永遠に幸せとは
不死身であることが不幸せなのは、周りがみんな死んで孤独になるから。でももし願いがひとつ叶うとして、「永遠に幸せで居続ける」を願ったら、果たしてどうなるのか。
もしも願い事がひとつだけ叶うとしたら、「笑顔で老衰」と思ってた。でもここに来て唐突に対抗馬が出現。
「永遠に幸せで居続ける」
もちろんあり得ない。人間に限らず、クマムシ以外永遠に生きられる生き物はたぶん居ない。いつかは寿命が来る。でも、
永遠の命が欲しいわけじゃない。
永遠の命があっても、「ランプの中に閉じ込められては」意味がない。永遠に生き続けることが重要なのではなく、「より長く幸せであり続けること」が肝要。そして、「より長く」の究極が「永遠」なんじゃないかと。
あくまで空想上のお話。ファンタジーのお話。でも人は「もし1億円貰ったら」とか「もし願い事を3つ叶えて貰えるなら」と言う話が大好きなのだ。てか僕は大好きなのだ。だから、そんな現実にはあり得ない話も考えてしまう。てか「笑顔で老衰」は、可能性としてゼロではない一方で、「永遠に幸せ」は可能性がゼロ。それを比較するのはどうかとも思うが、この際それは棚の奥に閉まっておこう。
・・・
もし永遠に幸せであり続けられるとしたら、それはどういう状況か。一つには、、、
「自分を含め自分を取り巻く人達全員が歳を取らず、関係性を維持したまま、時だけが流れ続ける」
それなら自分だけ生き残って周りが死んでしまうこともない。でももちろんそれにはいくつもの「穴」がある。
周りの人間が生き残ると言っても、その範囲はいかほどか。家族、仕事をしてる同僚、お客さん、親戚、友人全部、さらにその友人の家族や、テレビに映る芸能人。歳を取らないなら、当然若いまま子供を産め続けてしまうし、仕事をし続けられると言う事は、今学生でもずっと学生なのか、卒業して就職しようにも就職先がない。そもそも生まれた直後の赤ちゃんもずっと赤ちゃんのままなんてことになりかねない。
歳を取らないことが生み出す不幸は、相当なものがある。
不老不死であることは、「幸せになり得ない」。
では、普通に老いて死んでしまうとしても幸せであり続けられるとはどうか。
自分が自分であったこと、クリスがクリスであることを失ってしまって生まれ変わってもずっと幸せで、何度も何度も輪廻を繰り返していく。
確かに永遠であり、幸せであるけど、それは果たして「僕の」願いなのか。僕の願いが叶えられるのに、別の人の人生として幸せを享受し続けると言うのは、どこか「願い違い」な気がする。
では、輪廻転生しても自分がクリスであると自覚する場合はどうか。自分が自分であると認識し、幸せを享受し続けられるとしたら、、、
って一度死んで周囲の人間がみんな別の人にリセットされても幸せで居続けられるほど、僕のハートが強いとも思えない。まぁそこそこは強い方だとは思うけど。
ってことは、つまりは、
普通の考え方、思考回路のままでは、どんな状況であっても「永遠に幸せ」だと感じ続けることは出来ない
と言うことになってしまうのかも。つまり、
永遠の幸せを得るには、人格や思考が破綻し、「病む」必要がある?
果たしてそれが幸せなのかとも思う。でも「本人が幸せと感じ続ける」なら、それは幸せなのかも知れない。
マンガ「火の鳥」において、我王は永遠の命を得ると言う「罪」を負う。人々が死に絶え、星が爆発しても、意識は宇宙をさまよい、また新たな星の誕生、そして人生を生き続けるという、「終わりのない罪」を負う。つまり、
永遠の命に一切の幸せはない。
これを読んだ時はなかなかにインパクトがあり、「今を大切に生きることの意味」、「時間を大切にする意味」を考えたもんだけど、
これはあくまでファンタジーの想像。
「幸せ」な「永遠」がもし可能だったとしたら、それはどういうものなのか、を考える回である。毎回「そんな回」を意識したことはないが。
もし自分が999のように「機械の体」になって、さらに思考回路や価値観も切り替わり、永遠に生きていることを楽しめるようになったら。周りのみんなが死別しても痛みや苦しみ、寂しさを感じなくなって、達観し、それでも日々をエンジョイ出来るとしたら、、、
幸せなのかも知れない?
「WALL・E」で宇宙をさまよう巨大な宇宙船の中で、人々は世代交代を繰り返し、それなりの幸せを満喫しつつ一生を終えていた。個々の人生は永遠ではないけど、種としては自給自足を永遠のものとして成立させ、イレギュラーな人間でなければ、それを幸せと受け入れていた。
もし自分が、それを「見続ける立場」になったとしたら、みんなの幸せを永遠に維持することに「生き甲斐」を感じ続けられるとしたら、それは永遠の幸せになりうるのかも?
自らは機械の体で、特に特定の人間と接触したり意思疎通をしたりするわけでもない。もちろんハグも出来ない。でも、永遠の幸せの究極のゴールには、
「心の幸せしかない」気がする。
肉体の幸せは、最初に挙げたように関連する人達みんなと共にあり続けなければ満たされない。でもそれは不可能。関連する人達を全て失ってしまっても、次から次へと移り変わる「周囲」へ、無償の愛を注ぎ続け、それを実感し続けられるような価値観、精神状態へ昇華していけるなら、
永遠の幸せはありうるかも知れない。
「個ではなく全」を愛する心に作り替えて貰う。もちろんそれを望んだわけじゃないだろうけど、「永遠の幸せ」を望むとは、つまりはそう言う「犠牲」が払われる覚悟がなければ為し得ない、って事なのかも知れないな。
ま、「永遠の幸せ」は、つまりは「身近な幸せ」「即物的な幸せ」「性的な幸せ」とかとは全く別物で、あくまで空想上の産物であり、どのみち不可能なことだから、
考えてもしょうがないっちゃしょうがないのだけどな。
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コメント
『不老不死が幸せになり得ない』かどうかは、ちょっとアイデアがある。
相手が死ぬまで(あるいは縁が切れるまで)、やり残したことがないように全うする。十分に語り合っておくとか。
それと並行して、新しい環境に飛び込んで、ゼロから人間関係を組み立てる。
家族・親戚や学生時代の友人がどんどん死んでいくとしても、彼らと過ごす人生を後悔のないようにやり切って、新しい人間関係に未来を見出せばいい。
(※自分が活発な若者として不老不死なのか、寿命が近そうなおじいさんとして不老不死なのかは定まってないけど、どちらにしても健康で元気な生活ができるなら人間関係の構築ができる)
ていうか今の僕の人生観なのだけど…
未来の自分が幸せでいるために、過去の人間関係が足枷になるなら、それにこだわらないで生きていく。
自分がどんどん新しい環境に飛び込んでいく中で、今までの友達と価値観がズレていって、友人Aが僕に『君はどうかしてる。昔の君はどこへいってしまったんだ?戻ってきてよ』と言ってきたとしても、Aとの関係を続けるために自分の本音を隠すより、絶交される覚悟でぶつかり合う。
その結果、
①Aが僕の価値観に共感して感動してくれたなら、今までよりも深い繋がりで幸せな関係が築ける。
②Aが僕の価値観を受け止めきれなくて諦められたとしたら、僕の中でAは死んだも同然で、Aとの人生を全うしたと言える。
僕にはAよりも大切な未来の友人Bがいると信じて、まだ見ぬいろんな人と話に行く。見つかるまで諦めないし、見つけるまで探すから絶対見つけられる。自分の幸せのために。
そりゃできれば、Aが過去にこだわらず未来に希望をもってくれる方が僕も嬉しいけど、Aがどう思うかは僕にどうにかできる問題じゃないから、そこに悩んでもしょうがない。
しかしそういう経験を積む中で、結果がなるべく②ではなく①になるような話し方・伝え方ができるように成長していきたいとは思ってる。
僕は僕の将来を幸せにするために、歩みを止めて今までの友達と付き合うよりも、先へ進んで価値観が合う友達を見つけて、より良い時間を過ごすことを選ぶ。
未来の幸せを求めて、勇気を出して新しいものにチャレンジし続けるマインドをもって行動すれば、自分だけが不老不死でも、幸せでいれるんじゃないの!
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『もし自分が999のように「機械の体」になって……』の方
僕はいろいろあって、思考回路や価値観がまるっきり切り替わってる感じがするな。
周りのみんなが死別したときに、つらいどころかむしろ『やり切ったぞ~!!』って幸せになるために、今もうアプローチを始めてる。
自ら "周囲" を変えていくことを恐れずに、過ぎ去っていくものひとつひとつにしっかりとピリオドを打てるように努力する。
縁が終わることを "失くした" と考えるのではなく、ストーリーをしっかり "完成" させることができた、と解釈する。
ストーリーを完成させるために、全力で中身を濃くしていく。
僕は、もしかしたら不老不死になっても幸せで居続けられるかも?
幸せを求めて生きることが幸せで、その場に留まることが不幸だから。
けど人類滅亡して自分だけ生きていくのはムリだ!
投稿: 長男 | 2020年8月12日 (水) 02時39分