小中高に休校要請
あんま政治とかの話には疎い僕なのだけど、今朝ニュース見てビックリ。生まれて49年で一番デカい政策だなぁと思うと同時に、いろんなことが頭を巡った。
ニュースでは、いろんな立場の人の意見や感想を流していたけど、ぶっちゃけ立場によってその思いは様々過ぎる。
人間ってのは基本独りよがりで自己中心的な生き物なのだよな
※安倍総理も含め
と改めて感じつつ、「何が正解」だったのかとも思ったり。
とりあえず自分の子供は既に高校を卒業しているので、直接的な影響はさほど無い。ただ、パートや妹などはまだ「当事者」で、間接的には影響がある。
僕は、「人は本来独りよがりな生き物である」という前提を揚げつつも、自分としてはなるべくニュートラルに、平等に、冷静に感想を考えたいと思う。
まず、一番強く思ったのは、
「困る」のと「死ぬ」のはどっちがマシか。
みんなはどうかわからないけど、自分は「困る方がマシ」。死ぬのはまだイヤ。例えばそれは今から同じように2週間店を休む要請が来て、給料が半減してしまうことになっても、
死ぬよりはマシ。
もちろんまだ近辺に発症者が居ないからって気持ちはあるけど、それは「まだ居ない」に過ぎない。このままの流れで拡散が続けば、「ウチの店から発症者が」と言う事態に陥る可能性は低くなくなっていく。と言うか、
どんどん加速していくはず。
今はまだ数えるくらいの死者だけど、「第二の中国」のようになって、「東京オリンピックの頃には死者5桁」なんて事態もあり得なくないし、そこに自分に縁(ゆかり)のある人が含まれ無いとも限らない。
聞けば該当者は1300万人も居るという。それらが毎日のように大量の「他者」と「世界」に接触することを抑えることで、「死ぬ人を減らせる可能性がある」なら、それはきっと何より優先されるべきだと思う。「べき」はあんま使いたくないけど、
「生か死か」という究極の命題が目の前にあることをまず最優先に考えるべき
と言うのがまずひとつ。
ただ、同時にそれをやることで「本当に何とかなるのか」と言う疑問も残る。子供の接触頻度は激減するけど、そうじゃない経路での感染は何も変わらない。死者は主に高齢者が多く、「高齢者の接触機会を減らすこと」の方が重要とも思う。高齢であることが「感染しやすい」と言うことになれば、子供達への休校要請もさして意味がないと言うことになってしまう。
結局、コロナがどんなものなのか、僕を含めみんなよくわかってない。
・卒業式が無くなるかもしれない
・期末テスト無しで成績をどう付けるのか
・小学校低学年の子供が居る共働き家庭では、誰が面倒を見るのか
・給食費の返還
・想い出作りのチャンス喪失
・受験対策や、授業内容の遅れ
・休み中の課題作成
パッと思い出せるのはこのくらいか。ちなみに「要請」とは、
「必要なことが実現するように、願い出て求めること」
つまり、何ら強制力はない。だから卒業式とか入学試験みたいなことは、「やっても罰則があるわけじゃない」。ただ、
あくまで政府としては、「要請はしましたよ」と言うことが重要。
もし強行した学校から発症者が出たとき、それでも「(卒業式を)やってもらってよかった」と果たしてどれだけの人が言えるのか。感染した人でもそう言えるのか。
結局「当事者にならなければ」誰も本当の正解にはたどり着けない。
つまり言い換えれば、「正解のない問題」でもある。これが二つ目。
対外的に、
東京オリンピック前に政府として「これだけのことはした」と海外にアピールしておくことで、もしパンデミック的な拡散で五輪が中止になるような事態になっても、海外から政府が崩壊するレベルのバッシングを抑えることが出来るかも知れない
、、、と言う目論見があるのでは、と言う識者の意見もあった。
無いとは言わない。あと、
「せめて一週間猶予が欲しかった」という感想に対しては、
個人的な感想だけど、
「この一、二週間が勝負」と言われてからのジャッジだよ?未来予知が出来る人じゃあるまいし、「今から一週間の猶予」が致命的になる可能性だってある。
結局立場なんだよ。その立場で、自分の身の丈にあったことしか言えない。僕だって、「1ヶ月営業停止してください」って要請されたら、
え?どうしよう・・・
って絶対思う。「困る」と。でも同時に、自分に関わりのある誰かに発症者が出ていたら、その気持ちは全く変わるだろうこともわかる。周囲からエイリアンかインベーダーのように異物扱いされて、人としての尊厳や権利が全て消失してしまうのではないかと思う。
そう言う人が、日々加速度的に増えていく一二週間だ。きっと多くの人の立場が逆転する一二週間だ。
「要請による1ヶ月の営業停止」と、「発症者が出たことによる営業停止」は、意味が全然違う。
全っ然!ち、が、う!!!!
前者はまだ未来がある。でも後者は、たぶん未来はない。店として、例えばコロナが沈静化したあと営業を再開出来る日が来たとしても、それまでの間、関わった人たちがみんな「人間として扱われなくなる」。
必死になって一ヶ月どうやり過ごすのか、その先どう立て直すのか、出来ることと出来ないことの優先順位、、、
台風や地震で家が無くなる人も居る。
当事者と、その近くに居る人の気持ちも大切。
みんながなるべくみんなのことを考えて言葉を紡いで、行動して欲しい。正解を探して欲しい。もちろん僕もそうしたいと思う。過ぎたことをとやかく言っても始まらない。いつか振り返った時に、少なくとも自分だけは後悔するような選択をしたくない。絶対に。
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コメント
クリスさんこんにちは
今回の件は色々と考えてしまいますよね
ほんとみんな自分の立場から好き勝手言いたい放題
自分も娘が5歳で幼稚園に通っていて
うちの園は休園にはせず、自由登園という形に落ち着いたので
今のところ、妻も私も仕事を休まず普段とさほど変わらず生活を送れていますが、これが2年ずれていたら・・・
これから全く安心はできない日々が続きますね・・。
昨日、食料品を買いにホームセンター兼スーパーにいったところ、トイレットペーパーを買い求める超超長蛇の列!
買占め、なくなるといったデマの影響なんでしょうが。
うちは、日用品はストックがあるので、
その長い行列を尻目に、通常の食料品の購入を速やかに終えて、早々に目的を達成することができました。
なんというか、物がないからといって、買占めに走るような、精神性に堕ちたくはないなぁと思いながら、(列に並んで
買うこと自体は全然否定するつもりはないですけど)
自分の身にふりかかってきたときに果たして冷静でいられるだろうかと、色々と考えてしまった1日でした。
やっぱり、人間は「知らない、分からない」が一番怖いんだよなぁ。
投稿: キリオ | 2020年3月 2日 (月) 15時02分
ちすキリオさん、シリアスな話はあんま得意じゃないんですが、今回のはスルーするにはあまりに大きな話題でした。
テレビでも「5人の子供の居る家庭」が取り上げられていたり、共働きの家庭が直面する「重さ」を感じる時も多いです。でもやっぱり「まだどこか対岸の火事だと思ってる」気がしてしまいます。テレビの作り方にしても、映ってる人達にしても。
本当に切実に当事者の気持ちになるには、実際に当事者にならないと無理なんだろうと思いますが、自分的には「何とかそう言う気持ちになりたい」って思うんですよね。何て言うか、「人ごとのままなのはかっこ悪い」と言うか、「自分の中の正義ってどこよ?」と言うか。
足りなければトイレットペーパーだって買いたいけど、足りるのに買うのは美しくないと思いますし、自店で売ってても、なるべく多くの人にマスクを買っても欲しいと言う気持ちと、トラブルになるのは嫌だなと言う気持ちが両方あるのも事実。どこまで言っても正解がないような気もする一方で、
正解がないのに後悔はあるのか?
とも思ったりもします。「知らなかったんだからしょうがない」で済ませたくないんですよね。「知らなくてもわからなくても、人として、自分として、絶対やるべきではないこと」があるだろうと。
ネタでもアップしてますが、ホントに、アルテマの掲示板住人と同じ。
総理も広Pも、僕らが知らないことをいっぱい知った上で決断してるんだぜ?
って思いますわ。言い訳も出来ないし、ギャラが良くなきゃやってられないだろうよ、ともね。まぁ総理の場合はそんな甘いレベルの話じゃないのかも知れませんけど。
投稿: クリス | 2020年3月 5日 (木) 00時42分