コロナなのに人がたくさん居るところに行く心理
例えば僕も、家族で元旦にメガドンキに行ってきた。レジこそ足元のマークに沿って間隔を空けて並んだり、全員がマスクを付けていたり、人と人との距離そのものは密接というほどではないかなぁとも思いつつ、全体を俯瞰すると明らかに密集してた。
もちろんコロナ禍でこうした人の多いところに「断固としていかない」って人も居るかとも思うし、事実情報番組を見ると、「例年の8割減」なんて言葉も飛び交っては居る。
でも一方ではPS5を買うために行列を作っていたり、新年の瞬間、境内でカウントダウンをする人がごった返してたりする。まぁ屋台が出てないこともあって滞留時間は極々僅かなのだけど。
自らリスクを冒してまで人の多い場所に出向く理由。
インタビューに答える人は、
・外なら大丈夫かと思って
・ずっとこもりっきりだったので、年始くらいは
・身近に居ないのであんま気にならない
・クラブはさすがにマズいと思ったので蕎麦と居酒屋へ
何か自分とは違う感じがする。自分がこの年末年始に外出した理由は、
・プラモを買いに
・新年の挨拶→かみさんに連れられて初詣×2
・何となくプラモが見たくてメガドンキ※お菓子含む
・仕事始め※1/4
メガドンキ以外は、「必要に迫られて」って感じ。ジョーシンはぶっちゃけ全然混雑してなかったし、「三密感」は無かった。
ではなぜメガドンキに行ったのか。お菓子がどうしても欲しかったわけでも、可能性がゼロのエントリーグレードガンダムが買えると思ったわけでもない。別段鬼滅やマスクが欲しいわけでもない。
・・・何となく ※さっきも書いたけど
コロナに罹らないと信じて疑わなかったわけでもないし、極端にナーバスになっていたわけでもない。レジで並んでる時も、前の人は僕に背を向けていて、間隔もそれなりに空いている。だから安心って思うわけでもなく、ただ漫然と「人が多いなぁ」と思うだけ。その一旦を自ら担っていることは置いといて。
結局は僕も「年始くらいは」という気持ちだったのかも知れないけど、言葉にしてそう意識した感じはなく、
「慎重になりつつも要所要所では日常通りの行動をする」と言うのが、割と多くの人の「実際」なんじゃないかな~って思った。
やっぱり、自分や身近に陽性が居たり、身内に看護師や医師が居たり、有名人が死んだりしないと、なかなかリアルに怖さを感じるのは難しくなってきてる気がしたな。でもって、そうじゃない人や、一旦罹った後回復した人なんかは、結局以前のサイクルに近い行動をしてしまう。
日本は海外より感染者数自体は少なめだけど、それってとどのつまり「海外より普段のコミュニケーションに距離があるだけ」だったのかも知れない。もちろん意識の高さ、「マスク慣れ」してた部分はあるけど。
・・・
今後、「マスクをしなくなる未来」は果たして来るのか、と思ったり言われたりした。マスクを自分が人前でしなくなる、、、接客業全ての人に言えると思うけど、お客様が不快に感じる環境では、「それは無理」。と言う事は、必然的にお客様側も、買い物に行けば必ずマスクをしている店員に対峙するわけで、仮にワクチンや特効薬が出来たとしても、
見える景色がガラリと変わる訳じゃない。
当然店員がマスクをしているからと言って、インフルエンザレベルであれば「お客様も絶対マスクをして下さいと言われたりはしない」。でも、現状多くの人が、「マスクをしてない人※店員に限らずに、少なからぬ嫌悪感や違和感を抱いている」のではないか。
既に、「マスク有り」が普通で、「マスク無し」が異端になっている。
魔女狩りじゃないけど、今はもう「マスクがない人は人間じゃない」くらいの、
※あくまで外出時。自宅にいる時とかは、友達や家族同士マスクを外してたりすると思うし
「生活のルール」が定められ、施行されている。
力を持つ誰かがそのルールを変えない限り、未来永劫変わることはないかも。
こんなことを考えたのは今が初めてじゃないのだけど、その時は漠然と、
綺麗な女の人の口元を見ることが出来なくなるのは寂しいなぁ
って下心が沸いた。映画やドラマ、テレビのバラエティなら、多少なり口元を見ることは出来る。フェイスガード越しだったり、カメラから距離がありそうな状況だったりはするけど。
でも最近は、例えばヒンズー教だっけ?女性が顔を見せない宗教の人みたいに、
口元が見えないなら、その分目元のウェイトが上がって、そこの魅力をより大きく捉えるようになってきたかも知れない。
綺麗な人は、別に口が見えなければ綺麗じゃないわけじゃないし、くちびるや口紅だけがエロのアイコンでもない。まぁ口紅メーカーはかなり厳しい状況だとは思うけど。
時代が時代なら、「歯並びは悪いけど目力は強い」なんてアイドルや俳優が出て来る可能性すらある。
いざマスクを外したら幻滅、なんてことも今でこそ想像するけど、例えば中学生時代、まだ見ぬ女性器を想像したチェリーボーイみたいに、
ずっと見えなかったものに幻滅するケースはそれほど無いのではないか。
口元≒女性器と言うと、スゲェ卑猥な感じもするし、実際はそこまで完全に隠されるわけじゃないけど、テレビやスマホ越しの「アンリアルな口元」と、リアルな口元はやっぱり違う。別にエロを感じたわけじゃないけど、年末年始に帰省した娘の友達の顔を見て、
既に「顔に口がある」方が違和感を感じるかも知れないな
って思った。
てかたまに自店にマスクをしてない女性客が来ると、妙に口元を意識して見てしまったりする。最初は「マスクしてないなこの人。まぁ僕は平気だけど」程度だったのだけど、最近は、
こんなに綺麗なのにマスクして無くて、口元見ることが出来てちょっとラッキー
なんてことすら思ったりする始末。
もちろん、人それぞれだとは思うし、口に出しては言わないけどさ。
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