところ、
「させていただく」は、「させて」と「いただく」に分解出来、「させて」には、「相手に許可を得る」ニュアンスがあり、「いただく」には、「相手からメリットが得られる」ニュアンスがあるのだとか。だから、「送ることを許してもらう」意味と「カタログで何かを買ってもらうメリット」から、「させていただく」は誤用ではないということになる。
それはわかる。
問題は「お送り」と「させていただく」の二重敬語だ。これは絶対変だと思う。ぶっちゃけ僕は「プロの物書き」ではないし、雑誌や小説の校正をしてる人間でもないので、何が正しくて何が間違ってるかを「正確に」言える立場ではないのだけど、
変だと感じるのは自由だし、素直な感想。
ただ問題は、「だったら何が正解だったのか」だが、これもネットに上手い逃げ道?答えがあった。
「送付させていただきました」
コレだ!「お送りいたしました」だと、お客様に対して許可を得ない独りよがりなニュアンスを感じさせるし、「送らせていただきました」だと、何か野暮ったい感じがする。
※でも用法としては全然こちらの方が良いとも思う。ただ「少しでも丁寧にしたほうがいいんじゃないの?」という不安は残ってしまうだろう。僕も葬式の時の挨拶文で四苦八苦したから、その気持ちはよくわかる。
でも規模が規模だしな。
100人程度の人相手に素人が自分の言葉で綴った物とは、やはり「求められる精度」が違うと思う。
まぁ気にならない人は気にならないんだろうけど、気になる人はスゲェ気になるって話だよ。
| 固定リンク
コメント