ドラえもんの最終回
前回のドラえもんネタにやや絡みつつ、ウィキペで見つけて「へ~」と思った話をご紹介する。もちろん一切ニーズが無くてもご紹介する。
みなさんはドラえもんの最終回をご存じだろうか。僕基準で言えば、
ドラえもんが未来へ帰ることになり、心配させまいとのび太がジャイアンにケンカで勝つ。
※正確にはジャイアンが諦めないのび太に根負けする
ラストシーンでは、ドラえもんの居なくなった部屋でのび太がじんわり涙しつつ心配しないで、、、みたいな。
僕はスタンドバイミードラえもんを見てないので、そこでどんな扱いがされたかわからないけど、僕の記憶にある「ドラえもんの最終回」とは、こんな話だったと思う。もちろんこのあとのエピソードで「ウソ800」を飲んでドラえもんはのび太の元へ帰ってくる事になるのだが、それにもいろんな事情が絡んでいた様子。
まず前述のエピソードが掲載される前に、ドラえもんは2度最終回を迎えている。
・1971年 小学四年生 3月号
・1972年 小学四年生 3月号
当時小学館の「小学○年生」に連載していたドラえもんは、4月から始まり、3月で一応の決着を付けるのが慣例となっていた。当時まだ「小学五年生・六年生」は刊行されておらず、単行本も発売されていなかった為、ドラえもんもまたその慣例に則って小学四年生の3月号で、最終回を迎えることになったと言う。
エピソードに関しては、ちょっぴり長いのでウィキペディアを見て貰う方が確実。ザックリ言えば、
未来からの「過去への時間旅行客や犯罪者」を取り締まる為に、法改正され、ドラえもんも戻らなければならなくなった、と言うもの。
とても印象的だったウィキペディアのラストシーンを引用する↓
・ドラえもんはセワシとともに未来の世界へ戻り、タイムマシンの出入り口も机の引き出しから消えた。勉強机に向かうのび太は、その引き出しを開けるたびにドラえもんのことを思い出し、そこに彼の影を見て静かに呟くのだった。
・「つくえの引き出しは、ただの引き出しにもどりました。でも……、ぼくは開けるたびにドラえもんを思い出すのです。」と。
・・・なんだか、スティーブン・キングのスタンドバイミーを思い出すような、しんみりとした、それでいて味のある終わり方。僕の知ってる終わりじゃないけど、これもまた有りだなって思える。
そして'72年の方は、あまりにドラえもんに頼りっきりののび太に自立を促す意味も込めて未来へ帰ることを決意し、セワシに協力してもらって「ドラえもんが故障したので未来で直さなければならなくなった」と別れを告げる。のび太はひとりで自転車に乗る練習を始め、ドラえもんは未来からそれを涙ぐみながら見つめるのだった、、、。
つまりこれは、「日テレ版ドラえもん」の最終回。
細かな部分に差異はあるものの、日テレ版もF不二雄先生の意向を汲んだ最終回が描かれたということだった。
そして、、、
アニメ版終了と共に、ドラえもんの連載そのものが終了することになる。前述の最終回は、あくまでその年の4年生が進級し、また翌年4月から新たなドラえもんが始まるだけのことだったが、アニメ終了に伴って、ドラえもんの連載自体が終了し、「みきおとミキオ」にバトンタッチすべく、最終回が描かれることになった。
それが、僕らの記憶にある「冒頭の最終回」。
'74 小学三年生3月号
しかし、実際にはドラえもんは終わらなかった。当初の予定では終わる予定だったが、F不二雄先生が継続を切望し、同年の「四年生4月号」に「帰ってきたドラえもん」も掲載予定として最終回の号にも予告が載った。
最終回として描かれたが、実際には終わらなかった最終回と言うところ。
ちなみに、老後ののび太が過去の自分にエールを送る「45年後・・・」というエピソードもあるらしいけど、初出は「9月号」で、最終回として描かれたわけではない様子。ただ、後年刊行された「ドラえもんプラス」の最終話扱いであったり、アニメ版第二期に放送されたりもしたらしいけど、全然記憶にないな。
・・・話は終わらない。
ドラえもんにはこれら公式エピソードとは全く別の、都市伝説的な最終回がある。
一つは僕らが高校生の頃一部で盛り上がった「のび太植物人間説」。つまりは夢落ちであり、ドラえもんなど実在してなかったという、ダークな話。ぶっちゃけ僕的には全く信じておらず、どこぞの誰かが適当に流布した「ウソ」だと思って歯牙にも掛けなかった。
がしかし、もう一つ、僕が昨日まで知らなかったエピソードは、なかなかに面白い。
こちらは、一介のファンが「自作であること」を明言した上で書いた、ある種同人的な話なのだが、ファンを自認する人の書いたものだけあって、
凄く本編をリスペクトしていて、かつ実際にありそうな話。
コレも詳しくはウィキペを見て貰いたいけど、ザックリ言えば、、、
バッテリー切れが原因で動かなくなってしまったドラえもん。ドラミに相談すると、バッテリー交換をすると記憶がリセットされてしまう。本来ならバックアップデータは「耳」の部分に記憶されていたはずだったが、ドラえもんにはそれがなく、細かな仕様は極秘事項とされていた。悩み抜いた挙げ句のび太は、
自ら猛勉強してロボット工学の専門家になる。
そしてついに、結婚したしずかちゃんと共に、記憶メモリーを維持したまま修理完了したドラえもんのスイッチを入れると、、、
「のび太くん、宿題は終わったのかい?」とドラえもんが。
仕様が極秘だったのは、のび太自身がドラえもんの開発者だったからだった。
・・・あれ?なんかどっかで聞いたことがあるような、、、
軽く記憶を掘り下げて見ると、
これって、山崎貴監督の「ジュブナイル」の話じゃね?
ドラえもんではないものの、未来から来た友達ロボットが、機能停止。それを復活させるためにロボット工学を学び、そしてそれをついに実現する、、、。
コレってパクリじゃないの?
パクリ(盗み)じゃないのである。
なぜなら、山崎監督は、「この話を公式に作者本人に了解を取って」作ったのだ。もちろん藤子プロにも了承を得ていて、つまりは、「オフィシャルなフォロワー」。ドラえもんのリスペクト作品のさらにリスペクトという意味で言えば、孫フォロワーとしてジュブナイルが作られていたのだ。
そしてそんな山崎監督が、さらに膨らませて撮ったのが、「スタンドバイミードラえもん(スタドラ)」。
スタドラには、冒頭の「さようならドラえもん」「帰ってきたドラえもん」のエピソードも絡められているらしく、
※というかむしろ僕はそれの映画化だと思ってた
いかにドラえもんが彼らに愛されていたか、「ドラえもんが好きな僕の心にジュブナイルが訴求してきたか」が、一気に氷解する思いだったよ。▲▲。
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