同窓会を振り返ってみて
まだ打ち上げが残ってるから終わったわけではないのだけど、ふと振り返ってみれば、
今年のクリスアワードはコレかも知れないなぁ
と思うほどに楽しかった。
毎月集まって準備を進めたり、昔の友達に電話をしたりされたり。トラブルがゼロだったとは言わないけど、気持ちよくみんなの前で話をし、校歌を歌い。さらにその時の写真を切り貼りして一枚の大きな、文字通り「記念写真」を作り。
自分らの学年だけでも、トータルで150万円くらいのお金が動いたわけで、他回生も合わせれば、結構な規模のイベントだった。文化祭の前日のような慌ただしさや、当時から随分経年劣化した体育館の舞台裏。カーテンを開け閉めしたり、そこからステージを見る感じは、本当に懐かしくて、心地よい。
同窓会も二次会も、あとおまけの三次会もとても楽しく過ごせたけど、実際のところ一次会二次会ではほとんど誰ともしゃべらず、近況報告も昔の思い出話も全然聞かなかった。
ずっと写真撮ってたから。
今になってちょっともったいなかったかなぁとも思うけど、自分の中では、
話<写真
話は電話でもLINEでも出来るけど、写真はその場で会わないと撮れない。撮って貰った写真を見せて貰うのと、自分でポーズや笑顔を指示して撮るのとは、全く結果も思い入れも違うし。
あわよくば僕の撮った写真を見て、ひとりでも多くの人が、「自分は撮れなかったけど、撮って貰ってよかった」って思ってくれればいいな、とは思うけど。
・・・
打ち上げは同窓会から一ヶ月半も先に決まった。僕的には終わってその翌日とか翌々日くらいにやるもんだと思ってたので、正直肩すかしを食らった感じだったけど、せっかくずっと一緒にやってきたメンバーだから、一人でも多く参加出来る日を探したら、結果こうなったって感じ。
ただ、主要メンバーの一人がそれでも欠席するってんで、前倒しの14日にもっかいやることになったわけだけど。
そこそこの参加者が居た辺りは、みんなあの時の空気が名残惜しく感じてるのかなぁと思ったり、
「同窓会ロス」になってるのかなぁと思ったり。
同窓会が終わってから、普通のメンバーは特にコレと言った仕事をするわけでもない。僕はひとりでセコセコ写真を切り貼りして加工しては、ニヤニヤしたり、メンバーに見せて笑いを取ったりしていたけど、きっと大半は自分の生活に戻って、あの時の「煌めき」を恋しく思いながらも、以前の生活、同窓会の存在のない、昔の友人が出てこない生活を取り戻していったんだろうと思う。
それは時が経てば経つほど、どんどん希薄になっていくし、風化していく。恋しさが残っていれば空虚感に苛まれてロスになるけど、言っても以前の生活に戻るだけだ。いつかは時間が解決する。誰も人生掛けて同窓会やってたわけじゃない。僕もそうだ。
でも、
以前の生活に戻る前に、そして同窓会の準備の頃のようでもなく、全く別の新しい楽しさが見つかったりすると、それはそれでとてもかけがえが無く、楽しく、大切にしたいな、と思う。
数時間ずっとLINEしてたり、電話したり、会って話をしたり。
自分たちは48歳~49歳。若い頃、そのくらいの年齢の人が何を考えて、何を思ってるかなんて、想像しようとも思わなかった。きっとこれを読んでる20代30代の人も、「そんなジジババなんて何も考えてねぇだろ」くらいかも知れない。まぁ読んでないかも知れないが。
でも実際は全然違う。自分が違うからみんなも違うと言う発想は危険で、好きじゃないけど、でもやっぱり昔の自分のイメージする50歳と、今の自分はあまりにも違う。
照れくさく、感情的で、惚れっぽく、リスクや失敗を怖れない。
まさに中高生の頃の自分と何も変わってない。肉体は大きく衰えたけど、心は昔のまんま。と言うか、
同窓会というイベントによって、昔の自分が掘り起こされた。
「オッサンがキモいな」と思って頂いて結構。そう思う30歳は、50歳になった時、僕とは違う「いわゆる年相応」の思考回路と、心を持ち合わせてる可能性もある。
だけど、
僕は今の僕がとても気に入っている。
今の49歳のクリスが、自分の信じたチョイスを繰り返して、自分なりの楽しいを探しているクリスが、「自分で自分を羨ましいと思えるようでありたい」と思ってる自分が気に入っている。
それは、誰かに文句を言われるもんでもないだろう?ウザくてキモくて、勘弁してくれと思うなら、自分がそうならないように舵取りしていけばいい。自分の信じる正解は、人の信じる正解とは絶対に違う。違って当たり前だ。
でもだからこそ、後悔しない選択の先が、未来の正解に繋がると思う。僕は僕の、君には君のチョイスがあり、正解がある。
友達と長電話をしてた学生時代の楽しさが、今になって色濃く甦る。僕はまだロスってない。
同窓会、★★★★★だったわ。
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