デジラマよもやま
※今回のネタは、もしかしたらインスタにも上げるかも。てかこんな長文が載せられるのかわからないけど。枕の文章はインスタ用。
今回いつもブログに書いてるようなことを、こちら(インスタ)にもコピペします。少々長いけど、僕のデジラマに興味がある人は、読んでもイイかも知れない。もちろん、
時間返せオラ
って思うかも知れないけどさ。
・・・
スマホだけで写真を撮ったり加工したりしてる人は、たぶん凄く多い。全体の99%くらいがそうじゃないかと思うほどなのだけど、ガンプラ関連、、、いや、模型全般で言えば、そのパーセンテージはもう少し下がる気がする。
僕のデジラマは、特撮の雄であるところの伊藤さんのデジラマと比べると、ホントにガキのお遊びかと思えるレベルなのだけど、そこで腐らないのが僕の良いところ。自分なりの楽しいを探すのに真剣になれるのだ。
で、割とこういう時揺れるのが、
現状、同じ土俵に居る人が居ないから、ある種ひとり勝ちのような状態になれているけど、みんなが上ってきたら、簡単に蹴落とされてしまうのではないか、
と言う不安。全体として盛り上がって欲しい一方で、自分の居場所が無くなるのは切ないかな、って話。
あると思う。
でも、よくよく考えたら、別に僕は「僕が作った物である必要はない」な、と。ガンプラに限らず、インスタで凄い作品をツラツラーと眺めるのは楽しいし、フックする作品があると気持ちも昂ぶる。
幸いというか残念なことにというか、ガンプラ関連でカトキ先生レベルに、僕と同ベクトルで「アート性よりリアリティ」を追求した作品がほとんど無いので、特に今「僕が(ネタ不足とかではなく後続に追い抜かれるカタチで)止めたくなることはない」のだけど、
同時に、「この人、ここをこうすればもっとよくなるだろうに」
と思うことは少なく無い。と言うか「よくなる」は、あくまで僕視点であって、本人からしてみたら「これがベストなんですけど?」ってこともあるので、そこはちょっとデリケートな部分ではあるのだけど、、、
●アートかリアルか
さっきも書いた、以前もブログで書いたけど、「芸術性」と「現実性」は両立が可能だとは思う。実社会でも、「キレイな風景」は存在するし、「スタイリッシュなスーパーカー」なんかも、まさに両立の極みと思う。
でも、どこまで行ってもMSは非現実的な人型ロボットの域を出まい。「本物っぽいMS」は本物ではないし、「芸術性の高いプラモ」には、生活臭は薄い。
立ってるだけでも、「まるで実写にしか見えない」とコメントも貰うことが出来るし、僕自身そこに価値を見いだしているからこそ、作りたい、作り続けたいと思っている。
ただ、どこまで言っても偽物は偽物。本物、お台場や横浜にある1/1のガンダム立像のようなリアリティを20cm程度のプラモで表現するのは、極めて難しいのだ。
でも、「どうすればリアルに見えるか」には、レシピがあるように思う。
初期の頃「ユニコーンが線路に埋もれてる」ことに気付いたのが、僕的な大いなる第一歩だった。そこから背景との光源の違いや、境目の馴染ませ方、足の角度と視点の角度、ちょっとした比較対象の配置、、、。
正直目やビームが光らなくても、リアリティは十分表現出来る。というかむしろ、「現実世界にガンダムのようなビームはほとんど存在しない」し、「目が光るリアル」も、おかしな話なのだ。
まぁ砂煙とか陽炎とか爆発とかはリアルにも存在するけども。
・・・
プラモデルは、「1/144」とか「1/60」とかスケールがある。つまり、そのプラモを144倍に拡大したら、1/1の大きさになるというわけだ。
だから、見える背景にも、「もし存在したら」を100%の精度で投影することが出来れば、そこには「純然たるリアル」が再現されるはずである。
問題は、その再現に何が必要か。
初期の頃からのテーマであった「角度」だが、最近また一歩進歩した。
カメラマン(僕)の視点が高いと、デジラマは「ジオラマに寄る」。
ジオラマを仰角で見ることも出来るし、人間の視点でカメラに収めることも出来る。しかし、実際にジオラマを見る場合、それはリアルな人間の目線ではなく、「神」もしくは「鳥」もしくは、「ジオラマを見る人間」の目線になる。
※当たり前
前回の鉄塔のデジラマを最初に作ったとき、妙にガンダムが小さく見えた。その理由を掘り下げた結果、つまり「視点が高い」ことに気付いた。鉄塔や道路、土手や遠くの雲に至るまで、
高い視点から見たガンダムを中心に、脳内で映像を再構成する。
そして、
遠景の雲は描き割りで、土手や鉄塔はジオラマとして制作され、ガンダムを横から撮っている、みたいな手ざわりになったのだ。
ではここにガンキャノンを置いたことで、一気にジオラマ感が薄れたのはなぜか。
ほぼ同身長のMSである2体に、見かけの身長差を持たせ、遠くにいるガンキャノンを少しボカしたことで、「脳内での補正が変わった」のだ。
鉄塔の向こう側とこちら側、通常ジオラマでは、その程度の距離感でピントがズレたりはしない。でもデジラマ上でズレていれば、そこには「ジオラマではなく現実世界のような距離感」が生じる気がする。
面白いのは、「ピンボケ=実写」ではない点。
数年前、実際の風景写真を「ジオラマ風」に撮るネタが盛り上がった。本物なのに、どこかミニチュアのように見えるアレである。
アレは、まさにその逆の脳内補正が働いている。
いわゆる風景写真は、意外と結構な範囲でピントが合っていたりするものなのだけど、その周囲をあえて強めにボカすことで、「ミニチュアを撮ったときのような手ざわり」を作り出していた。
ってことは、、、
周囲の背景を「ぼかさない」ことで、「ジオラマ感を薄れさせることが出来る」のではないか。
ミニチュアやプラモを近距離で写すと、どうしてもフォーカスしてる部分以外はボケがちである。しかし、同じ視点から、別々にマニュアルフォーカスして複数の写真を撮り、あとからPCで合成してしまえば、
理屈では「実写感の強いジオラマ」写真が出来る理屈。
さらに、先ほど書いた「視点の定石」を織り込み、そのプラモを見る自分の身長、つまりレンズの位置と角度を煮詰めていけば、
理論上は高いリアリティの写真が出来上がる。
しかし、実はここに落とし穴がある。
ガンダムが一番かっこよく見えるのは、決して人間の視点から見たときとは限らない
もしそれが一番なら、世間のプラモ写真、作例写真は全て仰角になってるはずだ。
仰角にすることの最大のデメリットは、
顔が隠れる点にある。
胸部が一番見せたい顔を隠してしまうことで、作り手として大いに不満の残る写真が出来上がってしまうのだ。
誰もが「現実性」を重視したプラモ写真が撮りたいわけではない。
でも、
「誰も」ではないが、「僕は」そうだ。
かっこよくガンダムが見える角度
≠デジラマにしたとき破綻しない角度
=リアリティのある角度
=かっこいい
この図式は、「僕には成立する」。「リアリティのあるガンダム」が、僕の中ではかっこいいのだ。顔とか目とか、見えなくたってかっこよさは出せる。ただ、
最初にかっこよく撮ったガンダムを、かっこいいデジラマにするのは不可能なのか。
理屈で言えば可能だ。自分の視点を、例えばビルの中の事務所からにしたり、足の部分の接地を隠してごまかしたり。
あと、、、
ガンキャノンが一番イケメンに見える視点は、結構高いところから見たものだったり、、、
ここで次の問題が浮上する。そんな「高めの視点がかっこいいプラモ」を「破綻のないデジラマ」にするにはどうしたらいいか。
僕の身長を5mくらいまで伸ばせばいい。
・・・なかなか難しいので、、、
◎代替え案その1。
傾斜に置く
鉄塔のガンダムがまさにそれで、普通に平地に配置した際に仰角で見えるガンダムの「見えるなくなるはず部分」が見えてしまってると言う破綻を軽減するためには、ガンダムそのものを傾ければいい。つまり、「土手」などに立たせれば、存外違和感は軽減される。※わかりにくい!
まぁジオラマ感が増すわけだけど。
◎代替え案2
脚立などを利用して、少しでも高い視点から背景を撮る
「見上げない」で撮られた被写体の違和感にフィットする「同じ視点」を確保する。さきほども書いたけど、ビルの中からとか、
戦車の上からとかでもイイかも知れない。
※今思い浮かんだけど、大いに有りだな
あ、あと、バイパスの高架から下るスロープなら、ちょうどいい高さを捻出しやすい。でもこの場合は、
風景が非常に限定されるかもだけど。
※近所のバイパスの周囲は田んぼしかない
◎代替え案3
ネットで探す
自分で撮れないなら、ネットでそれっぽい写真を探す。言うのは簡単だけど、ネット写真は存外手強い。
・有料コンテンツ
・モビルスーツを重ねる前提になってない※縮尺が合わない
・自己主張が強い※風景だけで成立しすぎる
・日常感が薄れる≠リアリティが薄れる
頭の中に明確にイメージする完成形があっても、それにフィットする背景写真が必ずしもすぐ見つかるわけじゃないし、僕自身そこまで厳密な精度で思い描けるわけでもない。
被写体をトリミングして、いざ重ねてみたら、、、意外と接地しない
何てことは、実はしょっちゅうなのだ。
で、それらの問題点を鑑みた結果、、、
プラモを撮り直すのが一番楽
と言う結論に至り、「一番かっこよく見えるガンキャノンの面構え」を諦めざるを得なかったりするのだ。うーむ口惜しい。
・・・
ちなみにこれらは、「角度について」のリアリティで、僕的には地上デジラマ作りで一番重要なことではあると思うけど、当然、、、
太陽の向きが真逆だと違和感があるし、
切り出す前の背景色を、重ねる予定の背景の色味に合わせてから境目をぼかした方がしっくり行きやすいし、
合わせ目や表面のアラはスタンプで消した方が良いし、
何ならモノアイやツインアイを光らせた方がかっこいいかもしれないし、
近くに大きさを感じさせる人や車があるとごまかしが効きやすいし、
そもそも風景写真としてクオリティが高いと、それだけでもシナジーが高まる
言ってしまえば、僕のデジラマはこれらの蓄積とこだわりの産物なのだ。砂埃や瓦礫、レーザーエフェクトは、ぶっちゃけやり方がよくわからなくて面倒なのでやらなくて、結果一向に上達しないのだ。「モノアイは光ってない方がリアル?」
面倒なだけなのだ。実際は!笑
ちょっぴり長くなったけど、ブログでは日常茶飯事。インスタのキャプションには2200文字までの制限があったので、画像としてアップ。最後まで読んでくれた人は、感謝と敬意を持ってフォローしますので、
※無条件ではないです。商業サイトとか、晩ご飯だけとかはフォローしません
仰って下さいね!、、、って誰も居ない可能性、あると思います!
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