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2018年4月 6日 (金)

寂しいと言うこと

寂しいという気持ちは、つまりは変化だと思う。それまでの日常が崩れると、文字通りそこに「穴が空く」。居たはずの人、あったはずの物、聞こえていたはずの声が聞こえなくなると、「静寂」が訪れる。逆に言えば、寂しさを紛らわせるのは、「あったはずの何か」を埋めればいい。まぁそうは言っても今すぐ娘の代わりを用意するのはいささか難しいが。

僕の場合は割とプライベートを自分の為に費やしていたので、、、

念のために言うが、僕は「自分の時間が無ければダメな人」ではない。まぁ高校生以上の子供やその年齢に即したかみさんとのコミュニケーションなどは、「普通の父親」はそうそう「先方から依頼されにくい」。つまり、誘われれば断らないが、そうそうどこかへ行こうなどとは誘われないのである。仕事もあるし。

結果ゲームにせよアニメにせよ、常日頃そこまで家族へ依存して暮らしていたわけではないので、その意味では「空白が出来にくい」生活を送っていたとも言える。娘にべったりの母親だったりすると、進学なり就職なり結婚なりで家を離れたときの「ロス感」がマジハンパ無いだろうなと思う。特に「していたはずのこと」が無くなるという意味で、日々娘の弁当を作っていた母親などは、その時間が無くなるだけでも結構大きいと思う。

 時間は絶対的な尺度として自分に影響を与えるから。

保育園・幼稚園に上がる前は四六時中べったりで、通い出すとその分空白が出来る。小学校、中学、高校と進むごとに、確かに家にいる時間は短くはなっていくかも知れないが、夕食や風呂、就寝までの時間、朝目覚ましで起きられない娘を起こす、、、そうした時間は変わらなく流れていた。もしかしたら亭主である僕とのコミュニケーションが著しく濃密であったなら、それもまた違ったのかも知れないが、現状を鑑みると、

 なるほどかみさんが寂しがるのも無理からぬことなのだな、と。

自店のパートさんなどは、娘に「大学にやるお金もないし、家を出て欲しくもないから、すぐ就職して結婚して孫の顔を見せてくれ」と依頼し、まんまとその通りになったという。それでも結婚して家を出たときは、凄く寂しかったのだそう。

昨晩家の中で愛猫カンナを探すと、娘の部屋の堅い、マットレスを抜かれたベッドの上の毛布で丸くなっていた。いつもはゴロゴロ言ったりじゃれてきたりはしないのだが、昨日は妙に指や足にまとわりついてくる。この場合は「あったものが無くなった」のとはちょっと違うのだが、「変化」ではある。トリガーはカンナの中での空白かも知れないわけで、いつもはあるはずの本やらなにやらが部屋の中から消えていることも併せて、

 ああ寂しいというのはこういうことなんだな、と、カンナをなでながら思った。

まぁつってもヤツは30分もすれば飽きて外へ飛び出していったりするのだが。てか蚊が出始めてるから玄関を開けっ放しにしたくはないのだが、彼女なりの寂しさを埋める所作なのかも知れない。・・・たぶん違うだろうが。

「変化」とは言ったが、たとえば食事の準備や洗い物などの、「増える方の変化」は、概ね寂しさを伴わないことが多い。確かにシンクに大量の食器が積まれていたシーン
※かみさんはまとめて洗う人だったので、そう言う時間もそこそこあった。ちなみに自分はひとりでそうなってしまうと処理がキツいと思って、毎食後に洗っている。まぁお茶碗とお箸レベルだし。

を思えば、大幅に縮小軽減されているわけで、「無くなっている」とも言えるが、言っても自分が洗ってる時間は増えていて、「埋まっている」ので、存外寂しくはない。つか僕は19歳から24歳くらいまでの5年間ひとり暮らしをしていたわけで、
※それなりの頻度で友達が遊びに来たり、高頻度で実家近くの友人の家に遊びに行ったりしていたので、ほとんど寂しさを感じることはなかったが。つか僕が生涯もっとも寂しさを感じたのは、高三のクリスマスやお正月に、会うはずだった友達とコンタクトが取れなくなったとき。結局それも「あったはずのものがない」のがトリガーなわけで、

 もし寂しいことが嫌なら、その時間を何かで埋めればよかったのだけど、

結局その時の僕はひとり寂しく体操座りをして、寂しさをエンジョイしてたんだよな。つまり、

 どんな状況であれ、「変化には意味がある」とも思う。

ツライとか苦しいとか、もっと言うと「かゆい」とか「痛い」とかの変化は勘弁して欲しいが、自分を取り巻く環境が変わることで、自分の行動や、見える景色が変わるというのは、多かれ少なかれ心と体に影響がある。歳を取ると時間の流れがどんどん加速していくが、つまりはそれが変化がない日常だからだ。

 変化があることは、必ずしもマイナスではない。

「あったはずの何か」の代わりがあれば、、、「代わりを作れば」、そこに新しい生活が生まれる。いや、別に離婚して再婚するとかじゃないよ?そんな甲斐性もないし。

 ・・・料理とかしてみるのもいいのかも知れない。

言ってもひとり暮らし一年目の頃は、丸々一年間一切外食をせず、全て自炊していた。もちろんそれが続くと思ってなかったので、「一年くらいはやれるかな」という感じで、実際その通りだったのだけど、

 ただ言っても今と違うのは当時の方がお金があったってこと。

駐車場一台込みの家賃が1万円くらいのボロアパートである。手取り11万でも全然普通に暮らせたわけで、

 野菜とか腐ったらどんどん捨ててた。お米と味噌は一番高いヤツを買ってたし、「自炊の目的が金銭的な理由ではなかった」。

最終的に僕のカレーに入ってるジャガイモは「直方体」になったからね。腐らせるくらいなら包丁を垂直に入れて、中心以外は捨てる。もったいないとは思うけど、腐らせるくらいなら、時短に繋がる分そっちのがプラスだ。

 でもさすがに今はそんな暮らしは出来ないだろうな、と。

娘の大学にもお金が掛かるだろうし、、、。つかそう言う、ある意味煩わしい、そして切実な問題を考えると、勢い空白は埋まっていくのだが、まぁそれは「望ましい埋め方」ではないからな。ただ、

 金銭的に多大な影響がない範囲での自炊

なら、やってもいいかなと思った。てか10日くらいでかみさんが帰ってくるとは言ったけど、先に挙げたような寂しさにまみれていたら、容易にそれが延長することも考えられるわけで。

 てか今普通の食生活をしていくのに、一日当たりいくらくらい掛かるもんなのかね。

今までの流れで言えば、朝食は菓子パン。つってもメロンパンなら半分、スナックパンなら2本とか。昼は概ねかみさんがラーメンや焼きそばなどの麺類で、晩飯はご飯物という流れ。

 カップ麺ではないうどんくらいなら作ってもいいのかな、とも。

あとそう!今スゲェ野菜が摂れてない。やばいくらい摂れてないので、そこも何とかしなきゃ行けないかなぁって感じ。てか果物でもいいんだけど、インスタントばかりの食生活はやはりよろしくない。

 「寂しい」の話から随分離れてきた気もするが。

つか「最低限」がどのラインなのかはともかく、かみさんも僕の食生活が10日で「0円」とは思ってないだろうから、幾ばくかの予算は計上して貰わないとって感じではあるけどね。

ただ、あらためてスーパーとかに行ってそう言う気持ちで店内を見ると、しみじみと感じたことがひとつ。

 牛肉は高い。

僕は牛肉が大好きなのだが、なるほど食卓にあまり並ばないのも無理からぬことなのだなぁと思った。まぁそのスーパーが近所で特に肉が安い店というわけじゃなかったからかもだけど。

てか若い頃のひとり暮らしと決定的に違う点があったな。

 あの時は「セイシュンの食卓」という本を元に、日々料理してた。

知ってる人は知ってると思うけど、まぁかれこれ30年近く前の話だから知らなくて普通。簡単に言えば、マンガ形式で簡単に作れる食事をまとめた本。何冊か出ててガンガン作って食べてた。もう一切どんな料理があったのか思い出せないけど、

 調べたら今でもあるみたい。

ログインしないと読めないみたいだけど、何か作ってみようかな。

 ・・・「何かを作る」

まさにそれが、寂しさを埋めるってことだから。

※なんか上手くまとめた感があるけど、実際は面倒で作らないからな<イイ感じの雰囲気が台無しだ

余談だけど、子供の頃買い溜めたプラモを見た母親が、「老後の楽しみにすればいい」と言ってたことを思い出す。

 老眼でプラモとかとてもじゃないけど作りたいと思わなくなるとは、、、

レゴとかもキツいんだろうな、と。マンガも結構キツくなってるし、いざ作ろうとしたらたぶん目以外にも指先も思い通りには動かなくなっていく気がする。ただ、

 少しでも抗おうという意志は残しておきたい。

俳優の名前が思い出せないときに食い下がって食い下がって「ジェイソン・クラーク」が思い出せるうちは、まだ何とか行けそうな気がするからな。明日の休日、洗濯でもするかな。

つか今思ったけど、「居なくなる側」の方が、行った先に「別の何かがある」からそんな寂しくないんだよな。「居なくなられる側」の方が、いろいろ無くなって寂しいと思った。つか、カンナが、

 「みんにゃわ~?」

って鳴いてる気がして、ツレェわ。

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コメント

カンナさん・・・(;;

投稿: 長男 | 2018年4月 6日 (金) 04時28分

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