ネタ不足なので、、、
まぁくだらない雑談でもする。レスが滞り気味なのは平常運転なのでイラ付かないで下さい。そう言うときもあるブログなのです。
今日は23時くらいかな、急に眠気が襲ってきて、倒れるように寝た。ちなみにPCの前。っていうかPCの前には座椅子があり、座椅子を倒した時頭の辺りに枕になるように長座布団が置いてある。あと腰の辺りに背当てクッション※膨らんでるヤツがあり、仰向けで寝たときクーラーや扇風機がお腹に当たらないようにだっこして寝られる環境が整っている。
僕は大体昼休憩を2時間ほど貰うので、そこで1時間くらい昼寝をする。でもって夜は、平常運転なら3時~4時くらいまでゲームしたりブログ書いたりして過ごして、あとは寝室に行って寝るサイクル。寝室にはクーラーがないので、あまりにあまりな暑さの時には、クーラーのあるPC部屋で寝たりもするけど、
座椅子には肘掛けがあり寝返りはほぼ打てない。
体に「いいわけがない」とも思いつつ、人間は環境に適応する生き物なので、それで慣れてしまえばさして問題もないかな、とも思う。「慣れこそ怖い」のかも知れないが。
ともかく、そんなこんなで寝オチしても、目覚めたときエクスヴィアスのスタミナ(※通常の体力とアリーナと呼ばれる別扱いのスタミナ両方)が溢れてないのは、我ながらやるな、と思う。この10ヶ月くらい続けていて、体が「スタミナを溢れさせない仕様」にチューンナップされたか。
おもむろに消費する。
しかし「眠る」というのは、当たり前の話「眠たいときに眠る」のが一番だなと思う。サイクルはサイクルだが、常にその眠気が同じ時間に去来するわけではなく、やはり唐突に仕事中眠くなるときもあるし、4時どころか5時でも眠くならないときもある。当然その日は仕事、「5時」とは朝の5時を指す。
常に眠たい時に眠る暮らしが出来たらいいな、とも思うが、もしずっと休みでずっとゲームなりなんなりが出来てしまったら、むしろ規則正しい暮らしをしてしまうかも知れないとも思う。たとえばホテルとか、、、今だと実家にたまに行って手持ちぶさたになってしまうときなんかは、案外スマホべったりでもなく、テレビを見たり、ごろ寝したりしてしまう。「欲求」というのは、冷たい水とお湯を混ぜるようなもので、つねに欠けている方へ流れやすいものなのだ。
だがしかし、一方で自分は「眠たい時などなければいい」と思うこともある。眠たいということは、つまり「眠たい以上に傾注していることがない」ということでもあると思うから。本気で楽しんでることがあれば、眠気などやってこない。集中し、充実し、そのコンテンツのことだけでリソースは埋まる。
そういう暮らしに憧れる。出来るなら常にそうありたいと思う。
これは仕事でも同じで、自分が集中して「時を越える」ような仕事が出来る時は、やっぱりその方が能率もよく、密度も濃い。同じ事言った。
実際そういうスタンスで生きることが、寿命や体の老化に関してどう作用するのかはわからない。よくスポーツ選手に長生きの人は居ないというが、ゲームオタクの平均寿命に関してはまだ研究結果のケの字も出てないだろうから。案外長生きだったりしてな。
クリスは一体何が言いたいんだ?と思われるかも知れないが、要は、
オレは割と眠たい時に寝て、ゲームしたいときにゲームして、仕事したいときに仕事してるのだけど、それが果たして体に良いかどうかはわからないよな、ということが言いたかっただけの話。
・・・
昔を思うと最近は欲しいゲームどころか、欲しい物、行きたい所、食べたい物すら無くなってきている。物欲はかなり強い方だったが、ある事件(常連さんは知ってるとは思うけど)をきっかけに、お金もあんま使わなくなったし、その状況下で環境に適応してしまった弊害か、「それでも平気になった」。独身時代とかは、一ヶ月に数本ゲームを買わないと生きていけないような体だったのに。
※ゲーム雑誌も月12、3冊買ってた、、、いや、もっとか。ファミ通、ファミマガ、ヒッポン、メスト、ベーマガ、BEEP、コンプティーク、ログイン、ポプコム、○勝PCエンジンなんて表紙が好きって理由で買ってたからな。20冊以上だ。
これが老化なのかと思う一方で、この歳でこれほどスマホのゲームを遊んでる人は、他に居ないと断言出来る。課金額ウンヌンではなく、たとえばこうしてブログでそのゲームのことを綴ったり、掲示板に書き込んだり、能動的にアプローチして楽しんでいるという意味で、僕ほど一つのゲームに傾注出来るスキルがある46歳は他には居ないと思う。
バカだな、とも思うが、それもまた人生とも思う。
ただ、このスタンスの怖いところは、毎日の変化に乏しく、精神的成長が促されないと言う点にある。つまり、
歳を取ることで、自然に「死」というものに向き合える精神状態へと成長していくはずの人間という生き物が、たとえば中二のままの気持ちで歳だけ重ねてしまっているような感じになる。
よく「心はいつでもティーンネイジャーだぜ!」みたいなセリフをロックシンガーから耳にした時代があったが、つまりはそう言うことなのかも知れない。歳を取ることを(あくまで結果としてだが)否定してしまうような生活。突発的な事故とかで死んだりしたら、きっと凄く未練とかが残ってしまう気がする。
そういう意味では、周りの人に迷惑を掛けない範囲でボケていくのは、少なくとも本人にとっては幸せなのかも知れないとも思う。何て言うか、ボケるというのは、つまりは、いろんなこととの接点が曖昧になっていくということだと思うから。
例えば家族の顔すらわからなくなる、例えば食事を摂ったことすら忘れてしまう。文字にすると怖いが、別視点で言えば、一度見た映画を何度でも楽しめる。ゲームもマンガも常に新鮮な気持ちで向き合えるかも知れない。ということは、つまりは本当に鮮度のあるコンテンツが不要になるわけで、新しい世界に対する欲求や期待が薄れるという意味でもある。
まぁ周囲に迷惑を掛けずにボケるなんて都合の良い老化はそうそうないのであるが。
またもクリスは何を言いたいんだって話になるが、つまりは、
今日はネタがないので、こんなことを書いているのじゃよ、
と言いたいのだ。
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