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2018年12月 3日 (月)

忘れてしまうことについて

歳を取っていろんなことを忘れがちになってる。俳優の名前とか、マンガや映画のタイトルとか、「ど忘れ」という言葉では片付けられないほど、簡単に記憶から消える。正確には「思い出せない箱」に入ってしまう感じか。がんばればこじ開けられることも多いから。

以前伊集院がラジオで「こないだ会ったじいさん」の話をしてた。そのじいさんは、「映画なんざ1本あれば何度も楽しめる」というような話だったと思う。てかこの話はブログでも書いた記憶があるけど、

 時折その話を思い返す。

「1本で十分」は極論としても、物語の骨子や結末を果たして本当に忘れてしまえるのか。望むと望まざるとに関わらず忘れてしまう。「望めば」「望まなければ」忘れてしまうのか。

確かに、子供の頃見た映画やアニメで、これまでの人生で一度も振り返らなかった作品に関しては、今全く思い出せない物も少なくない。と言うか、歌だろうとマンガだろうと、映画だろうと、

 友人だろうと、

そのことを思い返すことをしなければ、時間と共にどんどん記憶の底の方へ、奈落へと落ちていく。がんばって探して見つけ出せることもあるけど、見つけ出せないほど深くに落ちてしまうものも多い。例えば、凄く好きだった女の子の顔さえも、手元に写真がなく、卒アルを見直すでもなければ、記憶の底から掘り出せない、つまり、

 完全に忘却してしまうことだってありうると思う。

ただ、その「忘れやすさ」は、同時に「記憶への傷(※必ずしも悪い意味ではない)の深さ」と綿密な繋がりがあるとも思う。

衝撃のラストであれば、その物語の結末を忘れるのはむしろ難しい。大好きで大好きで何度も泣いたり笑ったりした異性であれば、それこそ死ぬまで忘れないってこともあるだろう。つまり、

 「1本で十分」になったそのじいさんは、つまりは、映画という娯楽に対して、そこまで執着していなかったのではないか、

そんなことを思ったりするのだ。そして同時に、

 自分も執着していない物語に関しては、きっとほどなくして忘れ去ってしまうのだろうな、

と思ったりもする。泣いたり笑ったり感動したり怒ったり、、、いろんな感情の起伏、、波風と言う言葉に置き換えた方がしっくり来るかもだけど、自分の中により大きな変動、変異を起こしたかどうかで、「覚えていられる長さ(期間)が変わる」。そしてそれは、

 望むと望まざるとに関わらない。

望んで「覚えていたい」と思っても、心に残した「痕(あと)」が浅ければ、それはほどなく薄れ、見えなくなってしまう。

これは善し悪しの話ではないが、僕は子供の誕生年を覚えていない。誕生日は覚えているが、誕生年は随分前に忘れてしまった、、、と言うか、むしろ覚えたことがないとすら思う。

人に寄ってはそれを「冷たい」とか「あり得ない」と思うかも知れないが、そんなのはその人の環境次第だと思う。子供と一緒に遊んだり、映画を見たり音楽を聴いたりと言う歴史と、子供が生まれた年を覚えていることは、必ずしも同尺度、同ベクトルで語れるものじゃないと思う。僕は子供たちと、少なくとも同世代の友人と比べて特に一緒に過ごした時間が短い方だとは思っていない。でも、同時に一緒に過ごした時間が短かった親が、子供に対して愛が薄いとも思わない。

ただ、結果として「浅かったところ」の記憶は、消えやすいと言うことは言えると思うだけだ。

毎年のように誕生日を祝っていても、それはあくまで「何歳」かであって「何年生まれか」を祝うものではない。子供のことが好きで好きで仕方なくても、一緒に過ごす時間が短ければ、当然思い出は質量ともに少なくなるだろうし、年と共に薄れる度合いも大きくなると思う。もっとも数少ない思い出が極めて強烈な痕を残していれば、また違うのかも知れないけど。

・・・

日常的な記憶として、「出来たら忘れたくないな」と思ったことは多々ある。仕事のことだけじゃなく、マンガの発売日とか、ブログのネタだとか。

スマホを使える時は「ネタメモ」のページに残したり、カレンダーに書いておいたりするが、運転中などでどうしても手が離せない時や、「夢の中」などは、それをすることが出来ず、かなりもどかしい気持ちになる。平常時であれば「指さし確認」や「声に出して繰り返し言う」みたいなことで、記憶を「定着させる」ことも出来るけど、夢の中ではそれもままならない。てか車を運転してるときとかでも、

 一瞬の隙を突いて、忘却の悪魔が僕の心の記憶を食う。

1秒前まで覚えていたことを、1秒後の僕が「思い出せない」と思う。出来るだけ覚えておくために、キーワードとしていくつか強く念じたりもするけど、

 そのキーワードだけ思い出して、そこから先が出ないことも少なくない。

わかりやすいところで言えば、「すっごく幸せ(≒エロい)夢を見たけど、起きたらそれを思い出せない」ってことがあると思う。いや、誰もが絶対にあるはずだ。いや、「誰もが何度もある話」だ(断言)。でも、それを食い止めることは本当に難しい。起きてすぐ枕元に用意しておいたメモに書く、みたいな話を聞いたりもするけど、
※これはこれで脳に対して良くないという話も聞いたりしたけど
正直「メモに書く前に忘れる」ことの方が多いと思う。起きた直後ではなく、起きる直前に忘れてしまうのだ。

 そして、記憶に深く刻まれた「痕=感情の深い傷」だけが残る。

「なんかいい夢だった気がするんだけど!」みたいな。

別段ここで「こうすれば忘れないと思う」という答えがあるわけじゃない。ただ、夢でなければ、現実世界でのことであるなら、そしてこれらの理屈が全て正しいと過程するなら、

 忘れたくない発想や事象は、感情と共に紐付けしなければ、ほどなく忘れ去ってしまう

これは言える気がする。結末を覚えている映画やアニメの大半は、つまりはそこで自分の気持ちが揺さぶられたからだ。泣いたかも知れないし、拍手をしたかも知れない。叫んだかも知れないが、

 深い傷を残したものだけが、生き残るのだ。

だから、日常的な記憶であっても「どうしても忘れたくない」のであれば、そこで何らかの感情を強引にでも被せて、その深さを意図的に深くすれば、「何とかなる」のではないかと思う。

例えば、車を運転中でも出来ることとして、「大声で叫んでみる」とか「無理矢理にでも気持ちを高めて涙を流そうとしてみる」とか。実際そこまでする必要があるかどうかはわからないが、

 そんなことをしてでも、忘れないことを増やしていきたいって思うことが、最近はなんだか多いんだよって話。

 僕はこうやって「老い」というものに抗っていきたいって話。

たぶん普通の48歳が対峙する老いとは、「全然違う」視点だと思う。

アルジャーノンとかもそんな感じで自分を見つめた時期とかあったんじゃないかなぁ。まぁ、僕は彼ほど頭がいいわけじゃないんだけど。

▲▲。

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