リアルとリアリティ
ついこないだ同じネタを書いた気がするが、気にせず書く。歳を取るとそう言うことにこだわらなくなるのだ。
こないだ見た「エベレスト」という映画。雪山だけでなく登頂前に訪れた街並みや人のアップに至るまで、
悪い意味でブルーレイ画質※フルHD
その後見たよくわからないクリーチャー映画の導入部、ドローンなのかヘリなのか木漏れ日の中走ってる車を空から空撮。キラキラと光る日差しが影とのコントラストを作り、繰り返し流れる木々は、
まるでコピペのよう。
ある意味これが「コンピュータ脳」なのかも知れないが、印象として、
ゲームの既視感しか感じない。
以前何かのゲームで見たような、テクスチャを使い回してるポリゴンフィールドのような手ざわり。エベレストの精緻さも、アンチエイリアスが甘い、エッジの効いたドットとポリゴンの集合体というか、
エフェクトが足りない。もっと汚く見せるエフェクトが。
雪山に岩肌が見えていたってそれはその場所がそうなっているならそれでリアル。な、はずなのだが、
ちっともリアルには見えてこないなぜなら僕の中の冬山のイメージは常に猛吹雪かバージンスノーのどちらかだから<それも極端だが
「綺麗」とは「ビューティフル」や「ワンダフル」という意味もあるだろうが、「クリーン」とか「クリア」というニュアンスを含む場合もあると思う。
※詳しくは高卒に訊くな
ゲームをやっていても特別綺麗だと感じる画面は少なくなったが、モンハンワールドとかだとたまに「お、この絵は綺麗」と思うこともあった。
もちろん非現実的で情報量の多い「作られた自然」の文字通り「絵」でしかないのだが。
昔の映画は今よりも解像度が低く、、、というか僕らの知らないモノクロ無声映画の時代は当然さらにボヤけた上でさらに音までないわけで、情報量という意味においては、その「寂しさ」「物足りなさ」は推して知るべしだったと思うのだが、実際は全く逆で、当時初めての動く映像に、みんなのけぞって大声を出したという。
リアリティがリアルを超えた。
リアリティというのは「ぽさ」であり、世間一般の認識では、「リアリティの先にリアルがある」と誤解されていそうな気がしないでもないが、僕の中では、リアリティとリアルは全く別物で、価値としてはイーブンだ。リアルにはリアルの価値があり、リアリティにはリアリティでしか得られない特殊な良さがある。それはつまり、「綺麗すぎない映像」であったり、「ウソで固めたエベレスト」だったりする。脳内で「そう言うものであろう」と形作られた「偽物」により近いものがリアリティであり、それはつまりリアルよりも本物っぽかったりするのだ。
「事実は小説より奇なり」かも知れないが、「フィクションはノンフィクションより面白い」ことも、僕は、少なくとも僕の中では真実なのだ。
つかエロなんてその最たるものだ。世の中には「あんな妹」や「あんな学校」や「あんな時間を止める機械」は存在しないが、それを楽しいと感じるから市場は成立する。ジャニーズだって同じだ。ファンの妄想を壊さない徹底した情報操作があるからこそ、安心してファンを続けられるし、裏切り者はサクッと処分されるのだ。
リアリティの価値は、往々にしてリアルを、それも易々と凌駕する。
だからこそコンテンツは、もっとリアリティという価値、そのベクトルを磨いていく必要があると思う。
モンハンワールドの世界はまさにそんな感じだった。「不自然なほど綺麗に見えるように」「無駄だと思えるほど高密度に」配置されたオブジェクト、、、。
それでちょうどいい。
ゲームは長年映画を追い続けてきたが、ある部分においては既に映画を超えていると思う。それがこの「リアリティ」の部分じゃないかと。というか、フルHDの高精細な画面が、使い方を誤ったのか、
はたまた視聴者である僕が経年劣化してこの情報の高密度化に追いついて行けてないのか、
時折退化とも思える「本物っぽくなさ」を醸しだしてしまっている。ドローンなんてもんは、今まで見たことがない映像を見せてくれるだけで、結局は不自然で不慣れな非現実だと僕は思う。「リアリティが下がってる」ことに気付けよ、と。もしくは使い方をもっと真剣かつ慎重に考えろよ、と。
バラエティやニュース番組ならいざ知らず、視聴者とのシンクロ率を上げるのには少なくともプラスに作用はしてないと思うぞ?
まぁ「ドローン世代」ならまた違って見えるようになるのかもだが。
・・・
「綺麗な映像」と「精緻な映像」は全く違うし、「本物っぽい映像」と「本物」はさらに違う。ただ、それぞれにはそれぞれの価値があるし、それぞれがそれぞれの求められるファクターを磨いていかないと、残るのは違和感や既視感、下手したら嫌悪感だ。てか、
意外と本物を構成する要素って、見た目じゃない、温度湿度ニオイ風の強さ環境音、みたいなことなのかも知れないな。
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