独り言
「つぶやき」や「つれづれ」とどう違うのかと言えば、「つぶやき」は誰かに聞いて貰っても構わない言葉の連なりで、「つれづれ」は複数の、でもそこまで長く無い事象の連なり。「独り言」は、誰かに伝えたい意図がない、文字通り自分だけの言葉。要は、
公にアップするのが本来はばかられるような話。
ちなみに「日記」は実際にあったことを綴るのが通常だが、往々にして僕の日記には僕自身の主観がないまぜになったりする。
まぁ何にせよ、全ては僕が書きたいことを書いていることに変わりはない。
同窓会からこの方、ずっとリアルが充実している。いわゆる「リア充」とは、恋人が居ると言う意味に落ち着いているので、そう言う呼称は不適切なのだが、
まぁ充実している。
てか、以前はLINEが嫌いだった。LINEは端末を替えることでそれまでのログが消えてしまうし、添付した写真も2週間くらい?で消えてしまう。かわいいスタンプを貼って貰っても、選択コピーしたテキストには残らないし、既読の有無は、読み手であっても書き手であっても、プレッシャーになり得る。
しかし、一方でとても便利だなぁと、「LINEの魅力はこういうことなのかも」と思うようにもなった。
まず「巨大な画像ファイル」が貼れる。先日同窓会関連で作ったJPGは、1枚で42MBもの大きさがあったが、一定期間で消えてしまうことさえ理解すれば、その解像度のまま貼り付けて共有することが出来る。
スマホからでは、果たしてまともに保存出来るのか怪しいところもあるが、PC上のLINEなら、きっちり「ダウンロード」の選択肢がある。刹那的な画像共有なのは、あくまでLINE上のもので、そのさきの受け皿を用意すれば、長期的にも共有可能だ。
ちなみに「アルバム」は、LINE上でも長期保存出来るが、「画像をドラッグドロップしたもの」「LINE上でカメラを使って撮ったもの」など、「画像の状態で見ることが出来るもの」が、アルバムに残せる。先に挙げた巨大な画像も、写真のドラッグドロップでは縮小されて200~300KBほどにされてしまう。大きいまま貼り付ける時は、「画像ではなくファイル名の状態で」ドラッグドロップすれば、LINE上で画像そのものは見えないが、保存すれば大きいまま確認することが出来る。
使い方が分かれば、非常に便利。
確かにネットにはフリーのクラウドスペースがいっぱいあるけど、「1画像40MB」が保存出来るところは、あまり聞いたことがないし、使うにはいろいろと手続きが煩わしい。
もちろん閉じた空間である安心感も大きい。僕のブログのように、不特定多数の人間に「読んでもらいたい」場合もあるが、当然他の人に「読んでもらいたくない」場合も多い。どんな恥ずかしい文章であっても、対象を特定出来れば、それは一対一のやりとりで、電話で話をするのとさほど変わらない。
「さほど変わらない」が、当然違いはある。やはりログが残ること。相手が書いた(言った)言葉が読み返せることが大きい。電話で録音したとしても、聞き返したい言葉を探すのは容易じゃないが、テキストログならそこまで難しくない。特に、ネットのみではない間柄であれば、
テキストであっても声を脳内再生することは容易。
これもある意味ネット文化、ネットスキルの一端という気もするが、手書きの手紙でなくとも、普通にその人の言葉として、脳内で声が聞こえていたりする。得手不得手はあるだろうけど、正直今の自分には、「手書きの文章の方が違和感がある」くらいだ。
保存に関しても、「全てスクショを撮る」という荒技で対応出来る。通常のテキストを思えば莫大にデカくはなるが、問題は「出来るか出来ないか」だ。出来るなら、その先はストレージを増やして対応すりゃいい。
ともかく、最近はグループLINEで和気藹々と盛り上がったり、個人LINEで、「普通じゃないペース、たぶんあり得ない量のテキスト」を書きまくって話をしたりしている。
もちろんくだらない、取るに足らない話も多いが、ときどき「イイ感じのレス」を貰えると、「電話じゃなくログで残せることに感謝したりする」。端的に言えば、僕の文章をリアルタイムで褒めて貰えたり、笑って貰えたり、そこで遊ぶ約束をしたり。僕はお酒も飲まないし、高卒だから大学のサークルやコンパの経験も「イロハ」もわからないけど、50歳を前にして、
友達とのやりとりって、こんなに楽しかったんだなぁって、改めて強く実感してるよ。
てか、順調に生きていけば、みんなも30歳になり40歳になり50歳になって、僕も60歳、70歳になって、ほどなくして天命を全うすることになる。世間の50歳がどうかは知らないし、そんなこたぁ関係ない。写真を撮るなら笑顔であってほしいし、ただ突っ立ってるよりほっぺに手を添えて欲しい。若い子から見たらキモいオッサンオバサンだろうが、
自分たちがその年齢になったとき、今の僕らのように笑顔で写真が残せるとは限らない。まぁ「笑顔を残したいと思わない」可能性はあるけど。
みんなで集まって相談したり準備したりする。協力してイスを並べたり片したりする。肩を組んだり、頭を肩に載せたりする。白髪交じりだったり、シワが増えてたりしても、
誰もが誰も、高校生だったし、誰もが誰も同じ時間を生きてた。
もちろん個々の生活はあるから、どんどんその時の温度、その時の関係は薄れて、そして消えてしまう。自分だけその場に取り残されて、「こじらせて」「同窓会ロス」になってる可能性もある。それが楽しければそれでも構わないが、絶対的に時間は過ぎていく。以前の生活が今後もベストチョイスであるとは言わないけど、常に後悔の少なめな選択をして行きたいとは「強く強く思う」。
てか、(こっから本題。凄く短いけど)エクスヴィアスやFF14も楽しいけど、中学時代相当かわいかった女の子とLINEで話が出来ると言う「著しく希有な状況」に勝てるわけはないのだよ。ブサイク様としては。季節物、期間限定、刹那的なリア充を満喫しようとしても、誰に文句が言えようかって話。
まぁ持ってあと10日だろうしな!
どこいら辺が独り言だったのかって話だけど!
ちなみにまたも昨夜メインPCが沈黙。「立ち上がろうとしても立ち上がれないで繰り返し落ちる状態」に。同窓会写真が一段落したとは言え、せっかくのリア充ライフに水を差すなぁって感じ。いい加減PC新調したい気もするけど、スマホも替えたいんだよな。主に電池が。
→追記
PCを開け、いつものようにエアダスターをシューシュー。戻したら何とか立ち上がってホッとする。こんなことを何度も繰り返して、いつかは完全に「逝ってしまう」んだろうなぁと思うけど、その時少しでも傷が浅く済めばいいなと思う。
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