石井ぜんじを右に
今年の初めに発売された、ゲーメスト編集長だった石井ぜんじのコラムを集めた本。定価税別1650円。ちょっと前から気になっていたが、アマゾンの古本で900円ほどで出たので即購入。到着まで1週間近く掛かって気をもんだが、無事届いて少しだけ読み始めた。ちなみに厚さは388ページで、大きさはいわゆる攻略本サイズ。「アルティマニア」を薄くした感じと言えば伝わるかも知れないが、それでも結構ブ厚く、読みではありそう。ちなみにカラーページはない。というか写真も極めて少なく、「読む本」である。
巻末には3000タイトルだかのアーケードゲームリストが付いていて、メーカー、操作系(ボタンとレバーの数)、年式、ジャンルと、簡単な説明が書かれているが、
フォントが素晴らしく小さいので、老眼ナーには非常にキツい。
ちなみにリストはリリース順になっているため、作品の発売日を知らないと、お目当てのゲームを見つけるのに凄く苦労する。つかウィキペで調べたあとじゃないとほぼ無理。
説明もぜんじ氏が書かれているのか、R-TYPEのところだと、、、
「弾を防ぐことのできる無敵のフォースを駆使し、異生物たちを倒して行く横スクロールシューティング。フォースは自機の前後に付けることができ、着脱も自由自在。その他にも、ボタンを押して溜める波動砲、地形を反射するレーザー、1画面に収まりきれない巨大戦艦など、様々なアイデアが凝縮されている。難度は高いが、それでも多くのプレイヤーを熱狂させた名作。」
これだけの文言が、「1×5cm」ほどのスペースに書かれている。
読めるかーーー!!
って感じだが、
嫌いではない。
まだほんの少し読んだだけだが、その時代をまさにリアルタイムで体験した人間にとっては、まるで昨日のことのように思い出され、懐かしさよりも熱さがよみがえる。もとより氏の筆致や価値観は嫌いではなかったし、「コンティニュー」誌に連載していた「ゲームの彼岸にて」も愛読していたので、
※本誌にはそちらも全て掲載している。というか、3分の1は「ゲームジャパン誌」に掲載された表題コラムで、残りの3分の1が「ゲームの彼岸にて」、同3分の1が対談、同3分の1が前述のゲームリストという構成。
とても濃密であり、贅沢。
ちなみにタイトルの「石井ぜんじを右に」とは、ゲーメスト誌上に当時掲載された「インド人を右に」という誤植から来ているらしい。・・・これを最初読んだとき、どこがどう誤植なのかわからなかったが、
「ハンドルを右に」 「インド人を右に」
・・・なるほど伝説的誤植。さすがゲーメストと言ったところだ。
コンティニュー誌のコラムの方は、読んでいたとは言えスッキリ忘れ去っていたが、ザックリと「普通の話」だった気がする。特に感動したり感銘したりということはなく、まぁ「読むけど?」くらいの印象か。
しかし、表題コラムの方は、今回初めて読んだが、
非常に濃密で、素直に面白い。
何を持って面白いとするかは人それぞれだと思うが、少なくとも今の僕が文字だけの本を10ページ以上間断なく読み続けられるなんてことは、
ほぼありえないことなのである。
つか、「文字だけじゃない」マスターキートンですら2話読めばほぼお腹いっぱいの僕であるからして、写真もない、エロもない文字だけの本にモチベが維持されるというのは、
ぜんじ氏の偉業と言って良い。
つってもまだ序盤しか読んでないのだが、その中でも特に心に残ったところをご紹介したい。
※氏がカプコンの開発者インタビュー(たぶん岡本吉起氏)をした時の話
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開発者と話して思ったのは、プロ意識の高さだった。ゲームをプレイして楽しむ側は、そのアイデアやオリジナリティというところを高く評価する。もちろんゲームには多かれ少なかれそう言う部分が必要とされると思う。しかしそれ以上に、彼らからは「売れるものを作りたい」という強い意志を感じたのだった。
「僕らは芸術品を作っているのではありません」
「さいせん箱のようなゲームを作りたい」
売れるものを作るには、独りよがりではいけない。何よりも他人を楽しませなければならない。そのために必死で工夫し、あらゆる手段を尽くす。それこそが、売れるものを作る一流のプロである。僕はそれを、この開発者インタビューで教えられた。奇抜なアイデアの作品が芸術的なのではない。売れる物の中にこそ、開発者の苦労の結晶がつまっているのだと、気づかされたのである。
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そしてもう一つ、
※氏がバブルボブル製作者三辻富貴朗氏にインタビューをした時の話
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三辻氏はゲームデザインを論理的に考え抜くタイプの開発者である。それだけに、確固たるプライドを持っていた印象がある。編集部の人間が「プレイヤーって開発者の思いもつかないことをする場合がありますよね」と話しかけたら、「バブルボブルの場合は全て想定内です」と返事が返ってきたのを記憶している。
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この二つは、まさに僕がマリオメーカーで面を作る時に意識したい、意識して欲しい、
「(みんな素人だから)すべきとは言わないがした方が面白さは上がるだろうに」
と思っていることだ。奇抜な芸術作品で「面白いと思って貰う」「いいねを貰う」のは、二次的なファクター
※実況とかタレントとか
がなければ難しい。当たり前のことだが、
面白い作品にこそ、プレイヤーはお金を出す。
僕の作った面がそれに該当しないというご意見。確かにあるでしょう。全てが全てそうじゃない。それももちろんそうです。
でも、
自分のさじ加減として価値観として感性として、「自分でお金を出して遊びたくなる面、すなわち『自分が面白いと思える面』を作りたい」と思って作ってるかどうかというのは、やっぱり違うと思う。そしてその上で、完成度を極限まで高め、「想定外」を無くしていく「プロ意識」。
かっこええ!オレもそうありたい!でも難しい!ついすぐアップしてアラに気づいちゃう!!
結局どこまで言ってもマリメカはアマチュアが遊びで作ってるに過ぎないから、本当の意味でのプロフェッショナルたり得ない。もちろん僕の面もそう。いたわりがない。余裕がない。好みを押し通してしまう。そこに、
素人なんだからしょうがないという甘さが見え隠れしてしまう。
だが、プロはそうはいかない。
・・・
僕が公式マリオに否定的であっても、彼らの出す答えは「商品としての正解」に僕より遥かに近いだろう。それがプロというものであるし、任天堂が今なお一線に居続けられる強さである。
モンスターストライクで凄まじい業績を上げた岡本吉起氏のプロ意識は、まだ駆け出しだった頃からしっかりあったんだなって思ったし、自分が思い描く正解に近いことが素直に嬉しかった。
「独りよがりではいけないし、他人を楽しませなければならない。そのために必死で工夫をし、あらゆる手段を尽くす」
マリメカで出来てるのは、公式を含めても10万分の1にも満たないだろうと思う。意識してるものでも、たぶん1万分の1にも満たないだろうと思う。
※マリメカはたぶん現状で数千万の面が作られてると思う。
だがちょっと悔しいのは、そういう「高い意識の面」が必ずしも評価され、目に止まる構造になってないこと。ミーバースの使い捨て感もそうだけど、もっと作品を大事に出来る仕組みが、マリメカに欲しかったって思ったな。
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