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2019年2月28日 (木)

未来のことを考える

これまでも何度か、「今のモノを過去に持っていく」ネタは書いてきたけど、逆はあんま考えたことがなかった。てか、昨日たまたま過去に行く話を読み返して、「逆も考えてみよう」と思ったってだけの話。

 時間は25年後に。

なぜなら過去が25年前だったから。

つまり、年齢で言えば73歳の時の自分に。もちろん生きていればだけど。

まずいくつか条件の確認。

・本人の意志で行くわけじゃない
・戻って来られる保証はない
・持っていくモノを準備したりは出来ない
・場所は今の主立った生活環境の中から

一言で言えば「超怖い」。もはや「死にに行くようなモノ」。今から25年前と言えば、つまり23歳であり、静岡県でひとり暮らしをしていた頃。友達と毎晩のようにゲームをしていた頃であり、子供もまだ生まれてない。バブルもまだはじけてなかったと思う。ゲーム機で言えば、(たぶん)プレステやセガサターン前夜くらい?スーファミ、ネオジオ、メガドライブ、PCエンジンがメインだった頃。レンタルCDを毎週のように借りて、カセットテープに録音したり、ゲーセンで対戦格闘やったり。ネット関連はニフティサーブをやり始めて間もないくらい。

今と昔を比べて、劇的に変わった点というか、明確に変わった点は、なんと言ってもインターネットとスマートフォン。同じベクトルで進化を続けたら、25年後どんな風になってるんだろ、とも思うけど、

 軽さと見やすさ(大きさ)は、ブレイクスルーが無ければ黄金律みたいなものに近づいていく気がする。

言ってもタブレットはスマホにはならないわけで、6インチ以上は、高画質、軽量、スタミナ大、丈夫さ、操作しやすさみたいなところを詰めていくだけだろうな、と。体に埋め込むインプラントみたいなのは、ぶっちゃけ現時点ではリアリティがない。何十年も前のSFでも、そう言う未来は謳われてたけど、実際はそうなってない。傘が何百年も変化がないのと同じで、変わらないものはきっとずっと変わらない。

 まぁそれは行けばわかることだけど。

問題は、自分が未来に飛ばされたとき、どう「生き抜くか」。

可能性として、73歳は僕の親父が死んだ歳なわけで、僕が生きてる可能性は五分五分。もちろん「生きている自分と会うか、ジャンプしたことで行き先の自分が消滅するか」と言うパラドックス的命題もあるけど、もし居た場合は「会える」とする。

 会っても養って貰えるだけの収入があるとは思いにくい。

ただ、今の自分が動いて働くことは出来る。何らかの仕事を見つける、もしくは見つける手助けをしてもらうことは出来るかも。手順としてハローワークに行くのか、はたまた全く別の求人雇用のテンプレが出来てるのかはわからないけど。てか、

 インフレして行く可能性が高いと考えたら、手持ちのお金は二束三文にしかならない。

たかが25年では「古銭」としての価値もないだろうし、手持ちのスマホも、ネット環境や電源供給も含め、完全に過去のアーキテクチャになってるだろう。

 ぶっちゃけUSBとか、今でも腐ってると思うし。

とにかく耐久性が低すぎるから。

ともかく、今使えるネット環境は未来ではたぶん使えない。で、何が未来に持って行けるのか、自分が未来に飛んだとき、自分の何が価値があるのか。48歳のハゲ親父が、25年後に存在理由を見いだせるとしたら、、、

 それは、自分が時間を超えてきたことを立証し、アピールするしかない、、、と思う。

もちろん僕以外にも他の誰かが「ジャンプ」してきてる可能性はあるけど、その場合はむしろ逆に「そう言う人に対する政府や世界のアプローチ」が確立されていると思う。極端な話、「そうだと言うだけで刑務所にぶち込まれる」ような世界になってる可能性もあるけど、そうなったらそうなったで自分の星を怨み、受け入れる他ない。まぁそこまで「異端者」「異邦人」に冷たい日本になってないと期待はするけど。

ともかく、前例がある方が、生活保護的なことは受けやすいと思う。必ずしも25年というジャンプじゃないかも知れないし、僕より凄く若い人も居れば、歳の人も居るかも知れない。さすがに毎年何万人も飛んできてる、なんて未来は想像出来ないけど、そうなったらそうなったでやはりいろんな法整備とか整っていて、マジメに働く気さえあれば、あとそれなりの健康をキープしてさえ居れば、

 自分の子供や、住んでいた家を頼らずとも生きていけるような気がする。

逆に、自分がオンリーワンだった場合は、まずは警察に行く。細かな事情は話さない方が得策だとは思うけど、ひとまず、頭を強く打ったのか、記憶が曖昧で、自分が何者かもわからない。住むところもないと言うところで「すがる」しかない。少なくとも自分の家が25年後、そのまま今の自分を受け入れてくれると考えるのは、あまりにも楽観的だと思うからだ。

 これは子供達に期待しないと言うのではなく、単純に過去に戻ったときの「親が子供に対して描く感情」との違いの話だ。

もし自分の子供が48歳の姿で未来から目の前に現れたとしたら、がんばって一緒に仕事をする選択肢を探すし、暮らすことも平気だが、自分の親父が48歳の年齢で過去から飛んできたとしたら、子供より「扱いに困る」気がする。特にウチの親父はワガママでガンコな人だったから。嫌いじゃなかったし尊敬もしてたけど、それとこれとは話は別という感じ。

ただ、必ずしも悪いことばかりではないとも思う。「今から過去へ」行く場合は、年代次第ではかみさんとも結婚してないし、子供も「失ってしまう」。でも未来に行く場合は、その「世界」が「地続き」だった場合、少なくとも今の世界から失ってしまうことはない。子供もかみさんも「居た先」が未来だ。

未来に続く過程で「欠けていく」ことはあるかも知れないけど、それはしょうがない。飼い猫が死んでしまうように、自分の母親や、友人、

 自分自身すらも、途中で死んでしまう可能性はゼロじゃない。

起こりうる未来に全て悲観してはきりがない。僕はそう言うところ結構今も昔もドライに割切るタイプなのだ。

 ともかく、警察に行って、何とか生きていく方法を相談する。

いきなりホームレスになる可能性もゼロじゃないけど、その世界が果たしてホームレスという「生き方」に優しい世界であるかどうかも何とも言えないし。

もし何とか衣食住が得られたなら、あとは25年前、2019年から時間を超えて来たことを、文字として綴るなり、ラジオやテレビ(まだあるかもわからないけど)に売り込みに行くなり、「自分の価値」をアピールしていくだろうなと思う。

さすがに鉛筆やシャーペン、ボールペン、紙が無くなる未来は想像しづらいけど、もしかしたらそれらはホントにタブレット端末的なものに「大半がすり替わってる」可能性はある。まぁだとしても日本語の文字そのものが変わってしまうと言うことは、たかが25年程度ではないだろう。

 これが2500年とかになると話は全然違ってくるだろうけども。

そう言うのも考え出すと結構怖い。飛んでいった先が「もう地球がない宇宙」だったらとか、「もう日本が海の底に沈んでる世界」だったら、とか。海面が上昇していろんな地形が変わるのは近未来ではあるけど、25年後ではないと思いたい。まぁ、

 未来にジャンプする、と言う想像自体が荒唐無稽ではあるのだけど。

で、もし仮に全てが上手くかみ合って、そこでも生きていけるだけの糧を得られるようになったとしたら、日々の暮らしの中で「笑うことを思い出せたとしたら」、

 初めて世界を楽しむことが出来るようになると思う。

ここまで本当に奇跡的なことだろうと思うし、もし仮に本当に過去から来たことを周りの人間が信じてくれたとしても、言ってもひとりの人間のことなんて、流行り廃りのように忘れ去られてしまうだろう。言ってみれば「キワモノ」止まりだ。

でも、幸いというか僕という人間は、割と環境適応能力が高いつもりだ。確かに胃腸は弱いし虫歯もあるけど、重病になったことはないし、人と話をするのも嫌いじゃない。得意かと言われたら、平均よりは上だと(自分の中だけかもだけど)思ってる。

もし25年後の人間たちが、北斗の拳に出てくる悪者たちのような「性悪説」の基づく、非人道的な人達であったなら、僕は間違いなく長生き出来ない。でも、人として助け合いながら生きていこうとしてくれる「性善説」に基づく、言葉もしゃべれる、手も触れられる「普通の人」たちだったら、

 時間は掛かるかも知れないけど、「過去に飛ぶ」よりずっと前向きに生きていける気がするな。

最初はキツいだろうけど、やっぱかみさんや子供たちと永遠に別れることになるかも知れない「過去へのジャンプ」のが、自分的にはツライだろうなって思った。あと、こういうことを考えたことで、

 自分が、「人間に期待してる」んだなって改めて思ったよ。

人間バンザイ!人に優しくしよう!これは僕の本心だ!

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