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2020年3月14日 (土)

コロナの話

まぁ怖い。いろいろ怖いことはいっぱいあるけど、

 自分が自分じゃなくなるのがスゲェ怖い。

今はまだ自分の家族やら知り合いやらに発症者が居ないから、ある意味マスクが無いレベルの「対岸の火事」な状態でしかない。でもニュースを見る限り、「魔の手」は刻々と忍び寄ってきている感じはする。

 いつまでもこの状態が続く保証はない。

先日、今居る場所から15キロほどしか離れてない市で、半ばテロとも言える事件が起きた。「陽性反応なのに、飲食店に出向き、それをカミングアウト」。警察を呼んだが、駆けつけた時には既に帰宅後だった。

15キロなんて、映画のパンデミックシーンで言えば「もはや最初の円の中」のレベル。いつ飛び火してきても不思議じゃないし、もっと怖いのは、

 人間の中には本当に悪いヤツも居る。

それについて特にテレビとかで触れられないのは、つまりそれを取りざたすることで「そう言う発想がなかった悪人に、そのスベを知らせる事にもなりかねない」というリスク回避的な意味合いもあるのかなぁと思った。

 陽性の人が、自ら使ったマスクをキレイに整えて新品のように見せかけてネットで売ることも考えられなくはない。

中国では、使用済みのマスクをゴミ箱から漁って売ってる人が居るとニュースで見たことがあるけど、もはやこのレベルになると「ある種の殺人未遂」と言っても過言じゃない。元から反社会的な思想を持った人間が、それこそ「オウム真理教」のように無差別殺人を企てるかの如く「事を起こそう」と思えば、ホントに大したコストも準備もなく、実行出来てしまう。

 まさに薄氷の平和なのだ。

もちろんモラルウンヌンとは別に、凄く怖いことはいっぱいある。まず、

 amazonの倉庫が汚染されたらどうなるんだろ

 セブンイレブンの流通センターが、

 青果市場、魚市場が、

 警察や病院、「運送会社のトラック」が、、、

誰かが悪意を持ってそれを成そうとすれば、これらの大部分には「そこまでのセキュリティはない」。大使館とかエアフォースワンとかじゃないし、核シェルターでも宇宙ステーションでもない。普通の人間が接点を持てるところでも、「悪をバラ撒く」ことは出来てしまう。

一方で、その「陽性の人」を一概に責められるのか、と言う気もする。結局自分はまだ「対岸の人間」なのだ。自分が感染したり発症したり、知り合い家族パートさん友達、、、接点のある人で言えばお客さんでもいい。それらの人が感染した時、自分は冷静にその人と接することが出来るのか。自分が感染した時には、自分は「他の人に接する事が出来るのか」。

隔離され、介護され、治療されるだけならまだいい。人数が増えれば、満足な治療も受けられなくなるだろうし入院も隔離もされまい。となれば必然的に「まだ感染してない人」に接触せざるを得ない機会が増えてしまうし、その人から自分がどう見られているのか。実際に表立って感情を露わに「しない人」も居るとは思うけど、当然そうじゃない人も居るはず。

「陽性の人」の話を聞いた時、「これはテロだな」とまず思った。でもその直後「その人の気持ちになれるわけもない」とも思ったんだよね。

 人間は弱い生き物で、全ての人がみんな自分と同じモラルや価値観で行動したり発言したり出来る訳じゃない。

それはゲームの掲示板とか、情報番組の街頭インタビューとか、識者のコメント、総理のコメント、パートさんの感想、、、全てに言える。「そんなの○○に決まってるじゃない!」と声を荒げて総理をバッシングする主婦ですら、

 連れが真逆のことを言ったりするのだ。

精神病になって、ノイローゼになって、そしてフラフラと街へ出て、「俺は陽性だ!」と口に出してしまったのかも知れない。本人でなければ、今その年齢その生活その性格になった当人でなければ、本当の気持ちなどわかりようもない。わかりようもないと同時に、

 それでもみんなで「全ての人に対応せざるを得ない」。

・・・自分が自分で無くなるのが怖い。

僕がもし「陽性だ」と言う人に直面したなら、すぐさまその場を逃げるように後にして、最寄りの市民病院に駆け込むだろう。

 「陽性だと公言する人に直面しました」と。

今ならすぐ隔離され、辿ってきた経路や、仕事場が消毒されたりするかも知れない。

 でも、それは「あくまで今なら」の話。

感染者が爆発的に増えていけば、そんな悠長なことは言ってられなくなるはず。自宅で、出来るだけ他の人に接触しないように、いろんな部屋に入らず、出来たらかみさんとも別居して、自分で洗濯やら食事の準備やらをしなきゃならなくなるかも知れない。

 それは、49歳の僕でも、89歳のおじいさんでも等しく起こりうる。

さすがに5歳の子供がひとりで自分のことをこなすのは不可能だと思うから、国が世話をするのはまず「子供」そして「老人」、最後が「普通の大人」になるだろう。広まっていった時、一番「自分で自分のことを何とかしなきゃならない」のが、僕らの年代だと思う。

 冷静で居られるだろうか。

さっきも書いたけど、隔離されて治療されるなら、まだマシだと思う。「陽性の人」だって、自宅待機という環境に耐えられなくなって街に出たのだ。

・・・みんな自分が思い描く自分から、いつの間にか離れていってしまうかも知れない。

・・・

いろんな生地を使ってかわいいマスクを作ろうとか、そんなことを言っていられるのは、まだ全てに余裕があるからだ。余裕があれば「人(ひと)は他人(ひと)に」優しくできる。でもいつまでも余裕がある人ばかりじゃなくなる「可能性が高い」のだ。いつまでも「善人だけが感染するわけじゃない」のだ。

 自衛は大切。でもそれ以上に「人であること」を見失わないようにしたい。

今、例えば自分の県や市で感染した人や死者が居ないところであっても、それがいつまでも続く保証はない。グラフを見る限り「回復者」と「感染者」の伸びは、まだまだ後者の方が急勾配なのだ。

 平和はまだ先。それをたぐり寄せるのは、みんなの力だと思う。

みんなでがんばろうぜ!

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