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2019年4月 9日 (火)

一番面白いドラクエは「1」かも知れない

昨日夜nori君と電話してて、「今ドラクエ3やってんだけど、なんかあんましなんだよねぇ」と言う。つか、「3」と聞いた時点で、

 意外と微妙だよね~

と被せてしまったほど。

ドラクエ3と言えば、発売日の行列が「1万人2km以上」と言う、まさに「伝説」となったソフト。後にも先にもゲームの発売で、
※ゲームに限らず全ての商品で、かも知れない
それほどの行列は無いんじゃないか、と言う怪物ソフトだったが、

 意外と今やるとそこまでじゃなかったりする。

何が悪いかを冷静に考えてみると、やはり主人公の出自が「一介の戦士」であることが大きいのかなぁと思った。ウィザードリィタイプのキャラメイクで、特に「自分が特別」という感じが薄い。

現実世界のようなエリアごとの世界観も、どこかケレン味が強く、異世界と現実を切り離し損ねてしまった感がある。当時はそんなこと全く思わなかったけど、DQ11をやってて似たような感覚にとらわれ、モチベが下がったこともあったので、あながち(少なくとも僕には)影響が無いとも言い切れない。

序盤の一本道な感じも、規模と対象が大きく広くなったゆえの調整ではあるのだけど、やはりどこか「冒険な感じ」が薄い気がする。

と言うか話は大きく逸れるが、

RPGと言うのは、最低限の自由度が不可欠なんじゃないかと、今FF14をやっていて凄く強く感じる。と言うのも、近年やったゼルダブレスオブザワイルドの僕の感想の中で、

 360度、どっちに行っても満足がある。

そのことが、RPGの魅力の中でとても大きな事だったのだなぁと痛感するのだ。

 自分の思い通りに遊びたい。

思えばダークソウルもFF14も、最初の最初を除いて結構な度合いで自由に、自分の行きたい方へ足を伸ばすことが出来た。ダークソウルは実際にはいくつかの選択肢から、って感じではあるもの、それでも「意志を折り込む余地」があったし、FF14は最初の街の選択から、歩き出す方向、職業や目指すスタイルなど、MMOだから当然と言えば当然なのかも知れないけど、やはり自由度は高い。

 ゼルダはそれ以上に「体感する自由さ」が高かったけど。

つか、

 初代ゼルダ、初代ドラクエが両方とも「そう言う作り」になってたことを思い返す。

ゼルダはもちろんドラクエも、最初から東に行くか西に行くかはプレイヤーに任される。正確には、ラダトームから時計で言う8時からグルッと回って3時まで、どっちに向かってもいい作りになっている。

 ただ、敵が強くて本当に簡単に死んでしまうのだけど。

でもそれがとてもいい。「目指すべき順番」を自分の意志と、自分の死によって学び、結果それが実質一本道の順番になろうとも、

 チョイスする権利がある。

スライムからロトのほこらを探索し、まほうつかいの恐ろしいギラに身を焼かれつつ、東のマイラを目指すのか、西のガライを目指すのか。

もちろん未見時のプレイ中の話なので、「東にマイラがあることもわからないし、どっちの敵が強いかもわからない」。確か説明書かメッセージには、「橋を渡ると敵が強くなる」というものがあったので、

 その瞬間は凄くドキドキした。

たかが2画面か3画面先の話。ビックリするほど狭い世界に、未曾有の大冒険が押し込められている話。まほうつかいが怖すぎて、しばらくドロルで稼いでからにしようとか、自分のHPとMPを穴が空くほど見て、「あと何回戦える、、か?」なんて計算をする。

次のレベルが凄く遠くて、同時にその重みがある。レベルが上がったとき新しい呪文を覚えるファンファーレに狂喜する。僕ほど「経験値稼ぎ好き」を自負する者でも、ドラクエ1の「レベルMAX」は今まで一度も到達したことがない。それほどまでにレベル18以降のレベルアップは遠く、果てしない。当時本当に「レベルいくつまで上がったぜ?」なんて話を学校でしていたのだ。

シンプル極まりないドット絵なのに、当時から鳥山先生の絵に馴染みがあった僕らは、その世界の「向こう側にあるであろうリアルなイメージ」を明確に抱くことが出来た。リムルダールが水の都であるなら、そこはベニスのようかも知れないとか、ドムドーラの廃墟から現れたあくまのきしが、身の丈5m以上ある感じとか。ゴーレムに守られたメルキドは、たかが数ドットのアイコンなのに、「城塞都市」とみんなが認識した。

 世界の完成度、そして脚本の居心地の良さ、戦闘のシビアながらも整ったバランス、最高のモンスターデザインと、全ての曲が素晴らしいBGM、効果音すら心地良い。

こないだエクスヴィアスのアルバムを買った。しこたまゲームをプレイしているので、どの曲も記憶には残っている。でも、

 どれも素晴らしいかと言われたら答えはNOだ。

ドラクエ1のカセットを差し、電源を入れた直後に流れるメインテーマ。

 なんて勇壮な!

「聴き入らずにはいられない」名曲。荘厳でありながらメロディアスで、それまでゲーム音楽に対して思い入れたことも無かった僕だったけど、

 文字通りこちらのスイッチも入った。

からのラダトーム城の音楽。打って変わって王宮感バツグンなクラシカルな感じ。てか、

 その最高のBGMを聴きながら冒険して、その最後に待っていた竜王とのBGM、そしてエンディングメロディの素晴らしさたるや、、、

エンディングなんてもんは普通一回しか聞くことはない。大好きで何度もクリアする人も居るだろうし、アクションゲームならその可能性も高いかも知れないけど、
※つっても当時のアクションゲームは基本ループゲーでエンディングがないものも多かったけど
重厚長大なRPGでエンディングを「覚える」なんてことは、普通はあり得ないと思う。てかみんな「ゲームのエンディング曲」でどれほど覚えてるのがある?

 まぁエンディングを録画して見直すような趣味があった僕は、結構覚えてたりもするのだけども。

ただ、ドラクエ1に関しては、「必死に覚えた」記憶すらあるんだよな。あまりに名曲過ぎて「口ずさみたい」って。ちなみに2も。

・・・

ゲームツクールみたいなエディターソフトがあれば、ドラクエ1くらい再現できそうな気がするかも知れないって思うこともあるけど、実際には凄くハードルが高い「天才の奇跡の調整」がされてたんだろうなって思う。天才だけでも奇跡だけでもない「天才の奇跡」。今遊んでも「他のどのドラクエより面白く感じる」なんて、奇跡以外の何者でもない。凄くシビアで、凄く手強い。移動も遅いし、「かいだん」を選ばないと階段も登らないし、「はなす」のあとに方向選ばないと話もできない。

いろんなパーツが古くさくて、今の目には古くささの方が先に立つかも知れないけど、今第九を聴いてもグッと来るように、今キャプテンを読んでも感動してしまうように、名作は永遠に名作であり続けるし、だからこそ名作と呼ばれる。

ドラクエ1は国産RPGの古典にしてスタンダード。ただ、その中には最新ハードの最新ゲームでも到達出来ない「奇跡」が詰まってる。深く潜るほどに重苦しくなる竜王の城。話し掛けた竜王に「世界の半分を貰う」という選択。さらに助けたお姫様をだっこしたまま宿屋に泊まる。

 たかが数文字の為に、みんなその世界に舞い戻った。

ドラクエをまだやったことがない人は幸せだ。なぜなら残りの人生で「ドラクエを初めて遊ぶ」ことが出来るのだから。

当時誰かが言った言葉。まさかそれが、「ドラクエ11まで出ている今でも」言えることだとは思わなかったぜ。

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