過去と未来のゲームの話
エクスヴィアスのやり過ぎで他のコンテンツに時間が割けない。結果ネタ不足に陥るというスパイラル。とりあえず地味な話を二つ。
●石井ぜんじを右に!
以前も紹介したゲーメスト編集長、石井ぜんじ氏のコラム本。よっぽど時間があるときで、メンテでエクスヴィアスが出来ない時で、かつウンコに行かなきゃならないときくらいしか読まないのだけど、久々読んだらスゲェ面白かった。ちなみに読む時は最初から順番に、ではなく、適当にフックしたネタから読んでいるので、
同じところを何度も読んで、かつ何度も新鮮に感じている可能性がある
が、まぁ良い。
今回読んだのは、最盛期の座談会や、対談のところ。ハイスコアガールの押切先生が、
僕が思っていた以上にコアなゲーマーだったこと
や、
2015年当時でもまだアーケード基板を、それも凄まじい所蔵で扱っているお店があること、
そして、当時のゲーメストの熱量なんかが流れ込んできて、スゲェ面白かった。
ゲーメストは言わずと知れた新星社のゲーム雑誌だが、創刊当時はほとんど本という物そのものを作ったことがないような会社が、そこらに居るゲームの上手い学生を引っ張って来て適当に記事を書かせて本にしていた、みたいな話や、とにかく「鮮度と熱量」を最重視して雑誌を作っていたため、誤植が異常に多かったが、それでも「問題ない」という空気。ゲーム代とかは全て自腹でも平気だとか、
まさに部活やサークルのノリ。
っていうか、そういう空気を感じ取った分けじゃないんだけど、自分もなんか「憧れ」みたいなものをその空気に見いだしてたのかもな~なんてちょっと思ったりもしたな。
ストIIで、ガイルの投げハメに「絶対抜けられないタイミングがある」ことを、カプコンに問い合わせをし、最初は無下に「そんなタイミングはない」と返答されるも、後日調べたら「ありました」ってのも痛快にして胸のすく話。マニアがやり込んだ先にこそ真実はあるんだな~みたいな。
ドルアーガのエピソードはつとに有名だけど、最初にワンコインクリアしたのがメスト編集者だったとか、音を録音してとかは何度読んでも楽しい。
結局メストおよび、「僕の好きだったゲームセンター」が失速していったのは、開発の価格とインカムのバランスが取れなくなっていったから、開発費がかさむ割にロングラン出来ず、儲からなくなった。その原因の一旦がバーチャファイター2だったのかなぁとか読んでて思ったな。
僕は今46歳だけど、±10歳くらいで、当時ゲームセンター、アーケードゲームを嗜んでいた人なら、かなりの人が楽しめると思う。その昔結構値の張る「ゲームはここから始まった」って本はほとんど楽しめなかったけど、
※筆致がタルい
こっちは十分過ぎるほど楽しめるよ。
あとコレとは全く関係ない話で、過去ブログで取り上げたこともある気がするけど、30年くらい前に、「ザ・テレビゲーム」を買ったのだけど、
※背表紙のある豪華な装丁で、価格は2000円くらいだったと思う。ページが3段に「切られているところがある」のが特徴で、インタビューや歴史などが綴られたムック
泣くほど残念ながら、実家に置いていたのが捨てられたか紛失したかしちゃったんだよね。宮本茂さんが「ミヤホン」さんの名前で親しまれているとかの用語集もよかったし、思い出す度にもう一回読みたい、出来たら買い直したいって思うのだけど、
どこをどう検索してもヒットしない。
今もし普通に買ったら新刊でも5000円くらいの内容だったと思うけど、、、ああ悔しいぜ。
●PSVR
実はあれから一度もやってない。基本風呂嫌いなので、髪が汚い時にはやりたくないってのもあるし、もし使うんなら映画を借りてきた時かなぁと思いつつも結局借りてきてないし。かみさんや娘に「やる?」って訊くのも飽きたし。
世間の評判がどうなのかはわからないけど、やっぱり「ネタ」が欲しいとは思うよね。毎度書いてるけど、あのインパクトやワクワク感はプライスレスで、買ったことを後悔しては居ないんだけど、やった身としては、
もっとスゲェいろんなことが出来るはず
って思っちゃうんだよな。何つかずっと前にも書いたけど、「異世界、異空間、別の場所」を「作り出すことが出来る」んだよ?それが例えば精神と時の部屋だろうが、界王星だろうが、ペンギン島だろうがナメック星だろうが、
まるでそこに行ったかのような世界が作り出せる。
どんだけスゴイんだって話。っていうか、
気軽に有志にそう言う世界を作り出せるようにはならないもんかね。
「マリオメーカー」ほど気軽なのは無理にしても、「やりたい、作りたい」という熱量と技術がある人なら、「何とかならなくもない」みたいな。今だったら、
君の名は、の糸守村とか移動出来るような世界として作ってくれたら、、、
あの祠のところとか、「VRごと買ってでも行きたい!」って人が絶対居ると思う。
っていうか、VRのスゴイところは、
※データ的な問題は別として、
学校なら学校、山なら山、建物なら建物が、1/1スケールで存在しちゃうこと
「オーシャンディセント」をやったとき一番僕が感銘を受けたのが、海底に沈んだ潜水艦が見えてきた時。これまでのゲームだと、「潜水艦」は、自分が動かせる潜水艦という名前の自機(アイコン)であったり、一人称視点の操縦士であったりがせいぜいだったのだけど、
遠くにうっすらと見えるその「巨影」は、「潜水艦が大きかったこと」を初めて教えてくれた。
当たり前の話、ポケモンや妖怪ウォッチに出てくる学校や公園は、全てアイコンでしかない。教室の中に入っても、机と黒板の比率は全てデフォルメであり、キャラクターがイスに座って授業が出来る大きさじゃない。
でもVRは、それを1/1に引き上げてしまうことが出来る。
※やろうと思えば、だけど
そこがVRの新しいところでもあり、凄いところでもあり、楽しみなところでもある。
例えばグーグルのストリートビューのように、何か特別な機材を使うことで、撮った写真をそのまま仮想空間としてVRにアップロードできるような、
書いていて「実現可能と不可能の境目がわからない未来」って感じがちょっと愉快だけど、
たとえばファックスはこれまで不可能だと思われていた「映像を送る」ことを実現して、ネットはより多くのデータ、静止画のみならず動画さえもやりとり出来るようにした。
その先に、「ロケーション(空間)」をやりとりする未来があっても何もおかしなことじゃない。
まぁ同時に映画やらアトラクションやらの「空間や景観の版権」が生まれる可能性も高いけどね。「この観光地ではVRカメラの使用はご遠慮願います」。スゲェありそう。
でもそれが実現するとしたら、例えば月、火星、惑星イトカワだって、仮想世界として、居ながらにして探索することが出来てしまう。っていうか、家庭用レベルではない、たとえば軍事レベル、国家レベルでなら、、、
既に出来ていてもおかしくない気がする。
VRってのはそういう可能性を内包した、ある意味娯楽を超えたツールであり発明だと思うんだよな。
だから、後悔はないんだけど、物足りなさというか、「枯渇感」はある。
まずは狭くてもいいから実在する場所を構築した物が見てみたいね。例えば科学館とか、
実際に目の前に実物がある状況で、VRでも歩き回ることが出来る
みたいなアトラクションとか。プロなら、一部だけ「違うところ」を用意して、それを探す楽しさや、「それに気づく怖さ」みたいなのを演出してくれたりもすると思うし。
あーーー未来はすぐそばまで来てるんだけど、手が届きそうで届かないって感じなんだよな。▲▲。
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コメント
クリスさん、おはようございます。虎年のとら男です。
有野さんと濱口さんのゲーム動画見ました。
まず有野さんのゼルダ神々の~、を見てから濱口さんの動画を見たのですが、二人の違いより同じゼルダでこんなに違うのかとそっちが驚きでした。
オープンフィールドで調理してるゼルダ。着せ替えまであるし。
で、この記事読んで思ったんですよね。
あの世界をVRにもってこれたら面白いだろうなぁと。
でもVRに仮想世界、SAOぽいものをもってくるのは安全上の理由などで難しいらしいですね。
仮にFF15がVRで出たら、瞬間移動して敵の頭上から剣を振り下ろす。また消えて~~酔いそうです。
投稿: とら男 | 2016年10月30日 (日) 04時57分
どもです戌年のクリスです。毎度です。
自分は初代ゼルダが、初めて雑誌に載る前からゲームしてますので、違いに関してはあまりピンと来ませんね。ブログにもたびたび書いていますが、、、
ちょっと書いてからネタになりそうなので(^^;、ブログで取り上げます。セコイ!
ともかく、VRとの相性は、まだ入り口にも立ってないレベルだと思いますね。おっしゃる通り、FF15の瞬間移動みたいなのはVRとの相性最悪ですし、いかに酔わない、酔いにくい構造を作り上げるのか、まずはそこからだと思います。異世界、異空間での冒険は、想像するだけでワクワクしますが、実際にそこに立っても、
ゲロ吐きまくりではゲームになりませんからね(^^;
ただ、伊集院も言ってましたが、「ゲロ吐きまくりながらでもやりたいようなゲームが、本当にVRでやりたいゲーム」ってのも一理あると思うんですよね。酔いとかバランスとかを一旦忘れて、
一人称視点で遊べるモンハンとか、日本中に2億人くらいやりたい人居ると思いますわ。
ちょっとサバ読んじゃったかな(笑。
投稿: クリス | 2016年10月30日 (日) 22時41分