イヴの時間
アニメづいてる今日この頃。サカサマのパテマがそこそこ面白かったので、同じ監督で何か無いかと物色。短編×6話の本作が見つかった。
※それらがまとめられた劇場版もあるらしい
あらすじは、
ロボットが実用化されて久しく、アンドロイドが実用化されて間も無い近未来。たまたま主人公が家のアンドロイドの行動ログを確認したところ、「イヴの時間に行った」みたいな、家主があずかり知らぬ行動があった。友人と二人、調べてそこ(喫茶店)を訪れると、店内入り口には、
ここではロボットと人間を区別した行動や発言をしないで下さいね!
みたいな看板が。
この作品では、アイザック・アシモフの「ロボット三原則」、、
※ウィキペより転載
・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
・第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
・第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
これを徹底して貫いている。面白いのは、この三つに「含まれないこと」。つまり、
ロボットはウソをついてもよい
ロボットは第二条に反しなければ、自由に行動してもよい
もっと言うと、
ロボットだからと言って人間の感情を理解しようとしてはならないわけじゃない
ロボットだからと言って人間そのものを理解しようとしてはならないわけじゃない
まぁ重箱の隅をつつくようなツッコミではあるけど、なかなかそれが上手い具合に作品に厚みを持たせていて、見ていて、
面白い視点だなぁ、と。
「イヴの時間」とは、前述の通り「喫茶店の名前」で、そこに特に深い意味は、、、たぶん無い。アダムとイブのイヴであり、ロボットが感情を持つこと、人間的に振る舞うことの「黎明」を意味しているとは思うけど、世界はまだアンドロイドが実用化されて間も無いので、不穏分子と思しきファクターは、国や権力者から排除される。
あくまでグレーゾーンのお店なのだ。
本来アンドロイドには、頭に「幽霊が頭上に付けてるような輪っか」が表示されていて、パッと見でそれだと判断出来るのだけど、この喫茶店の中だけは、その表示が成されず、まさに「人間と区別が付かないアンドロイド」たちが、談笑したり、コーヒーを飲んだりしている。
まぁアンドロイドがコーヒーを普通に飲むのかとか、ロボット→アンドロイドの進化的ギャップが、わずか十数年(<作品の中で描かれる)で埋められるものなのかとは思うけど、
テンポを良くするため、わかりやすく意図を伝えるため、監督の優先順位からはふるい落とされたってことなのだろう。
ともあれ、喫茶店の中ではいかにも普通の女の子なのに、実生活では「ワタシ ハ ロボット デス」みたいな感じでしゃべるのは、正直違和感がある。「あえてロボットのようなしゃべり方をしている」こともそうだし、流ちょうに人間のように話が出来るレベルの技術がどこでどう実装されたのかとも思う。
まぁそれも「取るに足らないこと」なのだろうけど。
それより重要だと判断され、物語の骨子にもなっているのが、
人間がアンドロイドに「本物の人間に求めるような感情」を抱き、依存する問題
そりゃそうだ。見た目が本物の人間にしか見えず、人間の命令を従順に聞くとなれば、ダッチワイフやキャバクラどころの騒ぎじゃない。社会生活がまともに送れなくなる人が出てきてもおかしくないし、それに伴って犯罪も起きるだろう。
※裕福な家庭や、実験的に使用している家庭だけではないみたいだけど
1話が20分とか15分とかなので、6話でもかなり短い。だから、ひとつひとつの話はとてもシェイプされていて、
見ている側が想像したり、深読みしたりする余地を残している。
そこがたぶんこの作品の一番面白いところなんだと思った。
※あくまで僕が思っただけかもだけど
果たして自分は、アンドロイドに依存せずに暮らしていけるのか
どんな命令(エッチなものではなく、権限や感情の制御に関して)をするだろうか
社会の流れが「アンドロイドはアンドロイド」と割り切り、その案内役として「姉」が、弟が自宅のアンドロイド「サミィ」に傾注しかけていることに「ウザい」とか「キモい」と言った嫌悪を露わにする。
それでも、学校まで傘を届けに来てくれたアンドロイドに、「お前は濡れて帰れ」という命令をするのは、さすがに何か違う気がする。
相合い傘で一緒に帰るのが正解だとは言わないけど、
少なくとも安いものでもないだろうし、「AIBO」だって雨の中外で使ったりはしなかったと思う。
実際のペットのようにAIBOに愛情を注いだ人が、果たして本当に居たかどうかはわからないけど、「居ても別に構わない」と思うし、「本人の問題」、相手がアンドロイドなら「本人同士の問題」だと思う。
そこで社会的に何か不都合があるのか、みたいな。
依存し、社会生活が送れなくなった実例は、劇中で描かれたりはしない。たぶんきっとあるのだろうけど、「必要以上にロボットたちを悪役にしない」方向へ誘導されているきらいがある。
でもだからこそ、自分の想像力で「もし自宅にサミィが居たら」ってことを考えてしまうし、それがちょっと楽しいと思う。
劇中、サミィは主人公がイヴの時間に来た時は、サッと隠れて姿を見せないようにする。ご主人様(正確にはご主人様の長男)が、嫌な気持ちになるだろうから、と
ロボットなりに想像して、姿を隠す。
・・・なんと人間的な行為か。
もし自分ちに彼女が居たとしたら、普通に人間として接して、一緒に遊んだり話をしたり、「イヴの時間」を訪れたりしたかも知れない。いや、
そこ(イヴの時間)に行かなくても、別に人間として接しようと思えば全然出来ると思った。見た目の問題ももちろんあるだろうけど、見た目が「立方体と直方体の塊のようなロボット」であっても、「機敏」を理解し、行動してくれるのなら、
それは人間と大差ない。むしろ、とてもモラルが高い分、ネット掲示板の有象無象なんかより遙かに「本当の人間っぽい」と僕は思ったわ。
クリス評価は★★★かな。強く面白さを感じたわけじゃないし、納得しかねるところも無くはないけど、さすがはサカサマのパテマの監督、視点が面白い佳作だったよ。
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