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2020年10月31日 (土)

「いつか」は来るのか

ヤバイ、ブログの更新を落としそう。なぜなら仕事が忙しくてエクスヴィアス消化してたら疲れて寝オチしちゃうので。ちなみにこれは寝オチしたあと起きて書いてる2時16分。


とりあえずネタ帳に書いてあったことをちょっとだけ書いて寝る。明日も忙しいのだ。あ、今日か。

「いつかは来ません」とは、博士ちゃんが言ってた断捨離の話。よく言われるけど1年使わなかったモノはもう使わない、みたいな話。

 少なくとも僕に関しては全くウソ。

なぜならついこないだ死ぬほどプラモ道具を探したばかり。そもそも作ったプラモも10年くらい前に買ったヤツだったりしたし、マンガだってゲームだって昔のモノを余裕で読み返したり遊んだりする。

ただ、全部が全部そうじゃないな、とも思う。

例えばゲームでも、ついこないだ触れたように「もうやれない」「もうやらない」物も少なからずある。確かに今回のタイピングオブザデッドのように、10年近い?以上?のインターバルを超えて掘り起こして遊んだ経緯はあるけど、ぶっちゃけPCエンジンのHuカードを、本体もろとも発掘して遊ぶ可能性は、もう無いと思う。もっとも可能性が高かったオルディネスは、「ミニ」によってより容易に、より美しく遊べるようになったし。

ただ、一方でそれらを「捨てる」というのも、結構面倒で心苦しいことだったりもする。押し入れの奥底で眠っている段ボールには、

 箱、メディア、説明書、、、がそれぞれ別々に保管されている。

単純に遊ぶ時に箱や説明書が不要だったからだけど、遊ばないなら箱は要らないだろ、と考えるのは早計だ。

 時が経って価値が上がる物があるとしたら、それはすべからく「箱説付」であるだろうから。

もっともそんなことを言ってたらいつまでも捨てられないわけで、だったらまず「絶対使わないもの」からチェックして捨てればいい。

・古いルーター
・古いグラボ
・古い電源ユニット
・古いタブレット

これらは、現状繋げる相手も無いし、そもそも壊れたから買い換えているわけで、何で今押し入れの何%かを占拠してるのかも意味がわからない。中には見たことがないタイプのカビに汚染されているものもあったりするし。
※これはガシャやプラモにも言えることだけど。てかこれを確認するのが怖くてむしろ箱を開けられないケースすらあるけど

「いつか」が絶対来ないものと、来る可能性があるものには大きな隔たりがあり、来る可能性があるものは、

 結構来る。僕の場合。

昔のゲームの本やホビージャパンなんかを、10年越し、20年越しに開いたりすると、ホント何とも言えない楽しい気持ちというか、

 ・・・僕は「懐かしい」と言う感覚を人よりも感じにくい人なのだ。

これはどういう事かというと、普段人が暮らしている状況で、子供の頃や、大人になれば学生時代に触れていた、嗜んでいた趣味とか音楽に「触れ続けている人」というはそれほど多く無いと思う。さすがに僕も学生時代に見ていたドラマに触れることは出来ないし、まず無いけど、

 僕はそもそもドラマをほとんど見てなかったし。ビデオとかも撮ってた記憶がない。

僕が撮っていたのはアニメだったり、ザ・ベストテンだったり、たまにゲームのエンディングだったりで、

 その多く、たぶん9割くらいは、今でも見ることが出来たりする世の中になったし、僕はそれを結構な頻度で摂取している。

つまり、子供の頃のアニソンがテレビで流れるような場面で、出演者が「懐かしい!」とテンションを上げるような場面でも、僕にとってそれはつい昨日聴いたばかりの曲だったりする。昨日は大げさにしても、好きなアニソンなら1年以内に大概聴いているし、高頻度で摂取した音楽は、

 色あせず、懐かしくならない。

ゲームも、ここで頻繁に昔を振り返るネタを書く人として、あんま古びなかったりする。もちろん細かな攻略とかは忘れてしまうけど、遊んでるウチに思い出すこともあるし、「忘れたまま」のことは、ホントに忘れてるので、「懐かしくはない」のだ。だって忘れたままだから。

だから、本当に僕が「懐かしい」と思える事というのは、そんなに多く無いし、それが実現するのが、

 昔読んでいたファミコン雑誌やプラモ雑誌だったりする。

「昔を懐かしむ」と言う行為は、ある意味若い頃には不要な事かも知れない。文字通り後ろ向きだし、新たに得る物もたぶん無いだろう。いや、、、

 完全に忘却してしまったものを再度摂取した際に感じる「新鮮さ」は「新たなこと」なのか?

全く結末どころか全てのストーリー、出演者を忘れ去っていて、ただ覚えていたのが「タイトルと面白かったと言う記憶だけ」だった、「天国から来たチャンピオン」や「アリゲーター」は、今見ても十分100%楽しむことが出来た。もちろん経年劣化による古くささは否めないけど、「見たことがないコンテンツ」として、例えば僕がほんの20年ほど前に初めて「ローマの休日」や「隠し砦の三悪人」と言うモノクロ映画を見て「見覚え無い楽しさ」※当然だ見たこと無いのだから を感じたことは、やっぱり「新鮮な楽しさ」だったと思う。

 それが一度見たことがあった、遊んだことがあった、聴いたことがあったもので、一度は好きだったものであるなら、再度摂取して「懐かしい」さらに言えば「懐かしいを通り越してむしろ新鮮」で楽しいことだったりするのは、

 スポイル(断捨離)を全面的に否定するのに十分な魅力があると思う。

・・・

全ての人にそうだとは言わないけど、僕みたいな子供の頃から物欲が強く、その過程で集めた物を捨てずに(≠捨てられずに)取っておいた人には、

 「いつか」は結構来るし、そのいつかは、思ってる以上に楽しいこと

だったりするのだ。むしろ僕は(置いておけるスペースがあるなら、という注釈は付くものの)、「物は捨てない方がいい」と主張したいくらいだぜ。てか、初めて断捨離の話を聞いたとき、

 こんなのに影響されたら吐血モノの後悔するわ。間違いなく

って思った。もちろん捨てなかったのでそう言う後悔は今でもしていない。

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ただいまの時刻2時42分。このネタに費やした時間は26分。早い?遅い?てか我ながら書き始めればそれなりに書けてしまうのだなぁと思った。

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