幸せについて考える
ネタがないので、逆に風呂敷を広げてみる。ちなみに今は2019/11/12午前0時23分。
みなさんはマスターズ甲子園というのをご存じだろうか。高校を卒業した野球部OBが、甲子園で野球が出来ると言うイベント、、、と僕は解釈しているのだけど、それがつい先日あった。
ウチの高校も参加することになり、応援団まで結成されて、甲子園ツアーを敢行。つっても僕は普通に仕事が忙しかったので行けなかったのだけど、
まぁ楽しそうだった。
もし僕が気楽に仕事の都合を付けることが出来て、お財布にも余裕があり、体調も平常であったなら、果たして行っただろうかと思う。野球どころかスポーツ全般に興味が薄く、ラグビーですら、いつ勝っていつ負けたのかも良くわかってないレベル。オリンピックのテレビ中継も、タイミングが合えば観るけど、意識してテレビの前に正座待機したりしない。
でもきっとたぶん間違いなく、行けば楽しかっただろうなぁと思う。
同じ高校の同窓生が、晴れの舞台で試合をする。そしてそれをみんなで応援する。アウト一つ、ヒット一つに一喜一憂するし、隣に座ってる、ともすればこれまで会ったことがなかったかも知れない歳の離れた先輩とハイタッチやハグもしてしまうかも知れない。
自分から動かなければ、そうした楽しさは味わえない。
歳を取るといろんなことが億劫になりがち。僕は割と誘われれば行く方なのだけど、その昔仲が良かった友人たちは、意外と誘ってもさほど乗り気じゃないというか、面倒で億劫なリアクションを取りがち。それはたまたま僕と一緒に行くのがイヤだからという可能性もゼロではないけど、一旦それはペンディングにしつつ、
僕がやりたいと思うこと、みたいと思う物が、年齢不相応になってるんだろうな、と思ったりする。
僕は今49歳で、世間で言えばジジイに片足突っ込んでる年齢だ。僕の祖父は54歳で死んじゃってるので、ともすればそんな先の話じゃない。僕のオヤジは、僕が19歳の頃に脳卒中で倒れている。オヤジが25歳の時の子供だったと思うので、逆算すれば既にその年齢は通り過ぎている。
今生きてることが、何一つ当たり前じゃないことに軽く驚く。
こないだの台風。死んじゃった人もたくさん居る。ほんのちょっと角度が変わったら、僕の店の近くにある川は氾濫しちゃっただろうし、住んでる家の真横の川が氾濫したら、たぶん家ごと流されるか壊されて、死者行方不明者のリストに載る可能性も高かった。
だけど今は普通にキーボードを叩いている。
やってるゲームのガシャで、周りのみんなが手に入れたキャラを、僕だけ手に入れられなかった。結構切なく、凹む。でもだがしかし、そんなことは本当の本当に些細なこと。
一昨日自店の店頭で100円玉を拾った。1週間くらい前は201円拾った。これも些細なこと。別にガメたりしないので、
※ちなみにそう言うお金は落とし物入れに入れる。たまにお客さんが「1円足りないけどまけてくれない?」とか聞いてきたらそこから出したりする。あとレジのお金が不自然に少ない時とかに補填したりすることもある
個人的に嬉しいということはない。
ターミネーターを見に行って、まぁそれなりに面白かった。ブログにそのことを書いたり、友達に話をしたりもしたけど、今僕の年齢でターミネーターに興味がある友人は、ぶっちゃけ居ない。ただ一人で映画を観て、誰に読まれてるかわからない感想を書き、それで1100円+ガソリン代+晩飯代のリターン(見返り)は償却する。
・・・
最近パートさんの一人が体調が悪く、休みがちだ。彼女は3人の子供がいるシングルマザーで、収入もさほどあるわけじゃない。休めば当然給料も減るが、働けないほど体調が悪かったら、それは休むしかない。
まぁ、その他諸々、「本当に休むしかないのか?」と言う理由で休むことも多々あるわけだけど。
自分が逆の立場だったら、凄く不安でしょうがないと思う。優先順位を付けて、例えば子供の参観日や、ダンスレッスンの送り迎えを犠牲にすることを考えたかも知れない。
子供のために自分が犠牲になって、その結果全員がツライ目に合う可能性も考える。
旦那と別れたことは一切後悔していないというけど、後悔してないのは感情的な面であって、生活面や肉体的な面では、もっと深く考えて決断した方が良かったんじゃないの?と思う。
彼女が休めば、その分僕がやらなきゃいけない仕事が増える。僕は月給制なので、それによって貰えるお金、お小遣いが増えたりしないけど、でもだからと言って腐ったりもしない。立場的に店長だからってことも無くはないだろうけど、
今、台風で飛ばされなかった店があり、仕事があり、自宅があり、家族が無事で、自分自身五体満足で働くことが出来ることは、やっぱり凄くありがたいことなんだろうと思う。
でもそう言う感謝の気持ちってのは、ともすれば時間と共に瞬く間に風化してしまう。「楽しいことが見あたらなくて焦る」瞬間に、感謝の気持ちは無い。ただ漫然と「楽しい」が降ってくることを期待して生きるほど楽天家じゃないけど、ちょっとした楽しいにも気づける心構えで居たいし、「ちょっとした楽しい」を「そこそこ大きい楽しい」に膨らませられたらいいなと思う。
見たい映画があれば、サッと調べてスッと行きたいと思う。
欲しいゲームがあれば、カレンダーの発売日に「ポケモンソード」と書いて、アマゾンに予約を入れたいと思う。
面白いアニメなら、毎週欠かさず見るし、
昔読んだマンガでも、今また読んで楽しいなら、そのまま最後まで読破しちゃったっていい。
虫歯が痛いなら歯医者に行くし、
お菓子やジュースが食べたかったら買えばいい。氷を入れた方が美味しいなら氷を入れるし、冷凍庫で冷やした方が美味しいなら、チョコは冷凍庫で冷やして食べる。
暖かい毛布が気持ちいいなら押し入れから出すし、涼しい方が気持ちいいなら上着は脱ぐ。お客様と楽しく話せるならガンガンしゃべるし、くだらない雑談もしてしまう。
・・・
今日、雹(ひょう)が降った。ちょうど僕が昼寝しはじめた瞬間に降り始め、窓にけたたましく打ち付ける音は、紛れもない雹の音。
布団から出て、カーテンを開け、粒の大きさを確認したい衝動に強く駆られた。
でも、今ここで疲れを取らないと、仕事が確実にキツくなる。
楽しいか、楽か。安全か、危険か。
凄く些細なこと。雹を見たからと言ってそこまでテンションが上がるってこともない。雪のように世界を白く染めるわけでもないし、雪だるまが作れるわけでもない。
僕は布団から出ずに、そのまま眠りに落ちた。しばらくはバババババと窓ガラスが鳴っていたけど、気付けばセットした目覚ましの音だった。家から出たら、路面は濡れていたけど雹は無く、かわりに雲間から青空が見えていた。
止んで良かった。明日は売り出しだしな。
・・・
自分の価値観を他の人に強いることは出来ない。でも、自分に強いることは出来る。後悔するな。躊躇うな。考えろ。
「時間が金で買えた試しはない」byトニー・スターク
ポケモンの発売が楽しみだ。
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コメント
こんばんはクリス!!
受け売りだけど、命とはあなたが持っている死ぬまでの時間のことです。
という言葉は好きというかチョクチョク意識するようにしてる。
お金の為に色んなものを当たり前のように犠牲にし過ぎないように、ともするとどうしてもそっちへ引きずられそうになる自分の心のバランスをとるために。
お金と、後からどれだけお金を積んだところで取り返せないものとは、出来るだけ交換しないようにしようって思っちゃうんだよなー。
お金貯めてから子供作るって言ってた友達がお金がそこそこ貯まった時には、
年齢的に奥さん子供産むのには、相当厳しい年齢になってて、諦めたというね。
子供が産めるあの年齢は何億円積んでもお金では取り戻せないというね。
時間=命
って感覚が僕はあるねー。
ま、おおらかな気持ちで、やっぱ楽しいことに
大事な時間を使わなきゃってね思うよ。
投稿: nori | 2019年11月19日 (火) 01時32分