もしももしもボックスがあったら
ドラえもんの道具で一番欲しい物は何?この質問は、たぶん1億回くらい全世界で為されてきた気がする。
僕は迷わず「エスパー訓練帽子」。
今も昔もそれ。これはこの帽子を被ると超能力者になれる、、、訓練が出来ると言う物。
人に寄ってはタイムマシンという人も居るけど、
あんな怖ろしい道具、いくらお金積まれても乗りたくないと思うのだけど。
落ちたらどうなるかもわからない。過去を変えることで未来がどうなるかもわからないし、未来を知ることで現在がどうなってしまうかもわからない。戻れる保障も無いし、過去や未来の自分に出会ったときにどうなるのか、想像しただけで背筋が凍り付く。
ドラえもんの道具の中で一番要らない物がタイムマシンと言っても過言ではない。
てか、ぶっちゃけ「自分以外の知り合いがチョイスする」ことすら怖ろしくなる。
どこでもドアはちょっと魅力的だけど、見る度に「出口にもし人が重なってたらどうなる?」と怖くなる。水の中だったら、「こっち側も」水没したりしないんだろうか。
小学生の頃は「瞬間リターンメダル」が欲しかった。つまりA地点とB地点を一瞬で行き来出来る手のひらに収まるくらいのメダル。てかこれも、
メダルの在る場所に人間が居たら、その人と「重なってしまう」んじゃないかという怖さがあるけど。
ドラえもんの道具には、多かれ少なかれそう言った「ブラックな側面」があると思う。それは藤子F不二雄先生の他のSF短編集とかを読むとよくわかる。そう言う面をフォーカスした作品も少なくはないのだ。
で、もしもボックスの話。
もしもボックスというのは、いつも思うのだけど、
お願いした人にはお願いした記憶は残るのか。効果は及ばないのか。
もうその回の話はほとんど覚えてないので、その辺のケアもされていたのかも知れないけど、例えば、
「もしももしもボックスが普通に存在する世界だったら」
と言うリクエストだった場合、「第三者が使うもしもボックスの効果が自分にも降り注ぐことになる。が、記憶や効果はどちらのユーザーにも現れるのか」みたいな。
まぁ言ってしまえば面倒くさいことをいくらでも考えられる。
ただ、
「もしも世界中の人間が全員幸せになったら」
と言うリクエストだとしたらどうなるだろうか。「幸せであることの定義」は人それぞれだから、後進国や未開拓の原住民にとっては、僕らとは全く違う幸せが訪れるのかも知れないし、逆に何でも手に入る人にとっての幸せは、安らかな死かも知れない。てか、
ひとりのアイドルが好きな二人のファンがどちらも幸せになるにはどうしたらいいんだろ
とか、
幸せにはなった、が、その直後に不幸せになった
ってのは有りなのか?「幸せでありつづける」ことをリクエストした場合、
死ぬことが幸せになると言う価値観や文化、薬?が発明されるってことになるのかも。でなければ、「幸せであり続けられはしない」。いや、
死んでも転生して幸せを続けるということなのか!?
スンゲェ小さい話で言えば、
欲しいガンプラがいつでも2割引で買える世界
とかだとどうだろう。バンダイは凄まじい数の工場を造ったりするんだろうか。逆に僕が欲しいガンプラが「意識の中から消える」可能性もある。「欲しいガンプラ」が一切無くなれば、このリクエストは達成されているということになる。
もしもボックスは、なかなか怖い装置であること以上に、善意での利用で世界を一気に明るく照らすことが出来る究極の道具かも知れない。
「エネルギー問題や食糧問題、高齢者の問題などが全てクリアされる世界」
は、もしかしたらスペースコロニーが実現されているかも知れないし、土地と食料とエネルギーの問題がクリアされるなら、「人間は死ぬ必要がなくなる」かも知れない。ボケとか植物人間とか、本人が人間であることを終えてしまった場合はまた別の問題が浮上するとは思うけど、例えば体の99%、いや、100%が機械になってしまっても、人間だったときと同じ思考回路や価値観、倫理観で行動し、見た目も、例えば若い頃のままであるなら、その人生は永遠に続いていくかも知れない。
ロボットによって人間の仕事が無くなる世界は、往々にしてロボット達の反乱によって人類が滅ぶカタストロフ?に帰結しがちだけど、一方ではウォーリーのように「至れり尽くせりのロボットに生活を守ってもらえる」可能性だってある。
何が幸せなのかは、難しいところだけど、それでも諸問題が全てクリアされるリクエストは、もしもボックスの「有益な利用法」としては、大いに有りな気がする。
てか、もしもボックスって壊れたらどうなるんだろ。
漠然とした記憶では、以前の世界に戻せなくなる、だった気もするけど、変更後の世界が最良であるなら、戻せなくなっても構わないのかも知れない。
「人間が全員幸せな老衰で死ぬ世界」だとしたら、世界はどう変わるんだろうか。交通事故死がなくなる、、、けど、植物人間にはなる。そこから「老衰死するまで生き続ける」のか、そこで幸せな気持ちになって死ぬ薬が発明されるだけなのか。
事故死が無くなるということは、飛行機は落ちないし、船とかも難破しない。登山は全員成功するから、気候変動や地殻変動で、エベレストとかが平地になってしまうかも知れない。死ぬリスクがあることがどんどん無くなっていって、コロナも瞬間的に収束。食べ過ぎで死んだり、のどに餅を詰まらせることもなくなるし、
もちろん死刑もなくなる。そして犯罪を犯したいと言う衝動すらも消え失せる。
ちょっと怖いけど、全世界が本当にひとつのファミリーのような関係になったりするかも知れない。
「かわいさ余って憎さ百倍」。逆恨みで殺すこともないなら、気持ちすらももしもボックスによって操作されるかも知れない。でもそれが幸せであるという価値観が浸透して居れば、何にも問題はないのかも。
働きたくないと言う人が増えると世界は回らなくなってしまうから、「働きたい」という気持ちが大多数の人間に植え付けられる。人より良い暮らしをしたいという差別的価値観は平滑に均され、貧富の差もどんどん是正されるかも知れない。
智慧や知識も平均化されるのかも。
・・・もしもボックスがなくても、そう言う世界は実現しうるのかも?
いや、実際には不可能。それはわかる。でも、全ての人が幸せになるためには、何をどうすればいいのか、を考えてる人は居そうだし、仮に「全ては無理でもある程度多くの人」なら、結構な人が目指してても不思議は無いと思う。
フェイスブックで実名によるコミュニケーションを「是」とさせたのはホント凄いと思った。匿名掲示板のモラルは相変わらず低いけど、その存在価値そのものが低くなって淘汰される可能性は十分ある。きっと、「完全な正解」は無い。でも、
もしもボックスにその設定をした場合、世界をどう変えるかと言う調整、即ち「正解のレシピ」は、存在すると思う。
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それでも僕はエスパー訓練帽子が一番欲しいけどね。道具に頼らず、自らが超能力者になれるってのがイカス。大変で全然進歩がないかも知れないけど、
そのくらいがちょうどいいとも思うから。
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