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2020年8月15日 (土)

青春に終わりはあるのか

「青春」を辞書で引くと、

 青春:年の若い時代。人生の春にたとえられる時期。「―時代」「―の思い出」

と出てきた。青春とは若さであると。では、若さとは何か。若さとは、「わかいこと、また、その程度」と。ん?イマイチよくわからない。「その程度」とはどの程度なのか。

僕はもうハゲも進行してるし、歯槽膿漏に悩まされているし、腹も出てるし、肉体的な老化は着実かつ確実に進行している。それはもう自他共に認めざるを得ない。世間の50歳相応。人によっては僕より老けてる人も居るかも知れないが、逆もある。普通にオッサン、ともすればジイさんに片足突っ込んでる年齢だ。

しかし、その内面はまだまだ若いと自覚している。と言うか、若さとは、本人がそう思えばそれで十分若いと思う。80歳だろうと100歳だろうと、本人がまだ若いと思えばそこに若さは存在する。ジュースが好きで、肉が好きで、若い女性に惹かれたり、今時の音楽に共感したり、、。心と体は全く別物だ。断言するのにいささか躊躇いもあったが、改めて自問自答してなお、

 心と体の成熟度合いは、必ずしも一致しない。

もちろん中には年齢相応の人も居るだろう。子供がいて孫がいて、仕事場で立場が上になり、部下が増え、責任の重さが増していき、しがらみや信頼や、覚悟や思い込みで、年輪はどんどん刻まれ、顔のしわも増えていく。

しかし、環境は必ずしも成長を促す場ばかりではない。ニートでずっと部屋に引きこもって10年20年と過ごしていれば、精神の変化は大きく鈍化し、死への覚悟もなく、親との離別も出来ないままかも知れない。僕はニートではないが、自覚として世間一般の親、そして子供という認識で50歳を迎えた感覚は全く無い。

最近長男とコミュニケを取ることがあったのだけど、彼が言うには「僕と親と子、父と子の会話がしたい」のだそうだ。

僕はこの言葉にまだ返答していないのだけど、それはつまり、僕が僕の父親、既に死別して5年くらい経つが、特に嫌ってもいなかった、むしろ尊敬していた父親に、何か伝えたかったことや訊きたかったことがあったわけではない。子供の頃から「親の責任は高校を卒業するまで」と教育されていたし、例えばマンガ、例えばゲームに傾注した僕の趣味は、親父がプライベートの半生を注いだギャンブルとは別の娯楽だ。趣味のシンクロが高ければ多少なりコミュニケの濃度も上がったのかも知れないが、別段特にそれを望まれた記憶もなく、望んだ記憶もない。まぁ既にその真意を確かめることは出来ないから、案外「一緒に麻雀したかった」と思っていた可能性もなくはないけど。

でももし本当にそう思われていたとしても、今の僕はそれを後悔したりしない。僕は僕であり、父は父であり、二人は親子であると同時に二人の人間。二人の人間は二つの人生を送っていたわけで、そのレールは近づくこともあれば遠のくこともある。同じ親から同じ時代に生まれたとしても、同じクラスで同じ人を好きになり同じ人と結婚することは出来ないし、同じ子供を授かるわけでもない。

僕は子供の頃から僕であり、中学も高校も、働き始めてからも、結婚して子供が出来て、そして子供が家を離れても、ずっと僕は僕のままだ。人生観を変えるようなセンセーショナルな出来事もなく、人生に失望、落胆したこともない。よく人は一度や二度は自殺をしたくなるみたいな話を目耳にするが、僕自身はそんな経験は一度も無い。24時間常に楽しく生き続けられているわけではさすがにないけど、少なくとも前を向いて生きていきたいと言う想いは強く持っているつもりだし、実際ある程度は実現出来ていると思っている。

 「前を向く」とはどういうことなのか。

前を向くとは、「時間をプラスに使う」ということだ。後悔したり、沈んだり、憤ったりわめき散らしたり、、、心を闇に染めるような気持ちにはならないようにする。と言うか、意識せずにそう思わない。その瞬間瞬間に、常に、なるべく丁寧に、プラスのチョイスをする。

 「こうした方がいいだろうな」と思えることを、

 (自分の裁量で何とかなる範囲においては)選ぶようにしている。

でも時にはどうしようもないことももちろんある。自分の裁量でどうにもならないことが。コロナに感染するとか、大雨で自分の店に浸水するとか、地震で枕元の本棚が倒れてきて下敷きになるとか、虫歯が悪化して手術する、、、これは自己管理のせいか。

でも、もしそんな「負の場面」に出遭うことがあっても、やはり常にその中で自分を見失わず、少しでもプラスをふくらませるように、「光を探し続けて」いたいと思う。自分に出来ること、自分の裁量でカバー出来る気持ちの明暗は、必ずあると思う。

ここから本題。

最近ふと思う。

 去年の同窓会は楽しかったな、と。

コロナや豪雨は、僕が生まれてから経験したことがない大災害だ。歴史の教科書に載るレベルだと思うし、マイナスの影響を受けた人も凄く多い。そんな状況では、当然同窓会などという「三密の塊」みたいなイベントは自粛することになる。

 去年と今年、1年しか違わない。

たかが1年で、全然世界が変わってしまった。下手したら今後ずっと何十年も今のように三密を避け、イベントを自粛し続けなければならない年が続いていくかも知れない。

 僕らが、「最後の同窓会」だったのかも知れない。

・・・あの体育館にみんな集まって準備した前日。ちょっと暑くて、セミはまだ鳴いてなかったかな。Tシャツに書かれた「スタッフではありません」の文字をみんなに笑って貰って、各担当がしっかり自分の仕事をして、たくさんの同い年、同じ時間を過ごした連中が手伝いに来てくれて、みんなは知らなかったかも知れないけど、僕らの年の同窓会の準備は、前年よりずっとスムーズで、業者も驚くほどだったんだぜ?

 かけがえのない時間は、49歳でもやってくる。

10歳も20歳も年上の先輩方も、たくさんの笑顔を見せてくれた。さらに1年前、役員会でみんなに「少しでも多くの笑顔を作ります」と力説した委員長就任の挨拶。運営に携わった仲間たち。随分長く自分の時間を割いてくれた。毎月のように集まって、食べ物や飲み物、アトラクションの準備、案内状やお金の管理、僕ひとりでは絶対出来なかった。

 最悪誰も付いてきてくれなくても、自分ひとりで何とか出来ないか

そんなことを考えていたこともあったけど、実際は全然杞憂に終わってくれたし、もしひとりだった絶対出来なかった。

・・・

そう言えば僕らが高校時代には、「ファイヤーフェスティバル」という体育大会のあと、文化祭や応援合戦で使ったいろんなものを、キャンプファイヤーのように燃やしながらダンスをしたり歌を歌うイベントがあった。

 僕の記憶が確かなら、その「FF」は、卒業後3年で終わりを告げた。

付近の住民に迷惑が掛かるとか、井桁の材料になる枕木が無くなったとか、一言で言えば時代の流れだったと思う。僕は小学校の時にFFの話をOBの親戚に聞いて、「絶対この高校に入る!」と発憤し、目指し、合格した。だからこそ3年間ずっとFF委員だったし、3年では文化祭の実行委員長もやった。

 そう言うのが元々大好きなヤツなのだ。

でもたかが3年のズレで、その存在も消えてしまっていたのだ。FFは「ファイナルフェスティバル」という名前に変わり、「ファイヤー」は無くなり、参加人数も減っていったと聞く。

 ほんのちょっとのタイミングのズレ。

みんなと肩を組んで校歌を熱唱した高校時代のファイヤーフェスティバル。時を超え、同窓会のステージにみんなで上がって歌った。

 青春って、こういう事を言うんだろうな。

笑って、盛り上がって、強いプラスの思い出として刻まれる。消費されない、色あせない思い出。自分から手を伸ばしたから触れることが出来た思い出。

 ずっとそうして生きてきたから、僕らのFFは1998年で、僕らの同窓会は2019年だったのだと思う。

 30年間、ずっと僕は「青春に前向き」だったと思う。

いや、僕らの年の連中の多くがそうだったのかも知れないし、もっと言えば今年同窓会をやるはずだった1年下の後輩だってそうだったかも知れない。

 ただ僕らが運が良かっただけだったのかも知れない。

でも僕は知っているのだ。

「運」は、決して自分でどうにもならないことじゃないって。

そのときの風を読み、自分で引き寄せることが出来る。上がったり下がったりはもちろんあるけど、一番大事な時に、手を伸ばして掴めること。

 ギャンブルの好きだった親父に、僕が学んだこと。

 コロナの今も、これからも、ずっと心がけていきたいと思っていること。

オレの青春に終わりはない。

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