二面性の話
正直僕自身「二面性」という言葉をはき違えて覚えてる可能性も高かったりするのだが、気にせず進める。正しい意味を知ってる人は、「バカだなぁ相変わらず」と思って戴いて結構。
ある面から見たら善行であっても、違う側面からは悪行になる。全く同じ行動でも、見る人や経験、状況、知識次第で真逆の感想を導き出してしまう。物事には往々にしてそうした「二面性」があると思う。
以前も書いていと思うが、僕の好きな話を二つ。
ひとつは、学生服メーカーに寄せられたクレームの話。中学に上がる子供さんの身長が150cmで、お店はそのお子さんに「165cmの学生服」をオススメしたのだそうな。中学生と言えば男子で最も成長する時期。当然今の身長と同じサイズ、「ぴったりサイズ」をオススメするのは不適切なのだが、
ある人は「こんなに小さいサイズを勧めて!」とクレーム、
またある人は「こんなに大きなサイズを勧めて!」とクレームを送ってきたという。
同じ身長なのに、真逆のクレームが出てしまう。いたって本人たちは真面目なのだから「面白い」というのは不適切、不謹慎かも知れないが、人というのはかようにいろんな判断基準を持っているという「知識」は覚えておいて損はないと思った。僕が採寸する際でも、「そういう事例がある」ことをお伝えした上で、ご本人と親御さんの満足行く着地点を一緒に探す。人によっては肩幅が狭く、二の腕が短い子もいるかも知れない。でも肘から先が長かったら、半袖と長袖でオススメすべきサイズは変わってくる。最適な接客はお客様ひとりひとり違うものなのだ。
ただ、歳を取ってこの話にも実は隙があることに気付いたりもした。それは、
このお客様の体格がどうであったかが書かれていなかったこと。
最初のお客様はもしかしたらがっしりタイプで、デブとは言わないまでも窮屈そうだったかも知れないし、あとのお客様はやせ形で、着てみたら確かに気になるほどぶかぶかだったかも知れない。
僕が言いたいのは、その二面性の話。
つまり、情報が少なければ、必然的に誤解を生みやすくなる。が、情報が多ければ多いほど個々の情報の「伝達時の濃度」は薄くなってしまう。だから、このケース(勉強会だったのだけど)で一番コーディネーターが伝えたかったことは、
いろんなお客様がいらっしゃるということ
だったのだろうが、実際は、
そのお客様のどちらもが筋の通ったクレームを送ってきていたかも知れない。
つまり、
真実はその場にいて相手の心情や状況を把握しなければ、なかなか見えてこないし、もっと言うと、「見えてこないことを盾として、自分の感想を正当化するのもどうかと思う」という話。
「知らなかったんだからそう思って当然だろ」という感想。確かに。だけど僕はその先を想定したくなる。「本当にそれだけ(ただお客様の嗜好にブレがあるというだけ)だったのだろうか」と。もしかしたら情報不足が原因で、コーディネーター側も真実が見えてなかったんじゃないか、と。
・・・
そしてもう一つはもっと有名な、でも結構昔のCMの話。公共広告機構だかのCMだったと思うが、車に乗っていて「ごめんなさい、ちょっと通りますね」という意味で「プッ」と鳴らしたのに、凄い形相でにらみつけてきたのよ、という話と、いきなり「ブッ」とクラクション鳴らされて頭来てにらみつけてやったわ、というのが同じ人という話。
だよな、と。人間ってそういうもんなんだろうな、と。
このCMは他にも「石に躓いて転んだ人は、まず石のせいにする。次に前を歩く人のせいにして、お店から流れる音楽のせいにして、靴のせいにして、挙げ句の果ては道のせいにしたりするが、最後まで自分が悪いとは思わない」。
※かなりうろ覚えなので違ったらゴメン。
みたいなのもあった気がするけど、これも二面性の話に近い。人間ってのは「被害者になりたがる」。そして「加害者になってることに気付きにくい」。防衛本能というか、先天的なことなのかも知れないけど、
※「事故ったときは絶対謝っちゃダメ」、みたいな流言飛語も一因かな
視点が偏りやすい
でもそれは「片側しか見てない」と思うんだよな。かみさんとテレビ見てて出てくる感想一つ取っても「反対側が見えてないな」ってよく思う。まぁ言わないけど。
結局その立場になってみないと本当のことは何一つわからないのだけど、わからないから決めつけていい理由にはならないと僕は思う。視点が固まってしまうのはしょうがないと思う一方で、なるべく柔軟に、なるべく逆サイドからも考えたい、見るようにしたいと思う。他の誰もが出来なくて、そしてそれが当たり前であっても、自分はそれがイヤなんだよね。
「そんなこと、一度も言わなかったじゃん・・・」
みたいなのが。あとマンガやドラマとかで出る「訊かれなかったから」みたいなのもイヤ。相手が訊きたいであろうことがわかっているのに、あえて言わなかったとか。逆に私が訊きたいって思わなかったの?みたいなのもイヤ。どっちも相手の視点を蔑ろにしてる感じがするから。
わからなくても、決めつける以外の選択肢があると思うし、その選択肢を模索することで、今までは見えなかったことが見えるようになったりする。これは本当にある。というか、頭のイイ人、人心掌握術に長けた人というのは、そういう第2、第3の視点を持って行動出来る人だと思うんだよね。でもってより多くの主観を理解、経験してると思う。
前も書いたけど、「常識は人の数だけある」。あなたの常識は僕の常識とは違うから、「そんなの常識じゃん」と言われても、実は多くの場合通じないことを僕は知っている。でも知らない人が多い。ちなみにこういう時に「冬が夏より寒いのは常識じゃないの?」みたいなことを言い出す人がいたとしたら、単に人生経験が足りないだけなのでもう少し痛い目見て下さい。ヤクザに胸ぐら掴まれたり入れ墨のおっちゃんに取り囲まれたりすると、そういう事も言わなくなります。これもある種の二面性かも。
・・・
実際そんな二面性を意識して生きてる人はほとんどいないと思うし、知らなくても全然平気と言えば平気なのだけど、時折それをお仕着せされたり、知らず知らずのうちに自分がお仕着せしてたりしたことにハタと気づくときがある。そう言うとき何とも嫌な気持ちになるんだよね。甘かったな、と。正解はどれだったのかな、と。
人生にはいくつもの分岐点があって、そのチョイスを誤ったせいで今の自分が苦しんでると後悔してる人も多いと思うのだけど、割と僕は後悔が少なめだと思う。
※避けられない失敗は後悔の対象じゃないし、失敗を受け入れられればそれもまた後悔とは違う。いやいや本当に大きな失敗もしていますけども。
それは大抵の場合二者択一に対して、より多くの視点で考えるからだと思う。どちらが重要、どちらが幸せ、どちらが面白い、、、。ポリシーとか信念とか(たぶん同じことだけど)の「曲げられないところ」を曲げるべきとかそういう話じゃない。人間だからミスは付きものだし、悩んだり苦しんだりすることも普通にあること。でも、避けられるミスとそうじゃないミスはあるだろうし、悩んでも答えが出ないことを悩んでも仕方ない。
ブルーハーツが「どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと」と歌った。
吉田聡のマンガ「スローニン」の中で、コッセツが、「どうにもならないことなんてない、たいていの場合はどうしていいかわからなくなってるだけだ」と言った。
これも二面性だと思うし、どちらも真実だと思う。
もっと裏側が見えるようになりたい。あと出来たらそれを上手く周りの人に伝えられるようになりたい。▲▲▲。
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コメント
僕もさっきたまたま似たようなことを考えてたんだけど、言葉にするの難しいなと思ってた。父ちゃんやっぱすげえ。こないだコメントしたばっかだけど、コメントしちゃお。
僕がそうだから言いたいんだけど「『悩んでも答えが出ないことを悩んでも仕方ない』のをわかった上でどこまで悩めるか?」は、”いろんな視点”を持つために有効な練習法だと思うので、実際何に悩んでるかは別として、大きく得るものがある。一人で悩む分には誰に迷惑をかけるわけでもないし。
”いろんな方向から考える力”を持ってると、多くの人から好かれるのは間違いないと思うんだよね!人間、誰かに共感してほしいもんだし。考え方は十人十色だけど、自分ひとりで三色くらい持っていられれば、一色の人よりも多くと仲良くできるのはきっと間違いない。
二面性についても似たような感じで、善いものを善い、悪いものを悪いとしか見れないより、なんでも疑ってかかりたい。いわゆるステレオタイプっていう「一般的に」そうだと思われてることを疑うのは難しいし勇気がいるけど、普通なことに普通じゃないって言えるヤツは…かっこいいと思うんだよね!
でももしかすると…こういうこと考えながら生きてる人はめんどくさそうだって思う人もきっといるんだよね。「ひとつの見方しかもてないことが悔しいと思う人」には、この話は有意義だろうけど、「自分の信じる道しかない人」には、ただの迷惑か。
二面性から二面性を見てる…みたいな?ああ、答えが出ない悩み(笑)。
投稿: 長男 | 2016年3月 2日 (水) 01時08分
こちらもダラダラとレス。大したことは書かない。
「悩んでも仕方ないことを悩む意味」は、もはや別の行為。視点が後方にあって、悩んでる自分を見てる時点で、実は本節の悩みから逸脱してる気がする。本当に無理な悩みは、本当に仕方ないものだから、元ネタで言う「たいていの場合はどうしていいかわからなくなっているだけ」のパターンだと思うね。例えそこで答えが出なくてもな。だからそれは有意義たり得る。
視点の多さが好かれることに繋がるという意見には同意出来ない。視点の多さは時に純度を濁らせるから、実際は、
敵も味方も増える。
が正解。八方美人という言葉もあるからな。「一色の人が凄く強い光の場合」もあるって話。
ただ、それを理解した上で、そっちにしか動けないケースも多い。疑り深いのと真実から目を背けるのは違うからな。認めるか否定するかのさじ加減が、たぶん長男が思ってる以上に重要。わがままと信念の違い、、、とも違うかな。どちらかと言えば単純な経験則かも。賢くなれよ、と。
「めんどくさい」に関しては、まさに娘にこの文書を読ませた時の感想だった。でも瞬間「確かに」とおも思ったんだよな。視点を増やすことで必ずしもメリットばかりがあるわけじゃない、「という視点」をもっと考えた方がよかったかな、って話。まぁ長男が書いてる「二面性から二面性を見てる」のと同じかも知れないけどさ。
投稿: クリス | 2016年3月 3日 (木) 22時34分