« FFBEエクスヴィアス~その489~ | トップページ | ワイルド・ワン »

2019年3月 4日 (月)

休日の過ごし方

普通の人の普通の日記を読まされても、何にも面白いことなんてないと思うので、よほど僕の文章に飢えてる人以外はスルーでいいと思う話。知人に言わせれば「あまり」僕は普通ではないらしいが。

明日明後日は珍しく仕事が連休である。正確にはあさっての昼過ぎに1、2時間ほどかり出されるが、それ以外は休み。歯医者もなければ風邪で寝込む予定もない。

いつもなら、例え連休だろうと家にいて雨戸を閉め、DVDやらネットフリックスやらゲームやらに興じて終えてしまうのだけど、今回は久々に出掛けてみようかな、と言う気になっている。

 もちろんひとりで。

寂しいと言えば寂しいのかも知れないが、それは普段から複数で行動してる人達の話。僕は決して人見知りをする方でも社交性が低いわけでもないが、別段ひとりにされると死んでしまう生き物というわけでもない。「結婚してもひとりの時間が欲しい」何てこともなく、一週間誰とも会わず口も利かなくても平気なのだ。

 つまりどっちでも大丈夫なのだ。

余談だけど、こういう話をすると決まってあたまに浮かぶのは、寺沢武一先生の「コブラ」。一切の感覚を遮断される、人間は簡単に発狂してしまうとか言うヤツ。実際死刑囚を使った実験でも、一週間とか
※マンガの中では30分くらいだったと思うけど
で発狂してしまうらしいが、コブラは常に自分の中に「16ビートが鳴っていて」自分を見失わなかったと言う。

 僕もきっと頭の中でいろんなことを考え続けて行くんだろうな~と思う。

まぁ「出力したい」衝動はあるけど。だってせっかく考えても、あとから読み返せない思い出せないとか「損」だと思うし。

そんな僕なのだが、最近気候も凄く暖かくなってきたし、前々からやってみたかった、

 自分の過去を振り返っておく

と言うのをやろうかな、と。つかそんな大仰な話でもなく、ただひとり暮らししてた頃行ってた店とか道とかを、当時聴いてた音楽を聴きながら廻りつつ、写真でも撮ってこようかな、って話だ。

スマホで写真を撮るのはカメラを持ち出すより随分お気軽になったというのもあるけど、なんだろ、「今はもう無くなっちゃったお店」とかが、結構恋しくなるのだ。エマーソンやロアール、しみず、トレードワン、コスモ、、、全部ゲーム屋だけど、おもちゃ屋全般がほぼほぼ無くなってしまっている。だから当時僕が静岡県に住んでいた町営住宅から、自宅までの道すがら「行きつけ」にしていた店が今どうなってるのか、写真に収めてみようかな、と。あと、ついでに当時大好きだった掛川にある「まえだ」のとんかつでも食べてこようかな、と。

ガソリン代が3000円くらい?食費が多めに見積もって3000円くらいで6000円出費の日帰り小旅行というわけである。てか、連休じゃないと翌日疲れちゃうかなって。最近あんま長距離を運転したりしないから。

で、それに向けて何か準備をした方がいい。別段泊まりじゃないし、高速乗るつもりもないけど、

・簡単なお菓子や飲み物
・道すがらに掛ける音楽
・スマホのバッテリー

これくらいは準備が要るだろう。特に音楽は気合いを入れて準備。風景とその時流れていた音楽は、密接に関係してるから。

僕がひとり暮らしをしていたのは、1990年から5年ほどの間。「千浜町営住宅」と言うところに住んでいたが、果たして今もあるんだろうか。身の丈6m以上まで伸びたセイタカアワダチソウが懐かしい。

・・・

目覚ましを朝8時に掛け、スッと起床。着替えて持ち物を確認し、8時10分に家を出る。車の距離計をチェックし、「9km」を確認。昨日満タンにしたときリセットしてるから。

車で遠出するのは久しぶり。ちょっぴり緊張するが、天気もすこぶるイイし、気温も全く問題無い。今年は花粉症も発症してないし、

 いわゆるドライブ日和と言うヤツだ。

まず最初の目的地は「ハッピーストーク」豊橋動物園のちょっと手前くらいにある、ビレバンをおもちゃ屋寄りにしたような店だ。当然8時台ではまだ開店してるわけもないが、

 とりあえず店が存在することを確認。

まだ営業してるかどうかは、復路でチェックするしかない。てかまず建物と看板が残ってただけでもちょっと嬉しくなるが、正直閉店してるだろうな、とは思っている。
※この辺りで聴いた曲で「いいな!」と思ったものを「♪」と共に付け加えていく。
♪グロリア:ZIGGY、GROWINGUP:渡辺美里

次の目的地は汐見坂。

豊橋から浜松方面に抜けるには、高速を使わない場合でも海沿いに「浜名バイパス」という以前は有料で今は無料になったバイパスがあるのだけど、何カ所か下ルートで思い出のあるポイントがあったので、今回は下で。

 もうその「下ルート」に入った直後からスゲェ懐かしい。

子供が小さい頃何度か行った新居にあるプールが次の目的地だったのだけど、大抵はかみさんが運転していたし、自分でハンドルを握ってたときはまずバイパスを通っていたので、

 運転席から見える景色が、じんわりとにじむほど。
♪友情:エコーズ、サマータイムブルース:渡辺美里、今夜はエンジェル:椎名恵

僕らの住んでるところからだと、免許を取って最初に出掛けるのがこの汐見坂という人が結構多かった。もう30年も前のことなのだけど、見える景色は当時のままで、

 海が見えた!

嬉しくなる。

何度か寄った食堂はあったけど、ゲーセンは無くなってた。バイパスからは海に出られないので、セブンイレブンのところに止めて抜けていったことを思い出す。「ああここで足を洗わせて貰ったな~」って。

新居の駅には、友人Tが「チャリで出掛けようとしたけどあまりにもパンクするから迎えに来てくれ」と言われて出向いた記憶。プールは「新居海浜公園」という名前だったと思ったけど、「わんぱくパーク」という名前だった。記憶違いなのか、名前が変わったのか。

 15年くらい経ってるから、いろんなことが変わっていて当たり前。

前回来た時は無かった建物が、「建って、そのあと閉店してさらに風化してたりする」。
果たしてプールは現存していて、
※もちろんシーズンオフなので枯れ葉とかにまみれてるけど
当時のままのスライダーや流水プールが見えた。「ああここの駐車場から上っていったな」と懐かしい。ちなみにこのプールの特徴は、以前ブログでも書いたけど、

・更衣室から服来たままプールの方に行ける。出入りも自由。おばあちゃんも安心。

・弁当の持ち込みとか自由。中には飲み物の自販機しかない。

・スライダーの監督が超絶ユルくて、直前の人にぶつかっても、頭からダイビングしても、数人一緒に滑っても怒られない。僕の知る限り唯一無二のスライダー。なので回転もとても早い。素晴らしい!

そう広くもないし、清潔感もあんまないけど、そこそこ賑わってたし、個人的には大好きなプールだった。

 さすがにもう行くことはないだろうけど。

・・・

そこから道に迷いつつ国道1号線に戻る。弁天島周辺にもゲーセンがあったはずだが、キレイサッパリ無くなっている。ただ、

 相変わらずそこから見える浜名バイパスの景観はなかなか。

ひとりで運転しながら写真撮るのはとても大変だけど。

次の目的地は、以前「丁度閉店の日に遭遇した」ロアールと言うおもちゃ屋が今どうなってるかの確認。

 だがしかし、残念ながら跡形もなさ過ぎて建物すら見つけられなかった。

途中で「コーストカフェ」という喫茶店があったとか、当時務めていた衣料品店の支店が「篠原」というトコロにあって、そっちにも顔を出そうと思ったりもしたけど、

 結局道がわからなくて断念。25年くらい経ってると、もうそこは「未知なる道」と言ってよい。てかホントにいろいろ変わってるし。
♪微笑みのその前で:山下久美子、あなただけ見つめてる:大黒摩季

そして次は「中田島砂丘、、、の近くにある公園」。中田島砂丘にも行ったことはあったし、今回も写真を撮っては来たけど、どちらかというと、

 凄まじく速度が出る大型の滑り台がある公園
※茶色いボディに銀色に光る滑り台

の印象が強かった。ただ、場所がまたわかりにくく、、というか僕が忘れていて、
※ちなみにさっきのプールもかなり迷いまくりながらたどり着いた。スマホで地図を表示しててそれだから、僕の方向音痴もなかなかのものだ

 「中田島砂丘にある公園」ではなく、「すぐ隣の公園」

だった。名前は「遠州灘海浜公園」だったと思う。

ただ、たどり着いて見回してみても、茶色の遊具は見あたらない。カラフルに塗られた複合遊具があるだ、、、え?

 これか?

よく見ると、表面が波打つ滑り台がある。ただ、以前は「二つの広い滑り台狭い滑り台」が並んでいたはず、、、。

そこにお孫さんを連れてきていたと思しきおじいさんが居たので、

 「ここって、以前凄く速くて大きな銀色の滑り台があったと思うんですが、、、」

今はもう無いと。
※茶色いボディが塗り替えられ、幅の広い方は数年前に撤去されたと

てか、

 危なかった(けが人が出た)のかな?

なんかとても残念。さすがに普通の滑り台では子供達にまみれて滑る気にはなれない。とりあえず、並びには「タイヤに乗ってロープを滑る遊具」も現存。こういう普通の公園には見られない遊具があるのはちょっとテンション上がるよなぁと思ったり。

 普通に懐かしい。

そこからは本来の目的地である「静岡県掛川市大東町」を目指す。ちなみに、行く前日の時点では、HunterDさんがお店をやってる焼津市まで行こうかな、どうしようかなと思っていたのだけど、残念ながら火曜定休&その日は息子さんの受験関連でふさがってるとのことで、お会いすることが出来なくなった。

 でも凄くスローペースで迷いながらの行軍だったので、もし「会いに行く」となったら、何時になったかわかったもんじゃないなと思ったりもした。

まぁまたの機会に。

で、次の目的地は「天龍大橋」。正確には「新掛塚橋」。国一から150号線に切り替えて、その橋を目指すつもりだったのだけど、

海浜公園から一旦国一に戻れば良かったのだけど、戻らずに「何となく目指した」ので、結構迷った。道に迷うエキスパート、通称「マヨラー」の人は、こういう所で「やっちゃイケナイ選択」を迷わずしてしまうものなのだ。さすがである。

ともかく、何度もスマホを確認しつつ唐突に見慣れた景色にぶつかる。

 あ、これ掛塚橋の入り口だ!

Y字路の真ん中に「もう何回変わったかわからないような飲食店がある」。

橋は、記憶の中では「水色かピンク」だったような気がするのだけど、

 深緑になってた。あとスゲェ長かった。

「こんなに長かったかなぁ」というくらい。体感で言えば4倍くらい長かった。永遠に終わりが来ないんじゃないかと思うほど。人類の叡智はこれほどまで大きな橋を造るのか!・・・まぁそうは思わないが。
♪誰のようでもなく:篠原美也子、By For Now:T-BOLAN、BIG MOUSE BOYの憂鬱:レプリカ

その後、「ここでMDアフターバーナーIIを買ったなぁ」と言うおもちゃ屋が、これまたお城のような店構えだけ残っていたり、「ここでMDガントレットを見つけた時は嬉しかったなぁ」という小さな元ゲーム屋の小さな建物を見つけたり。

今回は食事を、掛川にある「とんかつまえだ」で摂る予定だったけど、もしそこが閉店もしくは定休日だった場合として、大東町に行くまでにあったであろう、

 元祖ネギラーメン

大量の白髪ネギが乗った味噌ラーメンなのだけど、結構辛くて癖になる味だった。

 だがしかし、その店が、、、

当時は舗装されてないデカい駐車場の隅に小さな店舗を構えていたはずなのだが、
※だから結構大きなトラックとかも止めてた

 小洒落たパン屋の真横に、小さな看板で「元祖ネギラーメン」の店が!

え!?これって、あのネギラーメン?え?どうやって車止めるの?

まぁいろんな都合があるさ。

そう言えばこの辺りには「ピラミッド型のパチンコ」があったはずだが、
※名前も「パチンコピラミッド」
かなり注意して走ってたけど見つからず。

走ってていろんなことを思い出し、いろんなことに気付き、いろんなことを考えた。

 いろんなものが時と共に変わっていくけど、川とか橋とかは変わらないな

とか、

 ゲームセンターやゲームショップだけじゃなく、本屋も、食堂も、小さな店はほぼ全て様変わりしてる。当時はたぶん一件もなかったと思う「建物だけで中ががらんどう」という店、シャッターが下りてる店、錆びた車、、、

 当時はバブルだったんだなぁ<今思った

150号線を当時好きだった音楽を聴きながら車を走らせる。当時はアルトに乗ってて、結構スピード出して走っちゃう若者だったけど、今は制限速度をキッチリチェックして、「掴まらないように」凄く気をつける。てか、

 50km/h制限のところを40km/hで走ってる車が居て、マジキレたりしてたけど。

センターラインが黄色で、時折30km/hまで下がることも。酷すぎる。譲ってくれよ。

♪ノーザンライツ:スターダストレビュー、NEXT GENERATION:チェッカーズ、恋のタンブリングダウン:LR

当時あった「メロン屋」の看板と、店がまだあることに嬉しくなる。イチゴ狩りの看板の中に、

 「桃の香りのイチゴ狩り!」

って、、。だったら桃でいいだろ。

自分が働いていたのは「ピア」と言う、当時は食品の「ヤオハン」と、ヤオハン系列の家電チェーン「ビッグエイト」を中心とした大型スーパー。おもちゃ屋や総菜屋、パン屋、八百屋、メロンとスイカとかを中心にした果物屋、酒屋、本屋、薬屋、たいやき屋、ブティック、小さなゲームコーナー、靴と鞄の店に、衣料品店が入っていたが、今はどうなっているのか。

とりあえずその店は150号線から左折した先にあるが、時間もあったので、まずは自分の当時住んでいた町営住宅や、毎日のように行っていた「ZEN」と言う本屋さんを目指すことにした。僕はここで月に2万円くらいマンガとか雑誌を買ってた気がする、本当に行きつけのお店だった。

、、、実を言うと、もうその店が無くなってるのは知っていた。

検索してもヒットしないし、さっき書いたように「本屋とかおもちゃ屋も軒並み潰れてる」のだ。

だから僕が見に行ったのは「そこがどうなっているのか」。

「ああ、ここで曲がると住んでた町営があるんだよな」とか、「あそこって絶対違う名前だったよな?」とか。

僕が住んでたところは、太平洋から車で2分くらいのところだったけど、彼女も居なかったし、遊泳禁止でもあったし、そもそも友達はみんなインドアのゲーム友達ばっかりだったので、

 海を見に行った記憶はほぼ無い。

今思えばもったいなかったかも知れないけど、過ぎさりし昔の話だ。かみさんと暮らし始めて一回くらい行ったかな。

 ♪ONE MORE TIME ONE MORE CHANCE:山崎まさよし、友達でいいから:TAMTAM、片思い:ジャングルスマイル

僕は当時かみさんのことが本当に大好きで、高校3年でクラスメートになってから、ずっと片思いしてた。48歳のジジイが自分の恋バナを話すと言うのは、相当に「痛い」とは思うが、誰しもが誰かを凄く好きになることってのは、あると思う。

特に5年間のひとり暮らしの間は、J-POPも恋愛の歌が大ブームであり、切ない歌や、失恋の歌にもこと欠かなかった。上に書いた3曲は、まさにその渦中にある曲で、

 当時の自分が、どれほどかみさんのことが大好きだったのか、音楽と、ZENへの道すがら、何度も何度も思いだした。

ひとり暮らしの終盤で、かみさんが転がり込んで来たあと、一度だけ彼女が、

 「徒歩でZENまで行ったら無茶苦茶遠かった」

と言っていたのも思いだした。「あの頃、ここを歩いていたんだな」と。てか、

 こっちは車、あっちは徒歩、なのに全然ZEN(の跡地)が見えてこないんですけど!

驚くほど遠い。僕は本当に当時毎晩のように行っていたはずなのだ。毎晩はオーバーでも週イチでは行っていたと思う。

 この距離を!?たかが本屋の為に?てか、かみさんはここを徒歩でぇ!?

歩いていた当時の彼女から何が見えたのか、山崎まさよしの歌に乗せて僕の気持ちを揺さぶってくる。文字通り、

 愛しさと切なさと心強さと

って感じ。ちなみに正確には「恋(いと)しさとせつなさと心強さと」だ。てか心強さはあんま関係ない。ただ、

 楽しいぜ、と。

 来て良かった!と。

行き先のZENは、杏林堂という薬局になっていた。隣接していた五味八珍というラーメンチェーン店はマクドになっていた。建物の外観にうっすらと「ZENっぽさ」を感じたけど、居抜きでいじったかどうかはわからない。

てか、御前崎のすぐ近くの辺り。

まぁ御前崎にも多少の思い出はあるが、
※友達と一緒に台風の日に行ったり。死にてぇのか?
ひとまずきびすを返して町営住宅を目指す。

・・・そう言えばここで曲がったんだよな、、懐かしいぜ。

 と曲がった道が一本違っていたり。

ともかく、20歳から25歳くらいの間、僕がひとり暮らしをしていたであろう「千浜町営住宅」の場所に到着した。前回来たのは20年くらい前だっただろうか。

 もう全く別の建物が建っていた。「千浜西町営住宅」。名前も違う。

懐かしさの欠片もない。あるのは寂しさ。当然身の丈6mのセイタカアワダチソウも無い。そして、僕が借りていた駐車場は、

 畑になっていた。

住宅に駐車場スペースも確保して、こっちは借りる必要が無くなったんだろう。

 そっか。

・・・

町営住宅から仕事場のピアまでは、車で7分ほどだった気がする。当時通っていた道を思い出しながら走ると、

 車幅3mの未舗装路が、片側2車線のバカ広い道になってた。

このまま走って行ったら菊川まで抜けてしまいそうなほどの大きなバイパスが出来てた。

 かみさんも連れてくれば良かったな。相当楽しめたはず。

そして、ピアまでの道中にあった、モスバーガーや和菓子の「たこまん」は無く、僕が友達と「餓狼伝説2」に燃えまくったビデオレンタル店も、今は潰れそうなシャディになっていた。

そう言えばここで接触事故を起こしたんだよな、とか、

 車を横転させて、廃車にしちゃったんだよな

なんてポイントでおもむろに写真を撮る。何の意味があるんだか。てか、一回通り過ぎてから戻って撮ったりしてたし。

ピアの周囲も、当時は建物らしい建物もなく見通しが良かったが、今はいろんなのが建ってて、「見つけにくい」ほど。

 25年も経てば、こんな風になるんだな。

浦島太郎の気持ちがリアルにわかる。浦島フォロアーだ。

そんな中、僕が「女神転生のサントラ」を買ったCDショップは、今でも元気に営業してた!

 スゲェビックリした。てか日本で唯一現存する小売りCDショップなんじゃねぇの?

ってくらい年季の入った風貌だったが、嬉しいもんだ。僕が「コナミの必殺コマンドコントローラー」を買ったゲームショップは、当然のように無く、「労働者福祉協議会」になってた。なんだそりゃ。

あと、CDショップの道を隔てたマンション?の一階にあったセブンイレブンが「貸店舗」になってて、「え?コンビニだけはほぼ潰れないと思ったけど」と思ったら、

 さらに道を隔てた(CDショップの斜向かい)ところに、デカくなって店を構えてた。

さすがに当時の店員さんは居ないだろうけどな~。

ピアに入ると、当時は右手におもちゃ屋があって、僕が作ったガンプラを陳列して貰ったりしてた。イケメン長身の店長は今何をやってるんだろ。ゲームも何本か買ったんだよな。スターフォックスとか、女神転生IIとか。

 今はパーティションで区切られ、ライトも落とされてた。

当時家電店で、20年前来た時は骨董品みたいなのを売ってたところは、大半が区切られ、残った場所は100均になってた。

入って左は当時あったままのブティックがあったが、

 その頃居た叶和貴子似のスゲェ美人の店員さんの姿は当然無い。

ゲームコーナーがバカ広くなっていて、僕が務めていた店は、靴屋も兼務してるようだった。レイアウトも変わっていて、当然だろうと思いつつもやっぱりちょっと寂しい。

店の中に入り誰か居るかな、と見渡すと、見覚えのない店員さんと、

 うっすらと記憶にリンクが繋がる後ろ姿が。

当時の僕は20歳くらい。その当時40歳の人は、今は定年退職している。一人だけ年下の子が居たが、もし居るとしたらその子くらいだろうと思ってた。もっとも、見つけた後ろ姿は、その子(体格が良い)ではなかったが、、、

 近づいて「久しぶりッス」と声を掛ける。

随分毛が薄くなって歳も食っているが、僕だとわかってもらえるだろうか。

 「あーーーれーーーーまーーーーー久しぶりーーーー!!!」

なんだか嬉しくなる。「どーしたのーーー?」「いや、何となく」。前回来た時その人は居なかったので、ガチで僕が退社して以来の超久々の対面となった。

もう僕が知ってる人で残ってるのは私だけ、とか、前述の子も体調崩して休んでるとか、○○さんは去年定年退職したとか。

 でも声は当時のまま。懐かしく響いてくる。

てか、「こういうことなんだな」と思った。昔の知人に会う、「会える」というのは、こういう感じの「心地よさ」が流れ込んでくるもんなんだな、と。会えると思ってたわけでもないし、会えなかったとき悲しくなったとも思わないけど、

 会えるとやっぱ嬉しいもんなんだな、と。

当時の社長の息子が休憩室に居るというので挨拶に行く。休憩室は当時のままで、「毎朝ここにタイムレコーダーがあって、」とか、「ここでさかえやさんの娘さんが着替えてるのを見ちゃって、」とか思い出が湧いてくる。今は半分が荷物置き場になってたけど。

事務所には当時居た事務長は居なくて、
※そりゃそうだ当時でも65歳くらいだったんだから
女性の事務員がひとり。

 「25年前にここに勤めてたんですよ」

と言ったら、「あらまぁ~」と満面の笑顔を見せてくれた。若くはないけどな。

トイレは当時のままだったけど、パン屋はATMになっていて、酒屋、八百屋、果物屋、総菜屋の並びは、

 全て壁が撤去されて、ゲームコーナーになってた。

当時の店で今も残ってるのは、僕が働いていた衣料品店と、入り口にあったブティックだけだった。

せっかくだからブティックも覗きに行くと、記憶にある店長が居て「僕覚えてますか?」と言ったら、「あぁ!!」と。でも店を見渡すと、扱ってたのはおしゃれな女性服ではなく、「中古の学生服が中心」。近所に赤のれんが来たり、不景気や時代の流れもあって、

 いろいろ変わったのは、建物だけじゃないんだろうな、と。

外に出ると、当時からあった「日よけスペース」が、当時より遥かにさび付いてた。ベンチも無い。たいやき屋は、別の団子とかポテト売る店になってた。証明写真の機械は変わらず。

 そもそも食品スーパーも、ヤオハンから他の何かになり、さらにイオン系マックスバリュになり、今はビッグと言う、ロープライスのイオン系スーパーになってた。

何枚か写真を撮って、古巣を後にした。

・・・

ここから掛川に抜ける道は、何度も問屋さんのバイヤーを送り迎えしていた馴染みの道。掛川駅近くにある「とんかつまえだ」も、その時に教えて貰って「会社のお金で昼飯を食わせて貰ってた」ところ。当時僕がお世話になっていた衣料品店は、実質1店舗で年間7億以上の売り上げがあったお店。羽振りも良かった。

途中でゲーム友達の親がやってた「いずみ釣具」店を見つけたが、当然シャッターは下りている。他にも何人か名前が思い浮かんだが、みんな今頃何をやってるんだか。当時中学生でも今は立派な中年紳士だ。いや紳士とは限らないか。

「季節書房」と言う本屋は、看板の「書房」の部分が白く塗られ、「多目的スペース季節」になってた。ここでゲームを買った記憶はないけど、何度か寄った。

当時から凄く寂れてたゲームも扱う本屋は、建物すら見つけられず。
♪だから涙と呼ばないで:CoCo、もう一度夜を止めて:崎谷健次郎、ジュブナイル:山下達郎

何度も通ったトンネルを抜けると、グッと掛川が近づいて来た感じになる。今は大東町も掛川市だけど、当時は「小笠郡大東町」で、言わば掛川は隣町って感じだったんだよな。

勢いで掛川城も見てこようかとも思ったけど、さして深い思い出もなく、まず行きつけだったゲームショップ「エマーソン」の跡地へ。既に店がないのは「本部が無くなってる」くらいだから当然承知してたけど、

 シャッターが閉まってて看板もないけど、場所だけわかってちょっと嬉しかった。

僕はこの店で、メガCDとかネオジオの本体、あとネオジオのカセットの大半を買ってたんだよな。

もう一件記憶にある本屋を探したけどそれは見つからず、掛川駅は当時のままでちょっと安心しつつ「とんかつまえだ」へ。

ネットで検索すると、さして評判は良くないのだけど、僕的には「とんかつ№1」。衣が「サクサクだけど堅くない。そして身とバラけてしまう<身と衣の間にソースが入る」。

「こんなに遠かったかなぁ」と思いつつ、陸橋を越えた先だと信じて移動。屋根に書かれた「とんかつ」の文字を見てホッとする。時間は調整して12時半。さすがにこの時間に休んでる定食屋はないだろう。休んでいたとしたら、それすなわち定休日か閉店したかのどちらかだ。

 無事営業中。

店内に入り、「20年ぶりくらいに来たんですが、僕覚えてますか?」と言ったら、奥さんが、「覚えてますよ~」と。ご主人はやや曖昧。

 まぁ馴れ馴れしく話しかけるようなお客はそうは居ないんだろうし、僕のキャラが「濃いめ」ってこともあるんだろう。

ちょっと嬉しくなったり。ちなみに二人とも基本愛想は悪いので、それは期待しないように。てか昔はご主人が愛想がよかったんだけど、まぁ20年も経てばいろいろ変わる。

カツはもちろん、お米もサラダも味噌汁もお新香も変わらず美味しくて、値段も当時と同じ

 「特製ひれかつ定食1500円」

増税しても値段は当時のまま。味も当時のまま。ほぼここでしか見かけたことがない「ヤングコーン」が入ってるのも、ドレッシングの色も当時のまま。当時と違うのは、お新香が2種類になって、豆系の総菜が付いた。てか昔も付いてたかもだけど、お新香は絶対2つじゃなかった。
※最初酢の物かと思ってガッカリしたけど、食べたら浅漬けで、「やっぱご主人わかってる!」って思った。

 ちょっと足りないかもと思いつつ食べ進めたけど、結果気持ちよく満腹に。

かみさん用にひれかつ弁当も頼んだ。

お会計の時、「次20年後だとたぶん死んでるので」と言われたので、「じゃあ10年後くらいに来ます」と言ったら、「それでも怪しいかな」と奥さん。

 5年後くらいに行こうと思った。

てか、5年とか10年とか、、、1ヶ月後に出るゲームの発売を待ち焦がれてた当時の僕とは、時間の流れ方が全然違うんだよな。

・・・

その後、高速に乗って戻る選択肢もあったけど、それ以上に「浜名バイパス」に乗りたいと思って、そのまま来た道を戻る。久々に通った道だったけど、行きも帰りも何度となく走ってたから、そんなに遠く感じなかった。ただ、

 途中で一回道間違えたり、交通量が多くて気持ちよく走れるって感じじゃなかったけど。あと、そもそもスピードをグッと抑えて走るようになったけど。

当時はガンガン飛ばして(アルトだけど)、ガンガン追い抜いて(アルトだけど)、気持ちよくドライブしてたけど、歳を取ったからか、ケツが結構痛くなってきたな。

帰りは特に迷うこともなく、太田川を越え、天竜川を越え、国道一号線まで到達。出口にあった、「竹を斜めに切ったような建物」は健在。喫茶店だったかな。

帰りは浜名バイパスに乗る予定だったけど、その前に「浜松卸団地」も見てきた。当時はよく社長におつかいを頼まれて来てたけど、

 言っても相当遠い。

何度も通ってれば体感身近に感じるようになるんだな、と。で、当時取引があった問屋数軒の場所をチェックしたけど、

 どこも閉まってるか、別の問屋になってるか。

てか、大半のシャッターが閉まっていて、「卸団地」と言うには、あまりにも寂れてる感じだったな。衣料品の小売りも相当厳しいけど、問屋もまたしかりって感じ。当時仲が良かったバイヤーとか、どこで何をしてるやら。
♪季節がとおりすぎても:楠瀬誠志郎、ワイルドワン:南こうせつ、Missing:久保田利伸

そう言えば浜名バイパスの手前辺りに、ボーリング場と大きめのゲーセンがあったけど、それも無くなってたな。

 浜名バイパスからの景色は、当時と変わらず綺麗だったけど。

てか一人で運転してると、さすがに写真撮るの大変。事故っちゃうよ。てか写真ウンヌン以前に、一番高いところは、

 風が強くて、60km/hくらいでも怖かった。

まぁ当時もそこまで飛ばしてはいなかったと思うけど、当時以上に緊張したな~。

高架にあるバイパスだけど、何本か道が増えてて、「馴染みのあるタイミング」で下りた。あのまま乗ってたらどこまで行ってしまったんだろう。ちょっぴり気になったり。

あとは普通に来た道を帰っていく。ずっと音楽聴いてたけど、当時聴いてた曲を同じように聴いたからって、同じ景色に感じるわけじゃない。

 だって、この道を通ってたのは、「ほぼ夜」だったから。

仕事が終わってそのまま走る。何本も何十本ものカセットは、毎週のようにレンタルCDショップで借りて、どんどん増えていった。だからこの5年間が一番音楽を聴いてたし、詳しかったと思う。ランキングで100位どころか1000位にも入らない曲でも、自分が好きなら何度も何度も聴いてた。聴きながら泣いてみたり、聴きながら歌ってみたり。

 見える景色が違っていても、当時の自分が今の自分にシンクロする。二十歳そこそこの自分がどんな気持ちだったのか、じんわりと体の奥が熱くなっていく。

 その頃の僕に染まっていく。

・・・

ハッピーストークはやはり閉店していた。当時のように当時の友人Tの家を目指して右折するが、道を間違えたのか見慣れない景色に軽い不安に苛まれながら車を走らせる。

 桜が咲いてもおかしくないほど車の中は暑い。

アンダーウェア一枚で腕まくりしながら窓を開けて走る。風が気持ちいい。

友人Tの家は既に売り払っていて、たぶん取り壊して別の人かもしくは全くの更地になっていると思ったが、

 なんだろ、当時のままのような彼の家がある。

「こんな感じだったと思う」以上のことはないのだけど、なんだか懐かしい。電話で確認したら「確かに更地になってるのを見てる」と言ってたので、新しい家主が、たまたま以前のTの家と同じような家を建てたってことか。

 ちょっと愉快。いろんなものが変わって、消えてしまっても、同じ景色が巡ってる場所もあるんだな、って。

 家に着いたのは午後4時過ぎ。朝8時からだから、行って帰って8時間。

 なんて充実感だよ!

家に居たら8時間なんて一瞬で消費してしまう。休みの日なんて、気付けばもう夜の10時だ。
※ちなみにドライブしたのは昨日の話

まぁ意識はしなくても疲れてはいるんだろうから、そうしょっちゅうやることでもないんだろうけど、久々に「濃密な休日」を過ごすことが出来た。過去の自分を探す日帰り旅行だったけど、感想はむしろ、懐かしいとか、切ないとかより、

 楽しかった!

そして、

 当時の自分がどれほどかみさんのことが好きだったのか、今更のように思い出したわ。
♪かもめはかもめ:中島みゆき、男と女:チャゲ&飛鳥、カルアミルク:岡村靖幸

思い出に乾杯!距離計は229kmになってた。全部でで220km。距離以上の新しい思い出ができた。

★★★★&▲▲▲。

|

« FFBEエクスヴィアス~その489~ | トップページ | ワイルド・ワン »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« FFBEエクスヴィアス~その489~ | トップページ | ワイルド・ワン »