ONE SHOT
年末にSteamで買ったゲームの最後の一つ。長男が少し遊んでたのを見てただけだったけど、自分でもやってみた。
ゲームを遊んだときの感想というのは、人それぞれではあるものの、「面白い」「楽しい」「気持ちいい」と言ったプラスのものだけでなく、「怖い」「苦しい」「難しい」という負のニュアンスを多分に含む、(でもそれが求めているものだったりもするけど)ものの場合も少なくない。そんな形容詞で本作を語るとしたら、
懐かしい。
自分的にはこれがとてもしっくりくる。
常々書いていることだけど、「懐かしい」とは、「間にいろいろ挟まってる」という感情だと僕は思う。アタック№1や、ガンバの冒険を懐かしいとひとくくりにしてテレビの特番で扱うのは、つまりはそれ以降アニメというベクトルに多大なコンテンツが挟まったからだ。
逆にガンダム、特に初代ガンダムを懐かしいとあまり言わないのは、当時から今に至るまで「ガンダムを冠するアニメ」が作られ続け、プラモがリリースされて続けて来たからだ。ガンダムは今に至るまで、「ほぼ何も挟まることなく」続いてきていると言うことになる。
ゲームでもそれは言える。シューティングゲームが隆盛を極めていた頃であれば、ちょっとやそっとのレトロゲーが出たところで、特に懐かしさを感じたりはしなかった。むしろファミコンライクなグラフィックの新作がプレステ世代に出たとしたら、そこでの形容はむしろ、「古くさい」とか「懐古主義」と言った、懐かしさとは別の、ある種蔑称とも取れる形容がされていた気がする。
ゲームで「懐かしさ」「懐かしい」と言う気持ちになるには、中高生から40歳過ぎの中年になるまでの長い間、ゲームから遠のいていた人が久々に触れる時に発する感想が「概ね」だと思う。僕みたいにのべつまくなしゲームをプレイし続けて来た人間が「懐かしさ」を覚えるのは、
同ベクトルで間に何も挟まっていない、随分長い間感じなかったプレイフィールを感じさせてくれた
と言うことだ。
で、具体的に何が懐かしかったのかと言うと、、、
密度が薄い。
そして、
移動がぎこちない。
どちらも決してポジティブとは言えない感想だが、昔のファミコンゲームやパソコンゲームは、得てしてこんな感じだったなぁと、「強く」思い返した。
マップには種類の少ないタイルが、まるで無造作のように置かれ、狭いところはほぼ移動出来ない。そうかと思えばグラフィックは斜めなのに、こちらはジグザグに移動しなければ、つまり斜め移動が使えなかったり、建物の後ろに(ファミコン世代なら入れなかったはずなのに)スッとキャラが隠れたりする。
とてもラフで、決して大手が作り込んだ感じじゃない。
しかし、だからすぐこれが駄作になってしまうのかというとそんなこともない。まだ僅かしかプレイしてないので、あくまで序盤の感想でしかないことはお断りしたいが、
今まで見たことがないようなギミック、、、いや、そんなことはない。僕はこのギミックに見覚えがある、、、
メタルギアソリッドの1作目にも、確かこんな仕掛けがあったはずだ。
プレイヤーをゲーム内の存在として扱うと言う「仕掛け」は、何も今作が初めてじゃない。初めてじゃないが、
随分長い間見てなかった気がする「懐かしさ」を伴う仕掛けだ。
なんだかちょっと嬉しくなる。小手先の技と言ってしまえばそれまでかも知れない。キレイなドット絵も、芸術的な音楽もない。プログラム的にアクションゲームを仕上げるだけの力は、このソフトハウスには無いかも知れない。でも、
面白くしようと言う気持ちは、なんとなく流れ込んでくるのだ。
ありきたりでシンプルなマップタイルだけど、特に見るべきものはちゃんと目立つように描き分けられている。ゲームの終了も、2ステップほど「普通は見られない」手順が必要になるが、それもまた個性として受け入れられる「かわいさ」がある。
長男が「これはひとりでやった方がイイ」と言ったのがよくわかる。この感じは、コンピューターと自分が、一対一で向き合って初めて楽しめるタイプの「懐かしい娯楽」だからだ。
任天堂がゲーム&ウォッチを作ったのは、「ひとりで遊べること」に大きな市場があると、「一人遊びに未来がある」とを、トランプや花札と言ったパーティゲームを扱ってきた会社の社長が感じたからだと言う。事実一部のゲームを除き、「ファミコンをプレイする少年」がテレビで映るとき。その多くはひとりで、そして夢中になっている。ゲームセンターCXのオープニング映像が、まさに「ファミコンをプレイする風景」だった。
・・・
もしかしたら僕はこのゲームを最後まで遊ばないかも知れない。でも、買ったことを後悔したりもしない。長男はたぶんクリアするまで遊んでくれたみたいだし、こんな気持ちになっただけでも、
悪い買い物じゃなかったなって、思えるから。
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