赤ちゃんから見えるもの
今日銀行に行ったら、ベビーカーからこちらを見つめる赤ちゃんがひとり。もちろんひとりで銀行に来たわけではなく、ベビーカーを押す母親も同行している。
僕は基本子供が大好きなので、思わず適当な笑みを浮かべて笑いを誘う。だがなかなか笑ってはくれない。「手強いな」と思いつつ、その場は流れた。
隣に座った母親と、その向こう側にベビーカー。今度は少し笑ってくれた。
彼の目には何が映り、何を思うのか。
自分の中の一番小さな記憶は、3歳くらいだと思う。あとは幼稚園の頃、、、。人に対して怒りを覚えたのは、幼稚園の頃だったと思うけど、人を好きになったのもたぶんその頃で、悲しい気持ちを覚えたのは、
もう少しあとだった気がする。
僕が、とか、他の人が、と言うわけではないけど、人は生まれながらにして全ての感情を持ってるわけじゃない。たぶん生まれたばかりの頃は、視力もぼんやりとしていて、鼻も耳もよく機能しない。
ぼんやりとした視線の中で、母親のおっぱいを見つけやすくするために、女性は子供を産むと乳首が黒くなって、おっぱいも張る。赤ちゃんは少しずついろんな機能(ゲームっぽく言えばスキル。もしくはアビリティ<ゲームっぽく言う必要は全くない)を習得し、より鮮明にモノを見ることが出来るようになり、音の繋がりが「言葉」であることを覚え、自らもそれを発するようになる。
感情はどうか。
生まれて最初に惹きつけられるのは、間違いなく母親だ。時に不慮の事故などによって別の母親に育てられるケースもあるが、現代社会では、概ねほぼ間違いなく、子供は実の母親に対して強い親近感を抱くはずである。でなければ、
父親である僕も、自分の子供だけ特別かわいく思えたりはしない。
親が子供に感じる強い特別な愛情は、言葉にはしなくても、子供もまた親に対して抱いていると思っていいと僕は思う。
ただ、それ以外の部分では、存外どんな過程で、「覚えていく」のか、よくわからない。小さな子供が見つめる目には、僕が映っているはずである。でも彼が僕に対して何を思っているのか。
この人はパパ、、ではないよな?
この人は、、、なんでこっちを見てるんだろ
この人は、、僕に危害を加えるのかな。※敵なのか
よく言われるのは、赤ちゃんは、「男性を嫌う」と言うことである。比較的父親はそこから除外されるが、それでも仕事が忙しく、時間がすれ違って接触頻度、特に生後間もないタイミングでの接触頻度が低いと、悲しいかな赤ちゃんから父親認定されないと言うこともある。男性的な所作や見た目、ニオイ全般に違和感を覚えてしまった赤ちゃんは、他の男性にも似たような嫌悪感を抱きやすくなる。
もっとも、一昔前と比べたら今の父親はかなり子煩悩であり、それに合わせて赤ちゃんの方も男性に対する嫌悪感を抱きにくくはなったと思うけど。
獣の赤ちゃんは、自分の生命維持を第一に考えて、そのために必要な情報から取得、成長していく。人間は獣と同じではないけど、少なくとも虫や魚よりは近縁だ。
赤ちゃんの目には、まずきっと、「安全性」が映ってるんだと思った。
車、本、人、壁、空、雲、、、。カラフルなオモチャは、自然界には存在しにくい。だから、「人という獣」の生存本能の中に記録されていない。結果、違和感は感じるが、敵対心を抱かない。だから、赤ちゃんのオモチャはビビッドな色合いが多い、、、とか?
触ってみてどうかということもきっとある。軟らかなおっぱいの手ざわりに近いモノに最初は凄く惹かれるけど、自然に近い木製品もまた、生理的にプラスの作用があるのかも知れない。となれば、色味が茶系なものもまた、比較的敵対心を煽りにくいのかも?
もちろん接触頻度の上昇による印象の向上効果も多々ある。母親が黒い服ばかり着ていれば、その子は黒という色に対して(最初はともかく)どんどん好意的になっていくはずだ。ペアルックの夫婦などリアルではとんと見かけたことがないが、もしベイビーが小さいなら、それはとても効果的に印象を向上させる術となっているかも知れない。
この色の人は、いい人。暑い時涼しくしてくれるし、ウンコの気持ち悪さも取ってくれる。美味しいもくれる、、、。
では、人ではなく、景色ではどうか。家の中の見慣れた世界から、外へ散歩に出る時、赤ちゃんの目には何が映っているんだろう。
真実はわからないけど、「壁とは違う距離感」に、最初は戸惑うかも知れない。でも、獣が世界に放り出された時、そこにはきっと壁はない。だから、生存本能的には、「壁のない世界」の方が、居心地が良く感じるのではないか。
散歩が好きな赤ちゃんは、つまりは広い世界の懐かしさみたいなものが、深層心理に残っていて、遠くまで見えることに楽しさを感じるのかも知れない。
もちろん、視界には「絶対的守護者」である母親が居てこそだが。
それこそ、獣の赤ちゃんが、母親からべったり離れないことからもうかがい知れる。
ドライブが好きな赤ちゃんも居る。と言うか、僕自身がまさにそうだったと大きくなってから何度も両親から聞かされたが、僕は一次反抗期がとにかくひどくて、夜泣き出したら、
ドライブに連れて行かない限り、止める術はなかったのだという。
何時だろうと、絶対に泣き止まない、面倒な赤ちゃんだったらしい。
もっとも、逆に言えばドライブにさえ連れて行けば良かったわけで、「決め技」があった安心感は大きいと思うけどさ。
ドライブは言うまでもなく母親の胎内の心音に近い振動が安心させるためだと思う。単なる暗さだけじゃなく、街頭のぼんやりした明るさが、走ることで定期的に明滅する。鼓動と重なって、一定のリズムを刻む世界は、赤ちゃんに強い安心感をアピールする。
天井に付けてくるくる回る「あやし玩具」も、あの回転に心音に近いテンポを感じるからだろう。僕は自分の子供が小さい頃、よくお腹をテンポよくポンポンと叩いたりした。何となく安心しそうと思ったからだが、
・・・同じ事をネコにやっても通じはしない。
人と獣の違いは、間違いなくあるよなぁと思った。子供?子供は割と素直に寝てくれたと思う。てか、
グズって全然寝てくれなかった記憶がほとんどない。
僕が先に寝てしまったのか、はたまたきちんと作戦が奏功したのかはわからないが。
・・・
同窓会のあと、同世代の友達と子供の話をすることも少なくない。まだ小さい子が居る母親も居るし、中には既に4歳になる孫が居る子もいる。
僕自身は子供が大好きで、子供の理解を凄くしたい人なので、そう言う話を聞くとちょっと羨ましいなと思う。子供はとても正直な生き物。でもそれは、「正直何でも打ち明ける生き物」ではない。子供は自分の欲望に正直で、自分の感情を抑えるのがとても苦手なのだ。だから、
隠し事を引き出すのがとても容易。
そして、その上で子供は、「自分が理解されること」を凄く望んでる。何を考えているのか、何が欲しい、何がしたい、何が嫌で何が嬉しいのか。それを理解して欲しがってる。もちろん中には不条理な願いや希望も多いけど、それらも踏まえて歩みよることで、
子供はきっと成長していくものだと僕は思う。
そして、、、
理解したいと言う衝動は、何も子供だけにとどまらない。
友達であっても、部下であっても、女性であっても、女子であっても(笑。
人を理解するのは楽しいし、理解されるのは気持ちいい。同い年の女子と話をしていても、それは凄く感じる。48歳だから、「僕らが想像していた48歳のおばさん」ではない。僕もまた、世間一般のイメージする49歳のおじさんではない。
誰もが誰も、同じ人間など居ない。
時間を掛けて今の自分にたどり着く。だからこそ、
スタート直後が、とても大切なんだと思う。
あの赤ちゃんが、今の僕と同じ年になったとき、僕はまずこの世には居ない。でもきっと確かなことは、彼は、「僕が子供の頃イメージした49歳」でも、「今の僕」でもない、別の49歳になっているってことだ。
楽しい景色ばかりじゃないだろうけど、暗く澱んだ世界だけでもない。彼に幸せな未来が待ってるといいな、と思う。
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