昔の自分に今のゲーム
何度も書いてる話だけど、僕はこの話が大好きなので、「また読みたい」と思って書く。完全な自己満足だけど、もしかしたらまだ読んでない人も居るかも知れないし。
今やってるFF14はプレステ4。第何世代かわからないけど、ザックリ思い返すなら、
ファミコン→PCエンジン→スーファミ→プレステ→プレステ2→プレステ3→プレステ4。
もちろん途中いろんなハードが出ては消えているわけだけど、進化という括りで言えば、概ねこんな感じだったと思う。リリースニュースが出て、画面写真を見るたびに、「おおっスゲェ!」と思ってきたわけだけど、「衝撃度」と言う意味で言えば、
PCエンジンとプレステ2
がホントに凄かった気がする。52色だったファミコンが256色のPCエンジンに変わったときは、「劣化しまくりのゲームセンターのゲーム」が「まさにそのままかよ!」って感じだった。
PS2は、最初期に見た動いてる映像が、夜間のグランツーリスモ2で、
まるで実写と見まごうばかり。
あれはホント衝撃だった。つかポリゴンという意味で言えば、初代プレステにインパクトを感じそうなもんだけど、ぶっちゃけその前にゲーセンでイヤってほど衝撃を受けてたので、そこではそんなにビックリしなかったんだよね。まぁ家でバーチャを見た時にワクワクしまくったのは事実だけど。
※そもそもテクスチャの無いポリゴンの方が好きだったりしたし
RPGに関しては、ドラクエがまだファミコンだった頃、「ジジイは同じ話を何度もする」と思われつつ書いてしまうが、堀井雄二さんが、
未来のドラクエは、遠くにある街が歩いて行くとだんだん近づいてくるような感じになる
って言ってたのを思い返さずには居られない。まだスーファミのドラッケンすら出ていなかった時代。スペースハリヤーは出てたけど、あれはあくまでアクションゲーム、シューティングゲームで、むしろ「エレメカのガンシューティングが進化した形」みたいな印象だったように思う。
※「エレメカ」って言ってもわからないとは思うけど、要は「モグラたたき」みたいなヤツの総称ね
筐体もデカくて、アトラクションみたいだったし。
「近づいて行く」ってどんな感じだろう
今はもうそれが当たり前になってるから、「近づいて行くことがわからない頃」の感覚は「得ようがない」。3Dの映画が無かった頃、「映画が立体的に見える」ことがイメージしづらかったように、
全く映像を保存する技術がなかった頃、初めて作られ、皆に公開された「機関車が迫ってくる映像」を見て、みんな走って逃げ出したという。
SFで過去から来た人が、テレビの中に人が入ってると思ったり、テルマエロマエで、水洗トイレを奴隷がやってると思ったりする。
未知なる世界との出会いというのは、インパクトもさることながら同時に滑稽でもある。
まぁそれはともかく。
今FF14をやっていて何度も何度も感じることが出来るのは、
遠くまでかなり精緻に描かれていることによる感銘だ。
日本のポリゴンゲームの夜明けは、ナムコのウイニングランだったと思う。でも実際置かれている店は少なく、僕が初めて見たのは、セガのバーチャレーシング。フレームレートも低く、テクスチャもない世界。
でも、明らかに感じるそれまでのレースゲーム、例えばファイナルラップとの違い。
「世界が存在する」感じ。
バーチャファイターでは、
「人間が居る」感じ。
堀井さんが言った「近づいてくる」は、当時はまだ「紙芝居のようなイメージ」だったかも知れない。アニメのように何枚も何枚も絵を描いて、それをコマ送りのように表示して奥行きを再現する。
実際レーザーディスクによってそう言った世界を構築したアーケードゲームもあったが、それは予め作られた映像を出す「だけ」で、自由度とは無縁の内容だった。
※だがしかし、同時に作り手の見せたい演出をカッチリ出せる面白さもあり、僕は大好きだったけど>メガCD版「ロードブラスターFX」
バーチャレーシングのインパクトの次に感じたのは、逆にマイナスの印象。同じくセガのレースゲーム「デイトナUSA」でのこと。
※移植だったかも知れない
遠くの景色がポンポン出て来る。
当時はまだ表示出来るポリゴンの数が少なく、方法論的にも技術的にも「どうすればいいのか」が手探りだったことも有り、
世界の広さは、結構狭かった。
「見えてない世界はまだ作られてない」。
だからPS2のグランツーリスモも「夜」が舞台で、少しでもそれを感じさせない工夫をした上で60フレームを実現したりしてたし、遠くの映像をローポリゴンで表示させたりするのも、ボヤけさせてごまかしたりするのも、時代的にはもう少し後の話だった。
でもFF14は違った。
ゼルダブレスオブザワイルドも、遠景まできっちり描いて「生成」を感じることが無かったが、言っても「ゼルダ風」のコミカルな、言ってしまえば簡略化されたデザインでのこと。
遙か遠く、城塞都市へ向かう僕に見える「景色」は、全然それとは違ってた。
時に雪が舞い、時に大雨が降る。うっそうと茂るジャングルはジメジメとした空気に染まり、水辺の爽やかな風とは全く違う。
遠くを見るのが凄く楽しい。
世界は正直そこまで広くない。FF15みたいに車で移動するって感じでもないし、昔あったFUELみたいに「広さをウリにしていない」。たぶん旧FF14はもっとずっと広かった気がするけど、それは出てくる敵が強くて行動半径を広くしづらかったからかも。
遠くに見える街へチョコボを走らせる。山を越え、谷を越え、川を下り、崖を登って、遠くに見える街を目指す。グルリと囲む巨大な城壁は、とてもじゃないが登ったり壊したり出来そうもないし、高い塔から見下ろす世界は、あまりにも広く、そして「落ちたら死んじゃうな」と言う不安にも駆られる。
そして僕は思う。
「ファミコン時代の僕にコレを見せたらどう思うかな」と。
ダークソウルでも似たようなことを書いた気がするけど、FF14はさらに遙か遠くまで描画され、文字通り「世界が広い」。「凄く広くはないけど、広さを感じられるくらいは広い」。ポンポンとポリゴンが生成されることもほとんど無く、適当にボカしてる感じもない。
※「ゼノブレイドクロス」はそんな感じだった。あれはあれでキレイだったけど
ドラクエ1の世界が最先端だった頃に、PS4のFF14の映像は、どう見えるのか。
FF7でプリレンダリングされたデモムービーよりキレイでカワイイうちのキャラクター。「ああ、ようやっとデモのレベルに追いついたんだな」と思う。
ショックで熱が出てしまうかも知れない。数字が多すぎて間違いなく処理しきれない。何もかもが興味の対象だろうし、雑魚一体一体アップで「イイ感じ」の写真を撮りたくなるだろう。「こんなにデカイ敵が!」と序盤の羊に対して思ったかと思えば、その後ろには山のように大きなグーブゥーが。
あ、え?、もうボス?え?ちょ、ええ??
てか、ドラクエ1の敵は「アニメパターンもない」。でもグーブゥーも羊も、そして自分も、なめらかに「歩いて、そして攻撃する」。セガがファンタシースターを出した時、3Dのダンジョンがなめらかにスクロールするだけでご飯三杯だったのが、
この世界、いったい何億杯食べなきゃイケナイのか。
ドラクエ3は昼と夜がスイッチのように切り替わったが、FF14には朝焼けも夕闇もある。曇りもあれば晴れもあるし、ウッドデッキと石畳では足音も違う。灯りに関しても、街によって、部屋の広さによって全然違うし、
グリダニアのラグジュアリー感溢れる落ち着いた感じ、
ウルダハのスターウォーズのような賑やかな感じ、
リムサ・ロミンサのセレブな地中海を感じる感じ、、行ったこと無いけど!
世界の個性が、嫌み無く流れ込んでくる。エジプトっぽいピラミッドやヒミコ、ヤマタノオロチを出せば世界地図になるわけじゃない。
※当時はそれで十分過ぎるくらい最高だったのだけど。てか、今思えば、ドラクエは「4」を出したこと、作品のリリースペースが遅かったことが致命的にマイナスだった気がする。3までと同じペース、同じ方向性で磨いていれば、今でもFFなんて目じゃないくらいスタンダードなシリーズで居られただろうに
装備に関しても驚愕ポイント目白押し。ドラクエはもちろんキャラの見た目が変わったりしない。見た目が変わることを感じたのは、たぶんファンタシースターで武器のエフェクトが「剣だと斬る感じ、こん棒だと殴る感じ」で差別化されたのが最初だったと思う。衣装で変わったのは、、、良く思い出せないけど、どうぶつの森が最初ってことはないよね?
FF14は、見た目も多岐に渡るだけでなく、色も変えられる。凄く重要なのは、それがそれなり以上におしゃれである点。
服が変えられようと、どれもがイロモノばかりではさして意味がない。自分の分身として、ソーシャルゲームとは別次元の「おしゃれ」を楽しめるまで昇華されている。
キャラメイクもしかり。
ただ職業を決めるだけだった頃、いろんな数値を細かく設定出来た頃、いくつかの変遷を経てきたメイキングだけど、
FF14の洗練さは、ただ項目が多いだけなのとは全然違う。
オブリビオンとか、「かわいく作るのほぼムリ」だったし。
・・・
世界の隅々まで徹底的に調べないと気が済まない、そして世界もそれに応える作り込みがされてた時代と、今のFF14は作り込みの方向が違う。そう言う意味ではゼルダBOWの方が、「同じベクトルを磨いたもの」と言う気がするけど、だからこそ「未来感」も薄いかも知れない。
FFはビジュアル。
2や3の頃から言われてた。14やってて、まさかまた感じることになるとは思わなかったな~。
当時の僕なら、「写真集」が出ても買ってたと思う。「キャラクター編」と「世界の景観編」。
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