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2020年11月23日 (月)

珍しくちょっとマジメな話

シリアスなわけでも悲観的なわけでもないのだけど、あまり自分が想定していなかった、想像していなかったことに直面して、「ふむ」と思ったので、その話を少しする。いつも通り無担保で書き始めるので、大して書くことがないかも知れない。

昨日長男が一泊帰郷してきて、まぁこれまでの人生とこれからの人生について切々と語り合って帰って行ったのだけど、そのときに、

 スマホやPCに入ってるゲームを全て消した

と言う話をしていた。スイッチは持ってるけど、起動したのは記憶にないレベルの昔の話と。

また、娘に貸していたスイッチも戻ってきた。「あるゲーム※何かは知らない」を遊びたくて借りたけど、「タイミングを逸した」と言うことで、かみさんが遊びに行った際にそのまま持って帰ってきた。

・・・

最初は、「ああ子供もゲームをしなくなるのだなぁ」と思った。今後一緒にゲームを遊んだりすることは少なくなるのかなぁと。

それに関しては、長男とも話をしたのだけど、

 孫とかが出来れば一緒に遊べるかも知れない

とニワカに夢を語ったりもした。まぁ娘は知らないが長男は相手も無いとのことだったので、実現するかどうかも怪しい夢ではあるし、もっと言えば、

 そうなったら楽しいカモね

程度の夢であり、

 「一生掛けて叶えたい夢」みたいなヘヴィなものではない。

てか、そんなことを言いつつも、長男とかみさんと3人で、ドリームキャストのタイピングオブザデッドに興じたりもしたので、別段ゲームを卒業したと言うわけでもないみたいだけど。
※まぁ仕事を真剣にやる上での覚悟みたいなものらしい。自宅に戻った時に遊ぶのはやぶさかではない

まぁそんな夢の話がしたいわけではなく、僕が想定していなかったのは、

 長男や娘が、僕より大人になると言うこと。

いや、考えてみれば、僕はガチで中二病なわけで、中二病という言い方に語弊があるなら、未だにプラモ、アニメ、ゲーム、マンガ、映画など、サブカルに傾注しまくってるアラフィフセンターなわけなので、

 普通に成長し、ゲームやアニメを卒業し、例えばタバコ、例えばお酒などを嗜む「比較的普通指数の高い大人」になったとしても、なんら不思議はない。

さらに言えば、「僕は死にたくない」という話も、結構違和感を持って迎えられた。

かみさんに関しては、子供に悪影響
※生活を維持するのに適切なサポートが出来なくなるような影響

が無ければ、別段いつ死んでも平気という人だった。特に未来に向けてやりたいことがあるわけでもなく、何というか「未練はない」と。

だがしかし僕は違う。PGアンリーシュドのガンダムを作りたいし、シンウルトラマンやヱヴァの完結編も見たい。FF16もやりたいし、まぁFFBEはさして未練もないけども。

てか、それって「25歳の子供が居る大人の男性」の「長生きしたい理由」として、甚だ情けないというか、稚拙すぎるのではないか。

いや、別段それでも何ら構わないと思って生きてきたし、これを読んでる、比較的僕の価値観に理解を示してくれる人からしてみたら、「それで何が悪いの?」と言うことかも知れない。別段働いてないわけでもないし、家族を蔑ろにしてるつもりもない。公私ともにそれなりに、貧乏ではあるものの、お菓子やジュースが買えないほどでもない。

 まぁアラフィフがお菓子の話をする時点でどうかとも思うけど。

僕は、例えば孫の顔が見たいと言うような「普通の願い」があるわけじゃない。上の方に書いたのは、

 子供がゲームをやらなくなったので、代わりに孫がゲームを一緒に遊んでくれたら嬉しい

と言うものであり、まぁ独りよがりというか、「普通の願いとは違うアプローチ」だ。

もちろん子供(これは僕の子供という意味ではなく、中学生以下の年齢の人間を指す)がそもそも大好きだと言うこともあるし、たとえば車で2分ほどの距離にいる姪や甥と一緒に過ごそうと思えば過ごせないわけでもないと思うのだけど、

 自分の孫であれば、気兼ねせずに合法的に遊べそうな気がする。

例えば鬼滅の刃について「映画も悪かないけど19話よりは劣ると思うんだよ」なんてことを、3歳くらいの孫と激論を交わしたりしたいのだ。

つまり、

 僕は、ホントのホントに、アラフィフの皮を被った中二なのだ。

だから、長男や娘が、世間一般の荒波にもまれ、ある意味自分の内面に変化をもたらし、いわゆる「普通の大人」としての価値観や、生活を手に入れ、普通の大人があまり接点を持たなくなるようなサブカルから距離を置くようになっても、何も不思議はない。

弁解じみた言い方をすれば、例えそうなったとしても、一緒に過ごした時間、見せてきた僕という「父ちゃん」はあまりブレては居なかったと思うし、

 自分が父親より大人になったからと言って、その面で小馬鹿にしたりすることも無いとは思うけど。

ただ、そんな風に追い越されたとき、「子供の自分が、大人の子供に何を言えるのか」とは思った。別に一緒にゲームをしようとは言える。プラモを作ろうとも、言うだけなら言えるだろう。ただ、

 未来に向けて、特に「大人びたこと」は言えないと思った。だって子供だから。

僕が死にたくない理由のひとつには、僕がまだ「死を受け入れられるような大人になれていないから」という面もある。世間の大人は、僕の勝手な思い込みかも知れないけど、大筋において自己犠牲の精神が強く、子供の為になら簡単に死ねる、みたいなことを言う生き物だと思う。

 でも僕は少し違う。

「子供のためなら死ねますか?」

と言う問いに、

「はい」ではなく、

 「ギリギリまで二人とも生き残れる道を探す」

と答える。僕が死ぬことで子供が確実に助かるなら、それをチョイスすることはやぶさかでない。しかし、僕が死んでも子供も死ぬ可能性が高いなら、僕が死ぬチョイスはしない。だったら子供を殺さない可能性をギリギリまで模索するし、

 結果子供だけ死んでしまったとしても、後悔しないレベルの努力をした上でなら、結果は受け入れると思う。
※例えば臓器移植とか

なので、この場合の「僕はまだ子供」というのは、ちょっと意味が違う。「実の子供に対しての親としての大人」という意味ではなく、精神的に、生死の覚悟が出来ていくと言う、「ソーシャルな大人」。「大人のような大人」という意味だ。

 僕の子供たちだけでなく、僕より若い人の大半は、きっと僕より大人になっていく。既に大人なケースも多々あるはずだ。

漠然とは理解していたけど、いざ自分の子供たちがそうなってくると、それはそれで新鮮というか、違和感というか、、、

 まぁちょっと寂しいとも思うけど。

ちなみにその「寂しさ」って、きっと小学校や中学校の先生とかも同じように毎年のように感じたりすることなんだろうな、とか思ったりもした。

 成長というのは、「得ることと同じだけ失っていくこと」でもあると思うし。

そう言う意味では、僕は何も得ず、そして何も失っていないのかも知れないけど。

・・・

今の僕は、年齢不相応に「子供な大人」だと自覚しているけど、「子供の頃の僕」は、逆に、周囲と比べて「大人な子供」だった。特に小学校高学年の頃の僕は、ホントに、何つんだろ、

 周りの連中がみんな幼く見えた。

高校に入るくらいから、周りの「人間性」のレベルが均され、僕は「大人でも子供でもなくなった」のだけど、

 まぁ一生高校生ってわけでもないわけで。

卒業して働き始めて、結婚して子供が出来て、そして子供が家を離れて成長して、、、

 ・・・大人って何なんだろうな。

 親と大人の違いって何なんだろう。よくわからない

 大人になればわかるんだろうか

 大人ってどうすれば大人になれるんだろうか

よく言う「大人になんかなりたくない」って思春期の青年の主張。

 まんまと、大人にならずに来た人がココに居るんですけど?

大人にならないことって、必ずしも良いわけでもないと思う。でも悪いとも思わない。だって僕はそのことについて反省しないもの。そもそも反省するってことは、「こうすれば大人になれたのにしなかったポイント」があるってことだと思うし。

 みんなはいつどうやって大人になった?

※童貞卒業、ロストバージンの話じゃないぞ?笑

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