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2019年10月26日 (土)

山本二三展

売り出し前の休みなので、普通に家でゴロゴロして過ごそうかとも思っていたけど、やっぱり行こうと思ったときに行かないと終わっちゃうと思って行くことにした。

 宮崎駿に見出された背景美術の人。

道中初めて(たまたま)グーグルマップの右下にある「開始」というボタンを押したら、まるでカーナビのようなモードに切り替わり、

 400m先 右折 です

みたいなことをスマホがしゃべりだした。

 こんな小さな中に人間が!?

いやはや世界は広い。驚きと興奮に満ちているわ。

そんな小さな友達と談笑しながら、
※「え?そこ右なの!?左かと思った」とか。「おいおいそんな右左連続で言われても戸惑うばかりだよ」とか。

 片道30分ちょいの道のり。

バイパスが出来てムチャクチャこの辺りのルートは時間短縮された。バイパスが出来る前なら、

 たぶん3時間は掛かっていたはず。

・・・微妙にそれっぽい数字だと逆に戸惑うよな。「え?それはボケなの?」みたいな。

 実際は、1時間40分くらいだと思う。

無事に駐車場に着いたはいいが、そこから入り口が見あたらない。おもむろに駐車場から出て、道なりに登っていくのかと思ったが、どうもそんな建物はない。目の前にある瓦屋根のそこそこ大きな建物には、

 青と赤で男女の絵が描いてある。

つまりはトイレである。

さらに左に目をやると、「それっぽい建物」が見える。

 が、周囲をグルリと垣根に囲まれている。「隣の家に垣根が出来たってねぇ」「ふーん」、、、そんな感じだ。

面倒になったので電話で尋ねることにしたら、

 無事「木の陰でほとんど保護色になっている入り口」を教えて貰えた。

さすがジブリ。現実世界まで背景に溶け込んでいる<よくわからない。

ちなみに、行ったのは「田原博物館」という所で、愛知県の中では結構海寄りの田舎町である。昔は子供達と何度かドライブに来た記憶もあるが、

 ここには来てないと思う。

入館料は700円。来る前にチェックしていたので驚きはしない。正直「大して見る物がなかったら切ないかもな~」と思ったりもしたが、逆にありすぎても困る。つまりは、

 考えても始まらない。

ちなみに、ここに来る際、友人Tでも誘おうかとも思ったが、郵便局は普通平日は仕事をしていそうなので止めた。え?一緒に行ってくれる女子は居ないのかって?

 ハッキリ言おう。「居ないし、居ない上に、居ない」。

てか、もし仮に居たとしても、「背景画の展覧会」にご一緒してくれるとは思えないし、もしご一緒してくれたとしても、

 見るペースが絶対僕とは違うので、結局一人で来るしかないと思った。

その昔鳥山明の原画展が名古屋であり、かみさんや子供達と見に行ったことがあったのだけど、

 僕が全体の「5%」ほどを見終わった段階で、「下で待ってるから」と言われた時は、ホントにショックだった。

何時間待つつもりなんだろ、、あ、早く見ろってことか。

そう、僕は結構一枚一枚しっかり見たい人なのである。いろんなことを考えたりしながらじっくり見たい人なのである。別に何が書いてあるかわからないようなピカソ先生の絵とかでも、じっくり見てると何となくわかった気がしてきたりする、そう言う感じが嫌いではないのだ。

 ってなわけで、2部屋しかない展示室を2時間くらい掛けて見た。

つっても最初の30分は、たまたま上映開始のタイミングだったインタビュー映像を見てた。

 普通は見ないんでしょうけど、

たまたま一番前で見ることが出来たのと、これを見てからの方が絵が楽しめるかなって思ったから。実際そうだったし。

 だからもし「行くかも」と言う人が居たら、その時間を調べておくとイイかも知れない。40型くらいのテレビに、3人×6=18席くらいの長椅子があるだけのスペースなので、期待されても困るけど。あと、

 そんな大した内容でもなかったし。

つまりは、子供の頃住んでた所とか、学生時代のこととか、ちょっとした描画シーンとか※←これがキモと言えばキモかな。
33歳で宮崎駿に見出され、未来少年コナンの背景を描いたのが最初とか、そんな話。てか、僕的にはカリオストロの背景もこの人だと思って期待して見に来たのだけど、、、もしかしたらこの人じゃないのかも。この人だったとしても、「カリオストロはジブリではない」ので、素材の管理が別会社なのかもな~って思った。

 その割には「死の翼アルバトロス」の背景画もあったけど。

メインのネタは、

・オリジナル作品や、劇場版としてジブリとは無関係な作品が全体の6割くらい

・火垂るの墓が1割

・もののけ姫が1割

・ラピュタが1割

・時をかける少女が1割

そんな感じだった。

いくつか驚いたこと、感心したことはあるのだけど、とにかく見ていて一番強く思ったのは、

 今こうして感銘を受けたり、感心したりしたことも、ほんの数時間で忘れてしまうんだろうな

結局写真に撮ってはダメだったし、画集やら写真集ではこの「手触り」は全く感じられない。実際直前に見たビデオ映像で「キレイなモンだな~」と思った実際の絵が、

 まさかセルの上に書かれていたものだったなんて、想像の真上って感じだったし。

※実際は一番下のレイヤーは普通の水彩画。その上に数枚のセルに描いた背景が重なってる感じ。ただ、いわゆるセル画と違うのは、

 セルの表面に絵が描いてあったこと。

普通(と言っても今のアニメはほぼデジタル彩色なのでちょっと前のアニメを指すけど)セル画と言えば、透明なフィルムの裏側から、つまり見たときに一番手前に来る部分から描いていくので、

 塗られた側は、ほぼほぼ背景色の塊みたいになっているのだ。

ともかく、こうして覚えていることを文字に残しておけば、のちのちこの時のことを思い出せる「かも知れない」。

 これを書いたことすら忘れてしまうのだろうけど。

適当に思い出せることを箇条書きにしていく。

●定規も使う

当たり前のことだったのかも知れないけど、漠然と「絵描き」は定規を使って絵を描かないイメージがあったので、結構驚いた。筆とボールペンを一緒に持って、たぶん下に一円玉が貼り付けてある(紙から浮かすため)定規のレールにボールペンを滑らせるようにして描く。

 ただ、それが想像を絶するくらい細かいところも多い。

こればっかしは実物を見ないとピンと来ないかも知れないけど、

 背景画というのは、描いた物を別に撮ってそれを縮小したり映像処理的に重ねたりして使う物ではないのだな、と。

セル画の大きさは、たぶんアニメの規模によっても違うのだろうけど、

 ぶっちゃけ少年ジャンプより小さい。

背景画には余白があるので、余白を含めてジャンプくらいの大きさ。

 その大きさに、あれだけの情報量、精緻な絵が描かれているのだ。

特に驚くのは、「遠景にあるビルの窓」や、「橋桁のように手前から遠くに向かって密度がどんどん高くなっていく人工物」。

 森や雲は、結構違和感なく誤魔化すことも出来そうな気がするけど、建物の類は「思ってる以上に誤魔化してない」。まじめに描いている。

 それに相当グッと来た。

で、あんな細かいものを定規を使って描いてるんだなって思った。

まぁマンガ家とかからしたら「そりゃそうだろ」ってレベルなのかも知れないけど。

●雲がそれほど大したことない

「二三雲」という呼び名があるくらい特徴的な雲だったらしいけど、いざ原画で見ると、「普通の雲」であり、それ以上の感銘はない。ただ、

 夕焼けに黄色く染まる雲と、その上にまだ青い空が広がっている白い雲のコントラストのあった絵は、結構グッと来た。

でもやっぱり素人目には雲より細かい建物に感心してしまったな。

●もののけ姫はほぼ森ばかり

同じような背景が目白押しであり、

 こんなの使い回せないもんなの?

ってくらい違いがない。いや、もちろん距離感だとか明るさだとか、微妙な違いはあるのだけど、言われてわからないレベルの違いしかないものも多い。

 宮崎駿監督が、「手を動かすタイプ」だったから、たぶん二三さんも言われるままに、どんどん描きまくってたんだろうな~って思った。

●時をかける少女は、教室関連が多い

これはなかなかに見応えがあった。と言うか、全ての作品の中でもっとも良かったのが、
・山本二三展
https://www.taharakankou.gr.jp/event/000114.html

このポスターに使われていた絵。これは本当に素晴らしくて、

 絵から1cmくらいの距離で見ても、情報量の多さにウットリする。

 特に「汚れ」。

これは皮肉と受け止められてしまうかも知れないけど、真ん中の建物が密集してるところが、実は結構黒く汚れてしまっていて、最初は「この筆跡は人間のレベルを越えてるだろ」と言うくらい細かい線が入ってた。

 それくらい違和感がなく、遠目に見るとしっくりと来た。

「汚れすら味方に付けるのかよ」と思ったもんである。てか、この1枚だけで10分以上見てた。

・・・

山本さんの絵は、ともすれば新海監督の絵より「精緻さで劣る」と思いがちである。てか僕がそうだった。でもたぶん、

 あっちはデジタルでこっちはアナログ。

デジタルだからこそ得意な分野はあるし、アナログだからこそ出せる味があるのも理解出来るけど、

 街並みのような直線が多い絵は、間違いなく「あっち」の得意分野なはず。だからこそ、そこで勝負せざるを得ない絵は、「分が悪い」と思ってたのだけど、、、

 やっぱり違うのだ。

道に落ちる建物の影がぼんやりぼやけているのは、間違いなく水彩画の味だし、前述の汚れもまた、コンピュータの画面の中の絵には付くことがない。手描きを手放しで褒めるほど愚かではないつもりだけど、

 デジタルで描かれた絵を、モニターで見るだけなのと、

 実際に紙に筆で描かれた絵を、ギリギリガラスに鼻先が付いてしまうくらい寄って見るのとは、

 やっぱり得られる情報が違うと思った。

そしてそれが作品全体の奥行きにも繋がっていくんだろうな~って。

●火垂るの墓は、やっぱり怖い

暗い話なので結局見てない。でも絵からそのオーラがにじみ出てる。ちなみに山本さんは別に背景しか描かないと言うわけではなく、結構人物が描かれた絵も多い。登場人物であったり、オリジナルであったり。

 まぁ背景と比べると、そこまで感動的な描写はないのだけど(人物画)。

ただ、そんな火垂るの墓の中で一枚だけグッと来たのが、

 火事の絵。

先ほどのページに小さく紹介されている「チラシ裏面」にも載っている、文字通り火事の絵なのだけど、

 こうして縮小された写真で見るのと、実際に画用紙に筆で描かれたものを見るのとでは、全く意味が違う。

何というかこれは全ての絵に言えることだと思うのだけど、

 原画というのは、デコボコしてるし、なめらかだったり、紙の「手触り」が感じられる。

それがモニター越しで見るとまんまと無くなっているんだよね。さっき描いたセルの話もそうだけど、

 セルの部分が背景から1ミリくらい浮いてるなんて、実際に見ないと絶対わからない。

ただ、デジタルだからこそ素直に凄さや細かさを感じられることもある。寄って見るとやっぱりひとつひとつは筆のタッチがわかるし、いくら写実的だからって写真なわけじゃない。「写真の様に見えるけど、歴とした一枚の絵」ってところが、何だかんだ言って山本二三の背景美術の真骨頂だと思うし、魅力の大部分なんだろうな、と思った。

●デカイタペストリーも、、、

縦4mくらいあるタペストリーも、実際の絵は縦40cmほどであり、なんだか愉快な気持ちになった。

美術監督、背景画家ってのは、決して「絵を売って生計を立てている画家」じゃない。あくまで描かれるのは、クライアントに依頼され、求められた「イメージ通りのもの」であり、好き勝手描いているものもあるにはあるが、映画に使われる背景は、

 商業絵画。つまり(売られはしないが)「商品」だ。

こうした展覧会で見ることは出来ても、展示品に「売約済み」という札が付くことはない。売れば値段は付くだろうし、欲しい人もいくらでも居るだろうけど、版画のように原盤から何枚も作れるわけでもないし、

 手に入れることは極めて難しい類の芸術品。

タペストリーは巨大で、細かなところも拡大されてはいる。でも、実際の絵に近づいて見るのと、拡大されたタペストリーとでは、得られる情報量は全く違う。スキャナはどこまで行ってもスキャナで、人の目とは違うし、プリンターの精度の問題もある。

 せっかくならタペストリーみたいな布じゃなくて、巨大な印画紙を使ったパネルにしてくれてればよかったのに。

そんなことを思った。だって、

 ガラスケースの中の作品は、「メガネを掛けても外しても、細かいところまで見えない」んだもの。

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一通り見終えて館を出ると、外はもううっすらと夕闇が世界を染めかけてた。雲は灰色の空に溶けて、季節外れの真夏日だったとは思えない風が背中を押す。

 やっぱ誰かと一緒に見て、感想とか言いまくりたかったかもな~。

ちょっとだけ思ったわ。

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