遺産
「遺産」と言ってもピラミッドとか、親父の遺産じゃない。極々個人的なゲームの話。まぁ似た話は何度もしているけど、しょうがないまたしたくなったんだもの。
みんなは今何歳くらいなのかわからないけど、僕の年齢ともなると、結構な数のゲーム機とゲームが押し入れの中に眠っていたりする。もう絶対見ることがないような攻略本や、ほぼ見ることが不可能なエンディングを録画したVHSビデオ。
「VHS」と言う言葉すらも、今の十代にはピンと来ないだろう。僕らが「8トラ」の音楽カセットを「バカデケェ!」と思ったのと同じように、「ブルーレイと比べるとクソデカイ上に時間も短いの!?」みたいな。
寝室には一応VAIOで使っていたテレビ兼CRTモニターが一台ある。我が家に現存する「S端子接続可能な映像機器」はコレ一つ。てか日本中でも刻々と減っていることと思う。てか、
現存はするが、稼働するかはわからないが。
ちなみにそのモニターは「たぶん」SONYのAVマルチ端子も刺さる。が、D端子は刺さらない。今メインで使ってる50インチにはD端子は刺さらないが、横で静かに眠っている32インチのブラビアにはたぶん刺さる。機能するかどうかはわからないが。
「子供の頃の娯楽」を、未来まで大事に抱えていこうとした場合、僕らの親父の世代までなら、デジタルなものが無かったから、物持ちさえ良ければ何とかなったと思う。マンガにしても雑誌にしても、メンコやベーゴマとかにしても。もっとも親父はそう言ったものに傾注しなかった人なので、ウチにそう言う遺産は一切ないのだが。
僕らの世代でも、ある程度は残っている。見ることは無くても昔のホビージャパンとか、マンガとかレゴとか。「そのままの形」で残せるものは、誰かが捨てない限り、あとタバコでヤニまみれにならない限り、あとネコに天井近くの棚から落っことされない限り、あと水害や地震で家が倒壊したり隕石やインベーダーが地球を襲ってきたり雷が落ちたりしない限りは、概ねそのままだ。
最近凄く任天堂のゲームがやりたくなる。特に、
ゲームキューブからWiiくらいの。
ファミコン世代ならアーカイブスとかWiiUウェアみたいなので今でも遊べたりすることが多かったけど、スイッチになってそう言うのも結構バッサリと切られた感がある。さらに、GC以降はデータ量も多く、ダウンロードして遊ぶにはいろいろと準備も必要になる。Wiiを遊ぶにはセンサーバーの設置も必要だし、HDMIに対応してないのでテレビにも工夫が必要。
つまりかなり面倒。
ゲームキューブを持っていった娘は、果たしてそれで遊んだことがあるんだろうか。接続が面倒とか「そもそも出来ないとか」。あり得そうで怖い。
当時タイムアタックをするほどにハマったゲームでも、今覚えていることは極めて少ない。漠然としたイメージ、曖昧な操作フィール、ストーリーを覚えてるタイトルがどれほどあるか。当時凄くセンセーショナルだったPCエンジンのリンダキューブですら、「誰かが、、、なんだっけ?」。これでは何にも覚えてないのと同じである。
テレビやステレオ、コントローラーに至るまで、もし当時と同じ環境で遊ぶことが出来たとしても、今の自分は当時の自分じゃない。既に50インチに見慣れていて、老眼が進み、記憶力だけでなく、好みやゲームに向き合うモチベーションすら全然違う。遊んでみたら、「こんなに汚かったっけ?」とか「こんなにテンポ悪かったっけ?」と思う可能性も高い。
実写やアニメ以上に、ゲームは記憶が美化されやすいと思う。
これはたぶん、最新のゲーム機やスマホゲームであっても起こりうることだと思う。10年先20年先に今を振り返ったとき、
※僕が生きてるかどうかは別として
あれほど「かなりキレイ」と感じたモンスターハンターワールドに同じような感情を抱く可能性は薄いだろう。
当時は「このグラフィックなら死ぬまで抵抗なく受け入れられるんじゃないの?」と思ったメトロイドプライムや風のタクトも、今見て果たして本当にそう感じられるかは怪しいものだ。
ハードも動くかどうかわからない、モニターも映るかどうかわからない。コードも見つかるかわからないし、コントローラーも固まってる可能性がある。たかが10年前のゲームでも、接続が丸ごと変わってしまった今では、ろくに遊ぶことも叶わない。ミーバースを始めとするネットサービスも終了してたりするし。まぁビデオくらいは今でも何とか映る機器を手に入れることは出来るだろうけど。果たしてテープの方が映るかどうかが怪しいけど。
もちろんYoutubeで検索すれば、最初から最後までのプレイ動画すら見つかるかも知れない。それによって思い出を今に掘り出すことが出来る可能性もある。でも、存外人のプレイというのは、そこまで面白いものではなかったとも思う。
先日大好きだったスーファミの「鋼HAGANE」の動画を見たけど、自分と攻略のリズムが違ってて全然楽しめなかった。思い出とは割と面倒な「生き物」なのだ。
未来へ、僕の遊んだゲームを残すことは出来ないのか?
あ、未来って言っても僕が死んだあとの未来とか、子供の未来とかじゃないですよ?あと10年先20年先の話。「昔のゲーム」の記憶を、日々劣化する脳内細胞を考慮しつつ未来の自分に遺す、、、。
テキストでいいじゃん。
何を遊んで何を見て何を読んだか。毎日のように綴るこのブログこそが、未来の自分に遺す遺産なんだな、と。複数のメモリーに記録してるから、ひとつがポシャっても潰しが効く。モンハンの「お守りマラソンルート」だって、FF12でトウルヌソルを手に入れた瞬間だって、検索すればスッと画面に表示される。読んでその時のことが思い出せなくても、プレイしたのは紛れもなく自分。それを綴ったのも自分。同じ人間なら共感出来る可能性は極めて高い。
たぶん今後の人生で当時のようにメトロイドプライムを遊ぶことは出来ないと思う。HDMI接続の50インチで遊ぶことが出来たとしても、きっと解像度の低さにガッカリしてしまうに違いないし、そもそもあのGCのコントローラが気持ちよく完動してくれるとも思いにくい。
でも、テキストとして残っていれば、その記憶を誰よりも鮮明に紐解くことが出来る。
だって、僕は僕なんだもの。
てか、検索したら「メトロイドプライム2」がヒットした。タイムスタンプは、
2005年7月6日
僕がこのブログを始めた翌日のことだったよ。
今日(2/22)誕生日を迎えた長男が、まだ小学2年生だった頃の話だ。
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キレイに終わったあとで書くのは、つまりは蛇足なのだけど、リアルな話「親父の遺産」という意味では、子供にとってこれほど大量の遺産※マネーじゃないけど を遺す父親も居ないだろうな。
もちろん小説家や漫画家、作曲家や映画監督が自分の作品を遺すのも大きな事ではあるのだろうけど、「量」そして「リアル」という側面で言えば、
ちょっと度が過ぎるレベル
まぁ子供は親を選べないからな。あ、誕生日おめでとうな。全然関係ないけど父ちゃんこれから映画見に行くわ。アリータバトルエンジェルな。君の生まれる前のマンガを映画化したやつだ。
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