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2020年8月13日 (木)

魔王学院の不適合者はなかなかに黄金律だ

面白い。が、その面白さはどれも既視感を伴っている気がする。

ヒロイン二人はアスカとレイに酷似していて、刷り込まれた僕らのDNAに訴求する。その上で、例えば妄想、例えば同人でしか為し得なかった「主人公との接点」を実現してくれる。キスしたり告白したりハグしたり、、、。こうして欲しかったことを見せてくれる。

テンポが良く、女子だけでなく男子も魅力的。そしてこれも既視感を伴うと思ったら、、、

 ダーク・シュナイダーとカル・スだった。

あの炎と氷の二人の魔神が、そのままの主従関係、ともすれば言葉遣いさえも当時のイメージで復元。今は当時以上に枷らしい枷も不要なので、ルーシェ・レンレンは出てこない。ただただ強く、かっこいいだけ。

 面倒がなくて良い、と思ってしまう自分が居る。

名前がかなり短いのもいい。何かにつけてラノベのキャラはクソ長い名前を付けがち。オリジナリティを出す為という詭弁で、文字数を稼ぐだけの「美しく無さ」がにじみ出る。まぁアノスの名字?の「ヴォルデゴート」に、

 ハリポタの「ヴォルデモート」をイメージさせる辺りも、結構策士だなぁとも思うけど。

過去の有名どころから美味しい部分だけを次から次へと抽出。ハーレムのような環境から、「スゲェ強そうな体」で現れるライバルたちをサクッと倒して行く爽快感。マイナスの溜めは一瞬で消失させ、常に視聴者を「気持ちよくさせ続ける」、

 良い意味での媚び。

さらに前回なんて、普通は最後「次週へ気になる布石」を打って終わるのが常道であるのに、

 見事なまでに気持ちいい区切りで終了。

こんなんじゃ、来週見たいと思わない、、、

 何てことは全く無いのだ。今の世の中は!

気持ちよく楽しい時間であれば、次週ももちろん楽しみに出来る。話を続けるだけがマグネットでは無いし、「気を持たせる」のが必ずしもプラスじゃない。今は次から次へといろんな楽しいコンテンツがある。その中の一つにそこまで強く固執しないし、こだわりも持たれない。つまり、

 魔王学院の不適合者は、ヱヴァにはなれないし、なろうともしてない。

歴史に名を残す凄い作品じゃない。ここから何か新しい風が吹くわけでもないし、監督が今後もカリスマ的に支持されたりもしないだろう。シルバーリンクはアニメ制作会社として必要十分な仕事をすると思うけど、それは「仕事として黒字になること」がキッチリ維持されているからとも言える。

ヱヴァのように「どうでもいいカットに精細極まりない時間を割いて命を吹き込んだりはしない」のだ。

だからきっと、放送は12話とかで終わってしまうだろうし、終わってしまえば、きっと半年も経たずにこの作品のことは忘れてしまうと思う。あれだけ好きだった「悪役のヒロイン」の話のように、タイトルも思い出せず、主人公の名前も何もかもを忘れてしまう。

 ・・・それでもいいんだろうけど、どこか寂しい気持ちにもなる。

昔遊んで凄く面白かったゲームとか、結構今でも覚えてたりする。マンガも然り。凄く面白かったマンガ、アニメ、映画は、今でも結構強く記憶に残ってたりする。実際バスタード!!を忘れることはたぶん無いと思うし、ヱヴァもハリポタも残り続ける。

 でも、魔王学院の不適合者は、これだけ面白いと感じていても、きっとすぐ消え去ってしまう気がする。

それは僕が年齢に伴って記憶力が劣化してることもあるだろうけど、でもたぶんそれだけじゃないような気もする。作品の中に、「未来まで繋がる何か」が無い気がする。面白いけど、「凄さ」がないと言うか、

 グレンラガンに有って、キルラキルに無いというか。

毎回見るのが凄く楽しみ。来週も楽しみ。毎回裏切られないし、きっちり終わってくれるのも精神衛生上大変よろしい。きっとDVDやブルーレイも売れるだろうし、たぶんもう1、2回は再生すると思う。

でも、どこか物足りない。

「黄金律」であるとは思う一方で、本当に歴史に名を残す作品は「黄金律であってはならない」のかも知れないと思う。どこか突出した歪さがあって、それがどこかの誰かの心に突き刺さる。作者のエゴ、監督の個性が、「商売を抜きにしたオーラ」を放つ、、、

 魔王学院、、は、どこまで行っても「商品」なんだろうな。

だから、美味しく食べて、ゴミ箱にポイ。包み紙を大事に取っておくこともしないし、10年後、20年後に、「あのお菓子が美味しかった。また食べたい」と書き込まれたりもしない。

それを寂しいと思うか、そう言う作品もあっていいと思うか。

まぁとりあえず面白いことは良いことなので、まだ見てない人にはオススメ。ネットフリックスにもありますゆえ。ホント、★★★くらい面白いですよ。

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短いので一言だけ書き足す。

こういう「異世界の最強主人公物」はホントたくさんある。てかむしろそうじゃない異世界物のが少ないんじゃないかと錯覚するほど。でも、

 そのどれもがそれなりに面白いのは、つまりはそれが王道でありステロタイプでありワンパターンであり「みんなが求めてる」証拠。

レベッカでもボウイでもプリプリでも浜田省吾でもB’zでもサザンでもユーミンでも中島みゆきでも、、、

 ずっと同じような音楽を作り続けていればファンは付いていく。

変わったことをしたからレベッカやボウイは消えてしまった気がする。まぁメンバー間のいざこざとかはあったかもだけど。

今はブームだから、のべつまくなし次から次へと同じような作品が量産されていると思われがちだけど、僕が思うに、

 それこそが黄金律なのだぞ、と。

音楽でもそう。少し長男と話をしたけど、生理的にそそられるメロディライン、日本人の歴史に根付いた「気持ちいいメロディ」はきっとあって、それに近いものについつい惹かれがちになる。良くある「パクリ」とか、

 そりゃそうだみんなが好きなのがそのメロディなんだもの

って思うのだ。韓国映画のラブストーリーとか、スポ根の展開、ジャンプの努力友情勝利なんて黄金律の極みみたいなもんだ。

 それが全てでは面白く無いのかも知れないけど、永遠に量産され続けるのはやはり黄金律に則した物語であり音楽なんじゃなかろうか、と。

ただ、黄金律は時代によって少しずつ移り変わるものではある。アタックナンバー1の頃みたいな「主人公が虐げられ涙を流す」のは、今のトレンドとはかけ離れている。僕はツンデレが今でも大好きだけど、今は正直メインストリームとは言い難いだろう。

自分も時代に合わせて変わっていかないと、話をずっと楽しみ続けてはいけないかも知れない。

まぁ本当の黄金律の物語は、ちょっとやそっと時代が変わったところで、

 しっかりとハートに刺さってくれるんだけどな。

例えば「ローマの休日」とか。マジでスゲェと思ったから。モノクロなのに、「これほどエンターテイメント」だったのか、って。オードリーのかわいさは、時代を超越してるな、ってね。

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