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2018年6月21日 (木)

高校の時の友人と会う

プライベート寄りの話。

昨夜同窓会の集まりで、自店閉店後居酒屋へ。15人くらいが来年の同窓会運営に関連して集まってくれていて、名簿作りとか、アトラクションとかの話と、アルバム見ながらご歓談したり。

全員がクラスメートになったことがあるわけじゃないので、知らない人は完全初対面、ある意味全くの赤の他人だったのに、同い年で同窓生で、ってなると、意外と普通にしゃべれたりする不思議。まぁ普通に大人だから普通の対応をみんながしてくれただけかもだけど。

そこでの話はそう大したことはなく、面白くもない。シークワーサーのジュース飲んで、多少刺身をつまんで、会費を払って、、、

 まぁ居酒屋とかの値段ってホントぼったくりだと思うわ。

ああいうの平気な人生を歩いてきてないというか、みんなが集まるから、これが一回目だから、僕が委員長だから行っただけで、

 次はサイゼリアにしてくれよ→サイゼはアルコールあるっけ?

お金の使い方は人それぞれだから、酒代に何万も出せる人もいれば、

 ゲームの課金で2万とか使っちゃう人も居るって話だけどさ。

で、その会の終盤で、もうひとり友人を呼ぶと、久々に会いたいから、ウチに遊びに来いよ、と。大体23時半くらいだったけど、呼び出して、自宅まで連れてきた。

 で、そっから4時過ぎまでダラダラしゃべってた。

いつもそれなりに夜更かしの得意な僕だけど、何だかんだ言って途中で1、2時間寝落ちしてることもあるわけで、ましてや翌日普通に仕事なわけで、さらに言えばしゃべり通ししゃべってたりすると、

 結構疲れるもんだな、と。

でもホントくだらない話から哲学的な話、いろいろした。「オレはホッとしたくない人なのかも」とか「SとMで真逆だわ」とか。

中学高校時代はよく長電話をしたものだけど、久々にそう言う感じで、一対一だから特に気兼ねすることも気を遣うこともない。強いて言えば「タバコ厳禁」がヤツに結構ストレスだったかも知れないが、

 話が楽しければ、実はそこまでタバコに意識が逸れないのかも

とも思った。まぁタバコ吸わない僕が言うのも説得力無いかも知れないけど、言ってもニコチン中毒を自称する人間に5時間禁煙させるのって結構「重たい」って思うんだよな。

 まぁそのくらい楽しい時間だったって話。

どうでもいい方では、PCに映した「ザブングルのプラモ」見ながら、かっこいいとか、メタリックで塗った、火を噴く「攻撃形のウォーカーマシンだった」なんて話。二人でかなりのロボットの名前を言い合えるのがとても心地よい。

 「これってレッグだっけ?」

なんて話が通じる48歳も、そうも居まい。

 「ブラッドテンプルの頭だけ拾ってきたのがマークII」

とか。エルガイムではオージェが好きで、プラモは重くて関節にゴムのカバーが付いてたんだよな~とか。

 懐かしいというより、「心地よい」感覚。

昔僕が作ってサイドメニューにもある「イントロクイズ」。アニメ編を適当に聴かせて、

 かなりの打率で答えて貰える幸せ。

人は自分と同じ趣味嗜好の人間と、同じベクトルで話をすると、

 楽しいのだよ。普通に。

僕は楽しい時間が好き。映画とかアニメとか、
※「マドカマギカ」をスゲェプッシュされたけど
ストレスがある話はダメ。すぐ飛ばしたり止めたりしてしまう。一方で、、、

 偽善だと思っちゃうんだよ、

と。相手のためとか言いながら、そんなの偽りの優しさじゃないか、と。そう言うのが耐えられないとか、ツライとか。

 全然僕はそんなこと思わない。

別に「ひとりでも、ひとりじゃなくても平気」な人間だから。コブラのように心臓がエイトビートを刻んでるかのように、「紙とペンさえあれば」、書き続け、そしてそれを読み続けられる。自分が楽しいと思えるチョイスには、相手の笑顔も入る。笑顔を見るのが楽しいってのが偽善ってことはないだろうよ、と。

 (そいつは)ウィンウィンの関係はあり得ないって言ったけど、

全然そんなことはない。僕が以前書いた手記。「300円な」と言って、買ってくれた友人が先の集まりに居たのだけど、「(300円の)価値はあったかね?」と訊いたら、

 「あったあった」

結構嬉しかった。もし「もっと払ってもいいと思ったらもっと払ってもいいよ」と言いながら、集まりの時に彼は僕に500円をくれた。友人で、別に僕がそこまで貧乏ではないことも知ってるヤツが、「楽しんだ代償として」僕にお金を定価以上の額で払ってくれた。

 これは紛れもないウィンウィンだろう、と。

あり得ないなんてことは全然ないよ、と。お互いが楽しめる状態は、それで既にウィンウィンだ。仮面ライダーカブトがいかにかっこいいか、あの回し蹴りはライダーキックの歴史を変えた、「だよな!」と共感するその「共感」こそがウィンウィンだ。

「地球上の笑顔の量は一定」って話がある。誰かが笑えば誰かが泣いていると。僕は自分が「泣く側」「怒る側」になりたくない。つまらなければバッサリと見るのを止める。読むのを止める。楽しいシーンを何度も繰り返す。何度も読み返す。自分が数年前に書いたブログを今読んで笑ったりする。

 エロマンガ家とかってスゲェ羨ましいよな、と。

自分で自分の好きなエロを量産できるなんて、と。「自分と自分の間」でウィンウィン。自己完結。自給自足。

基本僕はポジティブだ。ポジティブだが、ポジティブを維持するためにマイナスのファクターを受け付けないようにする傾向がある。ストレスが凄く嫌い。いろんな環境に適応し、いろんな状況を楽しいことに昇華するのが比較的得意な方だが、それはつまりは、その方が「得」だからだ。利己的だからだ。でもそれが全て偽善だということはない。自分が楽しいと思うことの中には、「相手に犠牲を払わせても」は含まれていない。

自分がわからないこと、受け付けられないことを「否定する」のとはちょっと違う。僕はマドカマギカが大好きな、メガネで小太りで、チェックのシャツをパンツにインしてるような絵に描いたようなオタクを哀れかダサいとか思わない。

 内側に入れる楽しさ、喜びを知ってるから。

内側に居る者同士が同じ価値観を土台にして話をする楽しさを知ってるから。ここに毎日のように覗きに来てくれるソシャゲの読者さんも、外から見たら「なんでデータにお金払うの?」と思うかも知れない。だが違う。

 幸せとは、自分で選び、自分が決めること。

楽しい道と辛い道。迷わず楽しい道を選ぶ。結果「人間としての成長に、一切プラスにならなかったとしても」僕は楽しい道を選ぶ。これは、「僕にとって」それが正解だと思ってるだけで、周りの人間も僕と同じようにそれが正解であるとは限らない。特にスポーツ選手なんかは、どこまで自分を痛めつけられるかが、成長の勝負所ということもあるだろうし、結果僕が全く見ることがない景色を見られるかも知れない。それは勝利の笑顔と共にあるかも知れないし、敗北の涙かも知れないが、それでもより強く心に残る記憶となるなら、それはそれで「悪くないんだろうな」と思う。

 自分のための行動は、全て偽善じゃない。人間は自分のために生きてる生き物だし、それが当たり前だと思えば、「それが普通」だと思える。

自分を守るために、「ガワ」を被って、「みんなから見えるいつもの自分」を維持する人も居るだろうと思う。取り繕ってストレスを被ってると本人は思っていても、実際は「そうじゃない方がストレス」だからやってるのだ。自分の生きたいように生きるのが難しいというのは、「(生きたいように生きた場合)同時に発生するマイナスを、しっかり把握計算してる」、つまりは、択一で楽なチョイスをしてる事実に変わりはない。

 どっちが楽しいかで決めるbyシャロン。

これはつまり、

 どっちが辛いかで決める

と言うことでもある。辛い方を「選ばない」。

僕は人間には矛盾はないと思っている。再三書いているが、

 どうにもならないことなんてない。大抵の場合はどうしていいかわからなくなっているだけだby吉田聡「スローニン」

「いつ死んでもいい」と思う自分が、寝違えた首筋が痛いことにストレスを感じるのは、つまりは「いつ死んでもいいなんて嘘っぱち」だって話だ。選択肢が見えにくい、わかりにくいだけで、どこかに自分が選ぶべき正解が必ずある。

 正解が100%の幸せではなく、1%の幸せだったとしても、他の選択肢が全て0%、完全な不幸だった場合は、1%のかすかな幸せが正解なんだ。

 僕はそれを選びたい。それを選ぶ生き方がしたい。

・・・

昨日遊びに来たソイツは、実は僕が生まれてこの方「唯一羨ましい」と思った男でもある。僕はブサイクだし身長167cmだし、結構デブだし、お金もないけど、僕は僕にそこそこ満足している。その分向上しないということもあるにはあるが、特に人様に多大な迷惑を掛けているつもりはないし、同窓会の集まりでみんな行けないって言っても、委員長だからという理由以外で「行こう」と思える程度は前向きだ。

そいつは昔は自分に自信があり誇りもあったけど、今はそれがほとんど欠けてしまって、凹んでいた。昔の自分がジャマをするみたいなことも。だから僕が「羨ましかった」と言ったら、「絶対ウソだ」と言った。自分を卑下していて、そんなはずはないと。でも、オレに言わせたら「そんなはずはないなんてオマエにわかるはずがない」。
※これは昨日話した話じゃないけど

 オマエはオレじゃないし、オレはオマエじゃないんだから、羨ましいと思うポイントも、「羨ましいと思うだろうと思うポイント」も違う。

僕はそいつの「歌声」が大好きだったし、もし何かひとつ「体について」貰えるものがあるなら、「のど」が欲しいと思ったくらい。

いろんな人が居て、みんな自分のことが一番大事だと思ってる。

以前かみさんに、子供の命を救うために死ねるかと言われた。かみさんは迷わずYESだったが、僕はちょっと違ってた。

 二人とも助かる道をギリギリまで探す。

デイアフタートゥモローで「自分がロープを切らなければ二人とも落ちて死ぬ」という状況であれば、ロープを切ることに躊躇いはない。

 二人死ぬか、子供を生きのびさせるかの二択は、後者の方が得だからな。

・・・

こういう話は、リアルでやってこそかな。ブログのネタとしては支離滅裂過ぎてしまうな。

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