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2018年4月27日 (金)

READY PLAYER ONE ネタバレ厳重注意!

まだ見てない人は絶対読まないように!最初からネタバレ全開です。もし興味がある方は、前回のネタの途中まで読むか、

 明日の夜レイトショーにでも行きましょう!

●書き足りない

昨日友人のnori君が見に行ったということで、ひとしきり映画談義に花を咲かせた。その中で、もう少しだけ本作について書きたくなったので、ちょっとだけ触れることにする。

ちなみにウィキペディアを読んだり、軽くネットで情報を漁ったり、前回の僕のブログを読んでる前提になるのであしからず。

●ターゲットが実は広い

前回この作品が「僕に向けての作品」「年齢が3才ズレててもここまで楽しめなかったと思う」みたいな話を書いたと思うけど、

 どうやらそんなことはないということに気付いた。

本作には言うまでもなく大量のネタが仕込まれている。大きいものではキングコングやティラノサウルス、ガンダム、デロリアン、小さなものでは、(nori君が見つけた)背景に埋もれた「レオパルドン」
※日本の特撮「スパイダーマン」に出てきた巨大ロボット
まで、数えても数えてもきりがないんじゃないかというほどにいろんなパロディというか引用というかリスペクトが折り込まれまくっている。

 つまり、僕が「ジャストミート」と感じたのは、その中の一部であり、見ている人、例えば10歳年上でも、10歳年下でも、その人の中でフックするポイントを大きくフォーカスして捉えるのではないか。

僕が2曲しかわからなかった洋楽に、全曲打ち震えた人も居るはず。僕がピンと来なかったホラーエッセンス、シャイニングやチャイルドプレイ、フレディにジェイソンで喝采をあらわにした人も居るはず。

 そう言う人にとって、ガンダムやアイアンジャイアントが枝葉末節の些細な部分であっても、「自らに向けての映画」として、十二分に楽しめたんじゃないか。

より深く楽しむ為に、いろんな知識があった方がイイ。それはたぶん事実ではある。だがしかし、

 深く楽しめなければダメなのかとい言えば、そんなことは全くない。

浅く軽くなぞるように見たって、この映画は十分元が取れるくらい面白い。

だからこそ「重要なのはそこじゃない」って言葉がつい出ちゃうんだ。キングコングやガンダムが出る映画、、、それだけじゃないって。

●評価がまっぷたつ

まっぷたつと言っても、GOODとBADのまっぷたつではない。

 満点と3、4点のまっぷたつ。

ネットの感想、そして僕の感想を読んでもわかるけど、

 満点の人はとことん満点だ。

※僕は自分のブログなので9点評価をしたけど、もし外の映画評とかなら間違いなく満点だった。そもそも9点は5段階評価で一番上になるし

そして、それ以外の人も概ね高評価。これはつまり、

 どれだけこの映画と距離が近いかの結果

ガンプラが棚に積んであるとか、ジュラシックパークもキングコングもバックトゥザフューチャーもグーニーズも見てるとか、日本のポップカルチャーに興味がある。どっぷりハマってる。むしろ自分の全てだとか、、、

前項で、「わからなくても楽しめる」的なことは書いたが、

 楽しめる=満点評価になるわけじゃない。

凄く面白くて、凄く楽しくて、本当に最高だと思うためには、やっぱりそこに「少しでも深い理解」が不可欠だったな、とも思う。ひとつひとつの小さなエッセンスが積み重なって、それを拾い上げることで本作を満点にする。

 魂はディティール(細部)に宿る。

誰が気付くか、誰も気付かないかというところにも気を抜かず、こだわりを捨てずに徹底的に磨き上げる。細かければ細かいほど作業は増えるし、スピルバーグ曰く「3本の指に入るほど大変だった」という感想にも繋がってしまうが、

 だからこそ見えてくるものがある。

そして、

 それが見えたとき、評価は満点へと変わる。

僕はこの映画が「僕のための映画ってわけじゃなかった」って書いたけど、

 僕のための映画でもあった。

徹底的に掘り下げた全てのエッセンスが、見ている人の多くを惹きつけ、「自分のもの」にしてくれる。

 そりゃ満点も付けるってもんだ。

だがしかし、、、↓

●9点のわけ

これが書きたくて書き始めた。前回も書いたけど、この作品は、今年のクリスアワードになり得るほど僕の中の評価が高い。もう何回「面白かった!」と言ったわからないほど面白かったし、僕の47年の人生を振り返っても、ここまで第一印象というか、面白かったという思いが強く残った作品も珍しい。その感覚は、「バックトゥザフューチャー」を初めて見た時にも似ているし、中高生の頃の「最高だったスピルバーグ」がまさに帰ってきた、ある意味懐かしさを覚えたりするほどでもあった。

 だが、満点じゃない。

ただ、目立ってどこが悪かったと言うことでもない。つまり、

 満点にならない理由がある。

ただ念のために言うが、これは本作へのクレームでもなければ、バッシングでもない。「こうであったらもっと良かったのに」というある意味妄想のようなものだ。

・・・

 ウルトラマンが出ない!

これは凄くそう思った。

劇中でメカゴジラが現れ、それを倒す為に躍起になるシーン。トシロウが、「オレはガンダムで行く」の台詞と共にガンダムに変身し、わずかではあるが心を躍らせ、ワクワクさせる。

最中仲間から「1分しか戦えない」とか「あと30秒」みたいな合いの手が入り、緊迫感を煽る。

 だがちょっと待て。

これは本来ウルトラマンの役所だったのではないか。

相手のメカゴジラのみならず、こちらのアイアンジャイアントですら、1分のしばりなどない。この場面でいきなり「ガンダムだけ時間制限がある」ことに、一抹の違和感を覚えたのは僕だけじゃないだろう。

 ウルトラマンであるなら、何も問題はなかったのだ。

ウルトラマンであるなら、仲間の説明的な合いの手など不要。カラータイマーがピコンピコンと点滅するだけで、緊張感は簡単にMAXまで上がる。

さらに、「変身」という行為。「オレはガンダムで、、」は確かにかっこいいセリフだが、ガンダムは本来「変身するものではない」。当たり前だが、

 変身するならウルトラマンだろう

そしてさらに、ガンダムの挙動。

 なぜ上空から飛んでくるのか。

ガンダムは確かに地上戦も宇宙戦もこなせるモビルスーツだが、あんな挙動は「ガンダムらしくない」。もちろん操縦してるのがアムロではなく、この世界の文法に則って言えば、ガンダムがああいった動きをしても何らおかしくはない。

 だが、空から前傾姿勢で飛んでくるガンダム、、、あれはまさにウルトラマンが変身して向かってくるシーンだったのではないか。

右手を前に付きだして、メカゴジラと対峙する。

 もし円谷対決であったなら、ガンダム世代の僕ですら、きっとあの時あの場面、今回以上の熱量を持って叫び声を上げてしまったと思う。

惜しい。あまりにも惜しい。

もちろんガンダムはガンダムで別の見せ場を作ればいい。というか、本来ガンダムがやるはずだったところをアイアンジャイアントという別のロボットにシフトしたせいで、結果、

 妙にアイアンジャイアントの出番が多くなってしまったのではないかという気すらする。

ちなみにアイアンジャイアントに関しては、「なぜ変形しないんだろう」と別の疑問が去来した。かの作品を知る者の多くは、かの作品に対する高評価を惜しまない。特にクライマックスでの変身して地球を「火の七日間」のように殲滅してしまうのではないかというシーンのインパクトも相当なモンだった。だから今作でも変身するのを心待ちにしていたのだが、

 よくよく考えたら変身してはダメだった。

なぜなら、それはアイアンジャイアントという映画の、最大のネタバレであり、かつ本作でここまで活躍させた裏には、原作者やスピルバーグの「アイアンジャイアント愛」があったればこそだったはずだ。つまり、

 本作をきっかけに、アイアンジャイアントを見て貰いたい。そして、唸って、愛して貰いたい。

ならばここでの変身は愚行でしかない。

 わかってんな、監督。

って感じだ。

また、ウルトラマン以外でも残念だった点がある。それは、

 ラストがもったいなかった。

確かに部下の女性暗殺者にパンチを食らう悪玉や、キスシーン、サイモン・ペグの美味しい役周りなど、エンディングとしての体裁は整ってはいる。だが、

 ではこのラスト、最高であったか?と問われたら答えはNOだ。

もっと言えば、僕の中で満点を取っている作品、例えば「トップをねらえ!」のラストと比べてどうだったかと言えば、

 完全に負けている。なぜなら、最後に最高の盛り上がりが来たわけではないから。

映画をラストシーンだけで語るべきでないことは百も承知だ。ただ、「終わりよければ全てよし」というのもまた事実だと思う。「トップ」で最後の最後にモノクロからカラーに変わる瞬間の、体中を走る電気にも似た衝撃。気付けばほほを伝う涙。そこまでの過程ももちろん最高だったが、最後の最後、あの青い地球のシーンがあって、オカエリナサイの文字を見て、初めてトップは僕の中で10点になる。

アイアンジャイアントは逆に道中でマイナスがあったので10点作品ではないが、それでもラストシーンを忘れた人は居ないはずだ。それまでのマイナスが全て帳消しになる、落胆から希望への大逆転。それこそがカタルシスの極みであり、ラストを飾るに相応しい盛り上がりだったと思う。

では他のスピルバーグ作品がどうだったのか。

 バックトゥザフューチャーのクライマックス、過去から未来へ戻って来られるのかどうかという瀬戸際のシーン、ドクがケーブルを落としてヒヤッとし、手に汗握るあの瞬間、、、

 ジョン・ウィリアムスのBGMが、僕らのテンションを振り切れるほど高めてくれていた。

残念過ぎるのは、レディ・・・が、ジョンではないということだ。

スピルバーグ監督は、「映画の感動の8割は音楽によって決まる」みたいなセリフを残している。つまり、クライマックスでもっとずっと最高なBGMと共に盛り上げ、最後穏やかな「週に2日はオフ」なんて日和った答えでお茶を濁すのではなく、

 突き抜けた感動とインパクトで締めて欲しかった。

別にゲームと現実の区別がどうとか、そんなのは、本作には不要だったと思う。てか、「大人向けな礼儀」「お約束」として折り込まれた常套句であり、

 10点を取りに行った答えじゃない。

「悪くない」は、どうがんばっても「最高」にはならない。そして「最高」ってのは、本当に最高じゃなきゃ最高とは言わない。

ウルトラマンとクライマックス。次回作があるなら、ぜひとも僕のこのもどかしさを、綺麗サッパリ払拭して欲しいなって思う。

 それこそがスピルバーグであって欲しいし、スピルバーグならやってくれると、今なら信じられるから。

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コメント

初めまして
全く同じ事思いました。ガンダムの所、ウルトラマンの予定だったのかもしれないですね
凄く面白かったですがウルトラマンも見たかったです
ラストは確かに満点ではない、同じ気持ちになりました

投稿: ひゅおん | 2018年4月27日 (金) 07時19分

こんばんわ。原作読んだ友達の話だと、ラストまさにガンダムでなくウルトラマンだったそうで、しかし円谷からだけ許可が下りなかったと。「んだよ円谷わかってネーナ!」と憤慨したんですが、映画公開前後にアメリカでの版権に関して、訴訟してた判決が出て、それで出せなかったんじゃないかと思ってます。タイミングですね。今更ですけど、「誰かのセンスがなくてガンダムに」とかではなかったのかもな…というご一報まで

投稿: ヴァーガム | 2018年9月25日 (火) 02時20分

初めましてヴァーガムさん、クリスです。コメントありがとうございます。

ウルトラマンに関しては、僕も多少事情を知った上で書かせて戴いたものでしたが、「やっぱりしっくり来るのはウルトラマンだったんだよなぁ」って感じで、改めて触れたネタでした。
※本作に触れたのは2回目。さらに3回目もブルーレイ購入後に触れています

ただ、次作の構想は進んでいるらしいですし、そこでは晴れてウルトラマンが出る可能性も高まっているみたいですから、来るべき未来に期待したいと思いますね。

 本作を超えるのはなかなかに大変かとは思いますけども(笑。

投稿: クリス | 2018年9月27日 (木) 21時42分

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