面倒くさいと感じる度合い
それはひとそれぞれ違う。毎日1回冷蔵庫にある薬を飲むのと、毎食後にパソコンの前にある薬を飲むのとでも違うし、コンビニでジュースを買うのと、スーパーで買うのも違う。通り道にあるコンビニであっても、「入りやすくて出にくい」店で買うのは抵抗がある。ただ、買い物において間違いなく断言出来るのは、
店員がクソな店では買いたくなくなる
と言う事。
「面倒だけど出来る」ことと「面倒じゃなくても絶対的にしたくないこと」の間には、大きな隔たりがある。「生理的にムリ」は後者寄り。「仕事」は、、、まぁ仕事内容に寄るか。ともかく、「面倒」と「絶対嫌」は別の話。
また、ネットで買うのとも微妙に違う。amazonの気楽さはその点が際だって良い。個人店とリンクして買う場合もあるから、「amazon経由なら何でも」というわけではないけど、スムーズでハイレスポンス、履歴を辿ったり、比較的容易に返品出来たりするのは、「良質な対応」という点では間違いなくクソではない。でも、amazonは特に僕好みの物を僕のために取り置きしてくれたりはしないし、気楽に他愛ない話をしながら買う事も出来ない。
「来店する」と言う「行為」は、店員や店舗、商品の内容次第で「娯楽にも苦行にもなり得る」。全てが煩わしいのであれば、食品以外全てネット販売になってしまうかも知れないのに、やっぱりキッチリ肌触りやサイズを確認して買いたいものもあるし、安心と信頼の蓄積は、ネットであるかないか以上に重要なことなのだ。
店員が最高であれば、同じ物でネットより高額であっても、その店で買いたいと思うかも知れない。そこに加わる付加価値にお金を出すのだ。
ま、その上で安いのが一番だけど。
・・・
ゲームを買うために早朝開店前から並ぶことは「面倒か否か」で言えば、たぶん違うと思う。転売目的で並ぶ人は別として、純粋にそのゲームなりゲーム機なりが欲しくて並ぶ場合は、その時間を「娯楽の欠片」として楽しんでいる場合が多い。ただ手に入れるだけなら、予約して買える店は多い。もっとも「予約をし損ねてしぶしぶ並んでいる」というケースも少なく無いけど。
並んで買う人を見て「そんな面倒なことしたくない」と思うのは、全然的外れなコメントだと思う。適切なのは、
「そんなに楽しみだったのかねぇ」と言う楽しさを理解出来ない感想か、「予約し損ねちゃったのかな?」と言う甘さへの指摘。「並んでまで買いたいものなんてないわ」と言う、ある種寂しさを伴った感想もあるかも知れない。
例えば僕が特に面倒だと感じることは、
風呂。散髪。ひげ剃り
つまり、身だしなみを整える行為全般に面倒さを感じる。理由は簡単「やらなくてもすぐさま結果に跳ね返ってこない」から。逆に、車に給油する、なんかは、「やらないとすぐ困る」ので面倒とは思わない。インフルエンザで病院に行くのも面倒じゃない。でもそこまで痛くない状態で歯医者に行くのは面倒。
切羽詰まっているかどうか
が、僕の中の面倒のトリガーといえるかも知れない。ストックのジュースが切れたら困る。多少残っているウチに買いに行くのは、そこまで切羽詰まってないようで居て「確実に切羽詰まるのが目に見えている」ので、存外面倒には入らない。免許の書き換えも同様。
やらないと絶対困ることは、さっさと済ませたいのだ。これは面倒なのとは違う。
あんま関係無い話かもだけど、僕は基本嫌いな物から食べる。まぁ食べずに済むなら食べないという選択をするけど、どうしても食べなきゃいけない場合は、まずそれを食べてから他の物に手を付けたりする。
彼女が出来る前の男性であれば、絶対やらないようなことも、今の僕はしてしまう。
最近だと、「グリンピース入りのカレー」。先にグリンピースだけ拾って食べる。かみさんに「入れるな」と言うと余計たくさん入れるような人なので、それは言わない。てか以前言っても聞いてくれなかったわけだし。で、なぜそうするかと言えば、
グリンピースは別に食べられる。春日井のグリンピースとか、自分では買わないけど、もし貰えるならたぶん躊躇いなく貰う。でも、カレーに入ってカレーの美味さをジャマするのは許せない。オマエにその権利はないはずだ!と思う。
美味しい物を不味くする食材は、最初に片付けてしまうに限る。昨夜のチャーハンに添えられたアジフライもそう。
僕はアジフライが大嫌いなのだ。
と言うか、
美味しいアジフライをほとんど食べたことがないのだ。
小骨が大嫌いだし、生臭いのが嫌いだし、赤身が嫌いだし、シッポとか絶対食べないけど絶対付いてるし、タルタルソースが好きだけど我が家には存在しないし、
でも食べられる。食べないともったいないし。
なので、最初にアジフライだけ全部食べてから他のものを食べる。てか、煮魚とかもほぼそう。よく「酒の肴」とか「ご飯が進む」みたいな表現がされたりもする煮魚だけど、もし骨があったら「スゲェ困る」と思う。白飯と一緒に食べたら、その骨を口内で発見するための労力が飛躍的に増大してしまう。
慎重に食べなければいけないような食べ物と食べるのは、「面倒」。
でもきっと多くの日本人は魚が好き。確かに小骨が多い魚や、光り物を苦手という人も少なくはないと思うけど、「小骨が多くなくて光り物でなくても」僕の好きな魚は極めて少ない。つまりは「面倒だから」。
「美味しい物を食べる為の労力は面倒には該当しない」と言う人も絶対居ると思う。それはつまり「ゲームを買うのに並ぶのが面倒に該当しない」のと同義だと思う。
僕はいくら美味しくても、「面倒なものは面倒」だと思ってしまう。
去年買ったデコポンも、剥くのはなかなかに面倒だった。ただ、「ギリギリ美味しさが勝った」のでがんばれたけど。
・・・
結局のトコロ、「面倒かどうか」は、その人の「損得勘定」に大きく依存している。「面倒≒損」。誰かが見てどうかは全く関係無い。その人がどう感じるかだけが、その人の面倒を形成する。立ち上がって1m先にあるリモコンを取るのが面倒だから、「這ってまでして」取ったりする。「立ち上がる<這う方がマシ」の損得勘定が働いた結果だ。
言い換えれば、「この世の中に面倒臭がり屋は居ない」とも言える。他人が見て「この人は面倒臭がりだなぁ」と思う人であっても、その人の好きなこと、興味の対象には、存外他の人が理解出来ない手間暇の掛かる事があるかも知れない。
つまり、僕「も」面倒臭がりではないのだ、長男よ。
・・・蛇足
そう言えば僕は、誰かに「この人面倒臭がりだなぁ」って思ったことが一度も無いことに、今気付いた。それってつまり、
誰よりも自分が面倒臭がりであることの証明!?
いやいやいやいやそんなことは、、、あるかも。
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コメント
魚のくだり
すごい共感しましたw
あとタルタルソース、
自分もすっごいすっごい好きなんですけど
家には無いんですよね、、、
買っても確実に使いきれなくて捨てるのがみえるので買ってと言えない自分w
あと娯楽の欠片っていう表現
すげーなんかハイセンス!
投稿: キリオ | 2020年9月10日 (木) 08時53分
まさかのコメント。ありがとうございます。どもですキリオさん、クリスですまいど。
てか世の中の大人は、「大人であることを維持する努力」をしてますよね。人前では「アジフライ小骨とかシッポとか嫌いだし」とかあんま言わないじゃないですか。「ねぎまのねぎが嫌い」とかあんま言わない。
でも僕は言う。なぜならガキだから。まぁ会社員の経験がほぼ無いので、それで許されてきた(甘やかされてきた)のかも知れませんが。
僕は好き嫌いも結構ありますし、往々にして我を通してしまうところもありますが、そんな僕でもアルテマの掲示板を見てると、
ガキかよ、、、
って思うことが多々あります。何て言うか「わがままなのと、バカなのは違う」というか、「ガキである中にも、理解しつつ我を通すのと、理解出来ないのは違う」というか。僕は自分が、「理解しつつ我を通す」人だと思っています。それが良いか悪いかって話じゃなくて、「理解のない主張は、かっこ悪い」って思うだけなんですけどね。あくまで僕の尺度で、ですが。
「娯楽の欠片」。なんか褒めて貰って嬉しかったんですが、
そんなこといつ書いたっけ?笑
思わず読み返しましたわ<かっこ悪い。
投稿: クリス | 2020年9月11日 (金) 00時20分
クリスさん
キリオさん
皆さん
こんにちは。
魚好きで、骨もしゃぶるほどなので、私自身は気にしないのですが、妻の分は骨抜きしたり、小骨の多い魚は鱧みたいに骨切りしたり、脂の強いところを先に落としたり、色々処理してから調理しています。
ほんの少しの手間というか調理に面倒を押し付けると、食べる時の面倒は無くせるかもです^^)
タルタルソースも、微塵の玉ねぎをマヨに混ぜるだけで、そこそこ雰囲気は出ますよ!
ピクルスの代わりに酢やレモン汁を入れたり、好みに合わせられるので手作りも良いかもです!
あ、こちらも手作り自体が面倒かもですが^^;
投稿: 月ノ丞 | 2020年9月11日 (金) 05時08分
クリスさん、皆さん、おはようございます。
数年前に、千葉のさすけ食堂ってところで四時間半待ってアジフライ食べました(笑)
美味しかったですが、一回でいいな。
投稿: KC | 2020年9月11日 (金) 08時44分
どもです月ノ丞さん、KCさん、クリスですまいど。
>月ノ丞さん
「魚好き」とは、つまりは「魚の味が好き」ってことですよね?好みと言ってしまえばそれまでなのですが、
誰かが僕のために魚の身を取り分けてくれたとしても、その行為に感謝はするけど、味そのものが美味しくなるわけじゃない
って思うわけで、さらに言えば、「美味しいと評価する基準」が、肉、魚、果物、味付け、、、さらに、「甘み」「辛み」「酸味」とかでも違いますよね。一言で「旨み」とくくってもいいのですが、「旨み≒好み」とも言えるわけで。でもって「好み≒経験」とも言えなくもないと思うわけで。
子供の頃とにかく骨が刺さった経験が多ければ、魚の味以上に魚を嫌いになるトラウマが成長しちゃうかな、とか。無理矢理食べさせられた回数や、味付けの方向性の違いで、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな?
うなぎは自分でたまに吉野家の安いヤツを買うくらいは好きですが、うなぎですら当たり外れを感じるんですよね。高いヤツをお年期とかで出してもらっても、出来たてじゃないとスゲェもったいなく感じて凹んだり。まぁわがままと言えばそれまでなんですが、
美味しく食べられるなら美味しく食べたいし、僕より美味しいと感じる人が居るのに、僕がそれを食べる理由は無いんじゃないの?
とかも思ったりします。
余談ですが、僕が生まれてから一番美味しいと感じた魚は、、、
ほっけ
たまたま仕入れの時に付いていった飲み屋で出たものですが、「まるでタラバガニ」みたいな味で、「これはさすがに美味しいなぁ」って思いました。でももちろん、だからと言ってしょっちゅう食べに行ったりはしませんけどね。
>KCさん
4時間半並んで食べる時点で、「相当お腹空いちゃう」ですよね。そもそも行く前に食べてから行くわけもないわけで、
つまりは、最高の調味料を存分に使ったアジフライだった、と。笑
でも、その時間的コスト、交通費などの金銭的コストが、「イベントとしてなら割に合う」けど、「普段遣いとしては割に合わない」って感じるのもよく分かります。
ただ僕は、「高い(金額)食べ物は、好きじゃない」んですよ。そのアジフライはたぶんそんなに高くはなかったんだろうな、って。「高級ではなく高価でもないけど、美味しいから行列が出来る」なら、そこは結構な評価ポイントになり得ますね。
安くて美味しい物を提供しようというスタンスに惹かれるので、イベントとしてそこまで遠出してもいいって気になったのかなって思ったりです。
もっとも、僕はアジフライでは心が動きませんけどね!笑
投稿: クリス | 2020年9月12日 (土) 21時58分