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2019年6月10日 (月)

つぶやき

友達とLINEしていて、中学の卒業アルバムの話になり、おもむろに「この辺りにあったはず・・・」の場所を探すも見つからず。ちなみに探した理由は、

 高校でファンクラブまで出来た「M谷」って子の顔が見たいと。

まぁ言っても卒アルなので、言うほどかわいく撮れてはいなかったりもするのだろうけど、いざ見れないとなると結構悔しいもので。LINEが終わった後も結構しつこく探したけど、結局見つからなかった。

 代わりに見つかった、、、というか目に付いたのは、

 大量のLEGO。

僕は今でもマイクロブロックを買うくらいブロックが好きだが、一時期凄くLEGO、その中でも「TECHNIC」と呼ばれる、ギミック系のLEGOに傾注していた。てか今でもちょいちょいヤフオクやらアマゾンを覗いては、

 うーむ欲しい。だが高い。

などと腕組みしたりもするのだが、ぶっちゃけ一番最近作ったものでも、

 たぶん10年くらい前。

買ったのはもう少し手前だろうけど、ともかく、「積みプラ」ならぬ「積みレゴ」が大量にあるのだ。てか地震が起きたら僕の頭の上から重量級の「大箱」が降り注いでくるようセッティングしてあるのだ。なぜかはわからないが。

しかし、昨日見つけたのはそんな「未組み立て」のものではない、既に一度作って、そしてバラしたパーツ状態のもの。当時は「パーツ取り」、つまり、特定の部品の為だけにセットを買うことも視野に入っていたし、作ってバラしたものをただそのまま袋に入れて保管するより、パーツ事に分けて整理しておいた方が、

 次に何かを作る時にも作りやすいし、そのバラされるセットを作るのも作りやすい。が、それ以上に、

 とても自己満足指数を刺激する。キレイに区分けられたパーツ群にウットリしたりする。

この辺はプラモではあまりない感じだと思う。まぁプラカラーとかはそうかもだけど。

ただ、実際にそのパーツ分けされ、いくつものケースに収まっているレゴを使って何かを作ったという記憶はほとんどない。結局はこれも自己満足でしかなく、創造力を働かせて、「何かを生み出す娯楽」としては、あまり有効活用出来なかったと言うのが、現実であり本音なのだ。

 もっとも、だからと言って誰かに売ったりあげたりしたいわけではないのだけど。

※未就学児時代の大量のレゴが、本人の承諾なしに親戚にあげられてしまったのを相当当時根に持ってた、、、と言うか、根に持ってたわけじゃないか。ただただ「そうなんだーーー、、、、そうなんだーーー、、、ああ、あげちゃったんだーーーー」みたいな。実際それも作ってなかったんだし。

・・・

続いて目に止まったのは、古いホビージャパン。何十冊かが本棚に整然と並んでいるが、これも紐解いたのは10年以上前かも知れない。

 おもむろに、パーフェクトグレードガンダムの号を取り出す。

ヤマタクのジオラマが表紙のヤツ。記憶にある人も居るかも知れない。ある意味PGガンダムは、バンダイプラモのひとつのターニングポイントだった気もするし。

漠然とページをめくるも、特にかっこいいとか上手いと言う感想は湧いてこない。当時どうだったのかもあまりピンと来ないが、手元に雑誌を買う程度のお金があり、それまでずっと買っていて、友達もその話題を共有出来る場合、「買うのを止める」ことの方がエネルギーを使ったのかなぁなんて思う。

 今の自分は、絶対ホビージャパンを買ったりしない。

なんだろ、この感覚。ファミ通も買わない。マンガも極々限られたタイトルだけ、それも続きのものだけを買ってる。

僕の本棚、、、と言うか、僕が買ったマンガや雑誌は、決して少なくはないと思う。今だと本気の本気で凄い人はいっぱい居るから、そう言う人と張り合おうとも思わないけど、でもやっぱりそれなりには買っていた。

ある頃までは本棚にキレイに並べて整理してたけど、結局ダンボール箱に無作為に詰めてしまうようになって、今現在普通に手にとって読み返せるマンガは、たぶん持ってるマンガの1%にも満たないだろう。

 残り99%は、このまま僕が死ぬまでこのままなのか。

プラモもそう。PGも、ガンダム、ザク、マークII、Z、ストライカーと買ったが、作ったのはマークIIだけ。これはこれで、

 非常に大満足だったのだけど、

安い買い物じゃないパーフェクトグレード。そのまま放置して死を迎えることになるのかなぁとか。レゴでもそうだけど、今プレミアが多少なり付いてるゲームとかも、プレミアこそ付いて無くてもそれなりにあるマンガとかも、あと20年、30年して僕が人生の終焉を迎える時までずっとこのままなのかなぁとか。

 そう思うと、親父はモノを持たない人だったな。

てかそれが普通なのかどうなのかわからないけど、まぁ賭け事が好きな人で、プロ野球を見るのが好きな人だったので、「何かを手に入れる」ことに特に欲が無かったのかも知れない。まぁ車はずっとこだわってたけど。てか今でも気になるのは、

 ウチの親父が乗っていたスカイラインは、GTRだったのかなぁ

ってことかな。おぼろげな記憶にあるのは、あの羊の皮を被ってるフォルムなのだけど、R32の頃にもGTSはあったわけで、似て非なるスカイラインだった可能性も高い。でもなんだろ、

 親父がGTRに乗ってたかもと思うと、息子としてはちょっぴり鼻が高い気分になる。

まぁ僕が物心付くか付かないかの話なんだけど。あと全然本筋と関係ないけど。

・・・

今は特にゲームを頻繁に買わなくなったし、マンガもプラモもレゴも同様。お金は、ちょいちょい課金するソシャゲと、日々のお菓子やジュース。何年かに一度はスマホやPCに使う。

 ほとんど残る物がない。

物欲はかなり強かったはずなのに、今は特に「実物」に固執しなくなった。まぁ出来たらダウンロード版じゃなくてパッケージ版を買いたいって気持ちは今でもあるけど、だからってSteamのゲームは買わないわけじゃないし。

そうして買う「物」が無くなっても、既に買った物が消えるわけじゃない。伊集院が「10年見なかったモノが、この先必要になることはない、、、と思っていたけど、昔のラジオのテープが見つかると、それはそれで捨てられない」なんてことを以前してた。

 物には魂が宿ってたりする。

その当時の自分、音楽や、友達や、生活が、その物にすり込まれていて、ふとしたきっかけでフラッシュバックしたりする。「そうだったな」と。

もちろん歳を取ることでその「戻る度合い」は希薄になってしまうし、最後には何も思い出せなくなってしまうのかも知れないけど、

 今はまだ違う。

子供たちを撮った写真を見て、何となく胸が熱くなったりする。部品別に収められたレゴを見て、なんかちょっとくすぐったいような楽しい気持ちになる。

 ・・・捨てるのは、自分じゃなくてもいいかなって思う。

もっとも、長男がもし捨てる段になって大量のエロ本が発掘されたとしたら、それはそれで親としてどうなんだろ、とも思うが、それすらも死んでしまってるならどうもこうもない。苦笑いしつつ燃やしてくれればいいと思った。

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