もし何かひとつだけ願いが叶うなら
この問いには、絶対の正解がある。つか以前もブログで触れてるから、「ああアレね」という人も居るとは思うけど、大抵の人にそれを言うと、
確かに。
と納得してくれる。つまり、究極の願い事であり、これ以上のことはないと断言出来る。美人の奥さんや大金持ち、宇宙旅行とかを望む人も居るとは思うけど、やっぱり、、、
心から笑って死にたい。
これに勝る願いはない。それがたとえ明日であっても、50年後であっても、心から笑って死ねるなら、それは究極の幸せだと思うし、「その日」に繋がる生き方こそが、「正解」に最も近いんだろうな、って思う。
まぁ、願ったからってそう生きられるわけでも死ねるわけでもないのだけど。
ただ、そのための条件はいくつか考えられる。
・結婚して子供が居るなら、子供たちが幸せに暮らしていけるだろうビジョンが見えること
・必要十分な生活を送り続けられること
・未婚でも結婚したいかどうかによって幸せは違うけど、それを叶えられること
映画でも題材になる「死ぬまでにしたいこと」。別に僕はスカイダイビングにも高級カーにも、美人にもギャンブルにも、食にもそこまでこだわりはない。死ぬ前に一度でいいから見たい景色もなければ、行きたい場所もないし、F22に乗れたら死んでもいいとか、そう言うのもない。
昔だったら、「ドラクエの新作が遊べなくなるのが嫌」みたいなことを考えたこともあったけど、幸いにして今のゲームは、ハードウェアの進化が頭打ちになっていて、5年後10年後に信じられないようなゲームが遊べるようになるとは到底思えない。VRはまだまだ進化の余地があるとは思うけど、ぶっちゃけあれは、アミューズメントパークの3Dライドみたいなもんで、アトラクションの域を出てない。
後悔しないことが、笑顔のゴールに繋がるのかなぁとも思う。
日々のチョイスの中で、あとからずっとその選択を悔やみ続けるような選択はしたくない。
まぁおいそれとそんな「人生の岐路」が出て来るわけでもないのだけど。
僕は今47歳。1970年生まれは、第二次ベビーブームと呼ばれ、結構な数の同い年が、世間に居る世代だ。
だが、当然既に死んじゃってる人も居るし、きっとたぶん死にそうな人も居るし、今日まさに死んでしまった人も居るかも知れないし、明日死んでしまう人も居るかも知れないし、
僕が3日後に死んでしまう可能性だってゼロじゃない。
交通事故かも知れないし、隕石かもミサイルかも食中毒かもヒアリかも知れないけど、
絶対の未来なんて存在しない。
「3日」が極端なら、1年、1年が10年、20年、30年。
全ては積み重ねでしかない。
「3日では絶対死なない」なら、その繰り返しだって絶対死なないことになる。でも、
平均寿命を考えたら、残りはせいぜい30年前後なのだ。
人生の折り返しを過ぎてから随分経ってしまっているのだ。口が裂けても「若い」とは言えないし、人によっては「おじいちゃん」になってる人だって居る年齢だ。女性で16歳で結婚出産してたら、ヘタしたら「ひ孫」だってあり得る年齢だ。
僕はこのブログを書き始めて間もない頃、その年一番自分が熱くなったコンテンツに「クリスアワード」を付けた。仕事でも商売でもなく、ただ個人が趣味で書いてる独り言に、「アワード」なんて大それてるとも思ったし、思われたとも思うけど、
僕はそれがずっと続くと思った。
きっと僕はずっとこれを書き続けていくだろうな、と。だから「1年の節目」に、それについて触れておくのは、別段恥ずかしいことじゃないな、と。読みに来てくれる人が次々に変わっていったとしても、僕が書く内容が、どんどんつまんなくなっていったとしても、続けていくことそのものに意味がある。
3日後に死なないと思うと同じで、10年ブログを続ける可能性だってゼロじゃない。
ブログを始めたのはたしか2005年7月だったと思うので、既に12年経っている。これから時間の流れはますます加速していくだろうから、「次の12年後」は、もしかしたら、平均寿命の75歳くらいの頃の感覚になるのかも知れない。
続けられるとか続けたいとかそう言うのとも違う。
堀井雄二さんも鳥山明さんも、宮本茂さんもあずまきよひこさんも、スピルバーグも田中公平さんも、みんな僕より年上だから、もし順番が守られるなら、僕は彼らの最後の作品に触れることになる。
※ちなみに桜井政博さんとは同い年。僕のが3ヶ月くらいお兄さんだけど
若いクリエイターの作品にもし心が奪われてしまうと、「最後まで見られない」ことになる可能性が高い。ちょっとそれは怖い。でもまぁしょうがない。アイドルが自分より年下になった瞬間から、もう随分経つ。それと同じで、テレビに出てる芸能人が全員年下になる日も、たぶん来るだろうから。
※生きていれば、だけど。
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100年後はどうあがいても見られない。手塚治虫だってウェルズだって、タイムマシンのことを書くことが出来ても、タイムマシンに乗ったことはないし、乗った人に会ったこともなかった。アトムは所詮空想の産物で、車は今でもタイヤで走ってるし、「旅行」というほど気楽に月に行ったりは出来ない。てか、
地球に住んでるのは普通の人間だけなのに、月に行ったり宇宙に出たりって計画が、中止になったり停滞したりするのは何でなんだろう。「お金がないから宇宙に行けない」ってことは、誰かがそのお金を別のことに使ってるってこと?
「2012」で箱船が造られたように、宇宙に行くにも「必要に迫られる」ことが一番重要なんだろうと思う。結局人は、通信費には糸目を付けないけど、旅行はガマン出来る。今みんなが思い描く未来は、実際の未来とは全然違うし、それは「大昔藤子不二雄が描いた未来」とも全然違う。大昔にあった夢が今は見えにくくなってるというか、「夢を見たいと思いにくくなってる」気がするから。
もしも、
「笑って死ねる」こと以外の別の願いをするとするなら、「100年後の未来を堪能する」ってのも、悪くないかも知れないな。まぁその結果苦しみ抜いて死ぬことになるのはイヤだけどさ。
ああもっとこのネタは掘り下げるつもりだったのに、イマイチイメージが具現化しねぇよ!なぜなら、
今凄くトイレに行きたくなってるからな~。
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