ケチの話
僕はケチだ。飲み会とかは主に金銭的理由で行きたくないし、何度も書いてる通り「安くて美味しい物」が何よりの好物。「高くて美味しい物」は、「たとえくれると言われてもほぼほぼ嬉しくない」。
※実際美味しいケースは稀だし。
ただ、その判断基準も「絶対価値」ではない。たとえばミカン。ミカン1コいくらが高いか。一袋20個入って298円の駄ミカンと、1個300円の超絶美味しいミカンであれば、僕の中の「安い」は後者になったりする。これはあくまで比較論なので、実際は高くて買わないが、1000円出してもそれに見合う超絶な美味しさが伴っているなら、それは別段高くない。
自分が3000円の価値があると値踏みするものを1000円で食べられたわけだから。
また、ケチではあるがドケチだとも思ってない。毎年クリスマスや誕生日にプレゼントを買ったりするし、パートさんにもクリスマスプレゼントやホワイトデーのお返しを考えるのも嫌いじゃない。ある程度のリミット(価格上限)は設けるが、自分の中で「割に合う」と思えば、「プレミアの付いたラムネ」だって買う。
「けち」とは、、、物や金を惜しむこと。またその人
とある。そこには「基準」を示す単語がない。僕は「ただただ闇雲に惜しむ」わけではないのだ。というか、
「割に合う合わない」を異常に気にする人なのだ。
たかがデータに何千円何万円も課金をすることを「愚かだ」「無駄使いだ」という人。アイドルのCDを何枚も何枚も買って投票したり握手しに行ったりする人。毎日何箱もたばこを吸う人。店飲みが好きな人。1円でも安いガソリンスタンドで入れたい人。特売品を好んで買う人。高級車を買う人。タクシーに乗る人。クーラーを付ける人。ティッシュを2枚ずつ使う人。値段を見ずに物を買える人。最新のスマホを買う人。靴やバッグを一杯持ってる人。予防接種に行く人。
「いくらなんでもそれは違うんじゃないの?」と思う項目もあると思う。あと自身の希望とは別に「強いられる」ケースも。リアルな大金持ちだったら確かになんら気にすることもないことばかりだろうけど、そうじゃない人も多いし、そうじゃない人は、その人なりに「YES・NO」を出すでしょ。
僕は小さい映画館で映画を見ることほどもったいないことはないと思う。(いくら安くても)不味い食べ物を買うことほどもったいないことはないと思う。
ただ歩道を歩くときでさえ、次の曲がり角に向けて、最短コースを歩きたい。
「無駄に時間を費やすこと」=「お金の無駄使い」。TIME IS MONEY.好きなゲームを朝まで遊ぶことは浪費なのか。面白いマンガの続きを新刊で買うのはもったいないのか。2㍑のアクエリアスを120円で買うのはケチなのか。
そもそも、ケチは悪なのか。
「せこい」 料簡が狭い。ずるい。けちくさい
「けち」ではなく「けちくさい」になってる。「けち」の意味の中には負のワードがなかったように思うが、「せこい」は負のイメージが伴っている。自分はせこいのか。好きなジュースをちびちび飲むのはせこい気がするが、そのジュースをまとめて30本買うのはせこくない気がする。でもそれを一番安い店を探して買うのはせこい気がするが、美味しいからとパートさんに配るのはせこくないと思う。
僕は「安くて美味しい物が好き」だ。安くて美味しい物は価値があると思う。その価値観を共有したいが為にコストを割くことには抵抗がない。
1個100円のお菓子が、2個で100円で買える店があるなら、そこで買う。しかし、2個100円で買ったお菓子を、1個友達にあげることは平気だ。でも2個ともあげたりはしない。さらに言えば「そのお菓子を美味しいと思わない人」には絶対あげたくない。
僕は相手に期待をしてしまう。それが「美味しかった」か「イマイチだったか」。一粒のアメでも、「おっ!」と言う人と「まぁアメですよね」という人が居たら、僕は後者にはあげたくない。たかがアメ1粒だろうと、「アメの美味しさを感じられる人」にしかあげたくない。そのアメが近所のコンビニで買える物だろうと、ネットでわざわざ取り寄せたものだろうと、「答えが出せる人」に「答えのあるもの」をあげたい。「あ、それ食べたことあります」という人には、あんましあげたくない。別にその答えが「マズッ!」でも構わない。ガッカリはするが、好みは絶対だし、僕もそうだ。
その桃、1個800円したんですよ
と言われても「娘の友達が持ってきた桃の方が美味しかった」と言ってしまう。相手が期待する言葉を僕は僕の気持ちを曲げて吐露したりはしない。もっと言えば、それを言うことでもう買ってきてくれなくなっても何ら問題はない。むしろ僕は「高くて美味しい物」が好きではないし、「高さに価値を見いだす」ことを「かっこ悪いこと」とすら思っているからだ。
美味しい物の尺度は、お金ではなく、自分の心が決める。
あと、僕が凄く嫌いなものがもうひとつあった。
お通し。
アレはダメ。ケチだと言うなら言ってくれて結構。好きでもないものを強制的に、それもお金を出して買わなければならない。つまり、
抱き合わせ商法で「ガウ攻撃空母」を買わされることと同義。
なんでみんな平気なのかわからない。そもそもお酒を飲まない僕は、お通しがある店に行くこと自体極めて少ないのだけど、「ごまかされてるような」「水増しされてるような」気が凄くする。「孤独のグルメ」でも、「お通し800円」とか見ると、殺意しかない。
どれほど美味しい物であったとしても許せないのに、十中八九美味しく無い。
お酒を飲む人の味覚を基準に構成されている「強制商品」が、下戸の僕に美味しいわけがない。
昔は平気だったけど最近凄く抵抗があることでは、「外食」がある。僕は「安くて美味しい物が好き」なのだけど、「安くて不味い物」「高くて美味しい物」は好きじゃない。さらに言えば、
高くて不味い物は、死ぬほど嫌いである。
外食、特に家族とは別の集まりで何かを食べるというのは、もうその時点で「ほぼ嫌い」なのである。僕の金銭感覚はみんなと違うので、みんなが安いと思うレベルでも僕はそう思わなかったり、みんなが「このくらい当然、この程度はしょうがないでしょ」と思うレベルでも、僕は全くしょうがないと思えない。
一言で言えば「許せない」。
僕は正直だと思う。美味しければ美味しいと言うし、美味しく無ければ美味しく無いと言う。安くて美味しければリピートするし、高くて不味ければ、、、
高くて不味い物なんて、そもそも絶対踏みたくないのだ。
それも自腹でなんて、まっぴらなのだ。自分で自分の嫌いな物のために自分のお金を払うなんて、どんなマゾ野郎だ。
でもそこで奢って貰うのはさらに嫌いだ。
そう言う意味で言えば、僕は好き嫌いが激しいとも言える。てか好き嫌いがめちゃ激しいわ。「とも言える」ってレベルじゃねぇわ。
もし「高くて不味い物」を食べたくないなら、その可能性をはらんだ店や集まりには行かないようにするしかない。自分の意志で吉野家やコンビニに行って食べ物を選ぶ分には、「想定外」にはならない。後悔はしない。
僕はケチだろうか。ケチだろうな。ケチでいいわ。
不味くて高い物を買うくらいなら、8800円ゲームに課金してガシャで大爆死した方がマシだ。
つっても基本感謝に対してしか課金しないから、そう言うケースはほぼ無いけどさ。
・・・まだ言い足りない。
よく美味しいを表現するのに「シャキシャキ」とか「外はカリッと中はトロ~り」とか「もっちりもちもち」みたいな擬音?が使われたりするけど、
ほぼ地雷。というか、「全く美味しい表現として成立してない」。
なんだよ「シャキシャキ」って。意味がわからない。玉ねぎの食感が大嫌いな自分である。時折「除草剤が入ってるんじゃないの?」とネギの味にリアクションする僕である。カリっとしてたら「口の中に刺さる」と思うし、「いきなり割れて激アツのトロ~り」が出てきたら、間違いなくヤケドだ。「もっちり」って、、、「サックリ」のが遙かに好きだわ。小麦粉の塊にかぶりつく感じだろ。
「溶ける」「ふわふわ」「なめらか」「ホクホク」これらは美味しい表現として必要十分だと思う。でも、全くそうじゃないものも凄く多い。あと気になるのが、、、
天ぷら。
僕は美味しい天ぷらをほとんど食べたことがない。アツアツじゃないと美味しく無いと思うけど、アツアツの天ぷらはともすれば表面がカリカリで堅かったりする。「サクサク」ならいいが、
塩で食べるのはあんま好きじゃない。だって塩は塩だもの。
抹茶塩だろうと岩塩だろうと、塩は塩。素材のうま味がわかりやすいのはわかるけど、
だったら全ての味付けは塩味でいいはずだ。
ラーメンだって味噌も醤油も豚骨もある。むしろ塩ラーメンはどちらかと言えば斜陽だ。
で、僕は天ぷらを「天つゆ」で食べたい人。
でも天つゆにに漬けるということは、すなわち「サクサクを殺す」ことになる。このジレンマ。もっと言うと、僕はキスの天ぷらが嫌いだし、玉ねぎも嫌い。カボチャも嫌い。好きなのは「エビだけ」だ。てか、エビですら砂が入ってることがあるし、
天ぷらはどうにも好きになれない。無駄に高いし。
「エビ天」とか高確率で衣と中身のバランスが崩れてるし、偉そうな店だとクソジャマな「有頭」の天ぷらにしたりするし。エビの頭なんて食わねぇよ>食べる人が居るのは承知です。
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